17.旅立ち……①


 シェリルにホーリーウェル魔導学院への入学の許可が下りたのは、新学年の始まりの1ヵ月前の王国暦1780年の8月の事だった。

 それから10日後、ついにシェリルは共に村を去ることになった。


 ホーリーウェル魔導学院はその名の通り『魔術師マジシャン』を目指す『才能』ある生徒しか入学することを許されない。

 言い換えるなら、マーキュリー王国の初代国王クリストファー一世に付き従った魔導師たちの末裔、すなわち貴族しか存在し得ない。


 そんな学院での彼女の待遇は『特別生イレギュラーズ』だ。つまり特例・・で入学を許された平民の事を指し、極めて異例なものだ。

 そのような措置を講じてても、シェリルを保護・観察する必要がある。アルフォード大聖堂は、そう結論付けていた。


――これでいい……これが最善の選択だ


 付き添って歩きながらジェームスは思った。

 常にシェリルを庇い守っていたエミリーも、優しくシェリルの手を握り、迎えに来た聖騎士パラディンのユーリアの下に向かって歩を進めていく。


「元気でいるのよ」

「ノイルフェール神もご照覧ある。たとえ離れていても、私達はいつもシェリルと共にある……その事を忘れないで欲しい」


 エミリーが優しくシェリルを抱き締め、ジェームスはシェリルに『祝福ブレッシング』の魔術を施す様を、ユーリアは静かに眺めていた。

 今回、ユーリアは飛竜ワイバーンの『三日月クレセント』ではなく、豪華な調度品で整えられた馬車でやってきており、長旅になるシェリルの身を気遣っている事が理解できる。

 しかしシェリルは、初めて目にする豪華な馬車を見ても、反応らしい反応を示さず、促されるまま馬車に向かおうとした。


――やっぱり、わたしは捨て子……要らない子……


 王都バーニシアに行くと聞かされた時、シェリルはショックを受けた。

「貴女には才能があるから」と言う聖騎士パラディンユーリアの言葉に耳を貸すこともできず、シェリルは塞ぎ込んでいた。常日頃から村人達が自分をどのように思っているのかは、言葉にされていなくても、態度や雰囲気で判っていた。


――わたしが魔術に失敗したから……追い出されるんだ……


 魔術暴発を起こし、村に大層な被害を与えてしまった。それ故にシェリルは自覚していた。『ていの良い厄介払い』だと……

 虚ろな瞳で淡々と自身の運命を受け容れたシェリルだったが、その心は深く沈んでいた。

 そんなシェリルの気持ちを知ってか知らずか、豪華な装飾の施された馬車は、扉を開け放って待ち構えている。


――これに乗れば、もう二度とこの村に戻る事はないのね……


 訳もなくそう思えた。様々な思い出が詰まっている。それは彼女にとって決して幸せな事ばかりではなかった。むしろ悔しかったり惨めだったり……そして孤独だった思い出の方が多い。

 それでも、エミリーもジェームスも優しくシェリルを受け容れてくれた。


「シェリル! 待って!」


 促され、馬車に乗り込もうとしたその時、シェリルの名を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、そこには彼女の数少ない友達である村の少女ララと、その友達のエイディー、それに彼女に好意的な数人の森風精族エルフの女性達が息を切らせて駆けてくるのが見えた。


「ララ! エイディー!」


 シェリルは思わず声を上げた。

 彼等は、他の村人たちが彼女を避けるようになった後も、変わらず優しく接してくれた大切な友達だった。


「行っちゃうの? 本当に……」


 ララの目には涙が光っていた。

 エイディーは強がりながらも、寂しそうな表情を隠せずにいた。


「俺達のこと、忘れんなよ」

「忘れるわけない……二人とも、わたしの大切な友達だよ……」


 シェリルは胸が熱くなるのを感じ、固かった表情が和らぎ、ララは小さな花束をシェリルに差し出した。


「これ、私達みんなで摘んだの。旅の間、元気をくれますように……」

「俺もこれを作ったんだ。お守りにしてくれ!」


 エイディも、粗末ながらも丁寧に編まれた革製のブレスレットを取り出した。

 シェリルは感極まって、二人を抱きしめた。


「ありがとう……本当に、ありがとう……」


 ユーリアは、手を止めこの光景を温かく見守っていた。彼女は、シェリルにとってこの別れがどれほど大切なものか理解していた。


「わたし……約束する……必ずまた会いに来るから……」


 シェリルは涙を堪えながら思いを伝えると、ララとエイディーは頷き、別れの言葉を交わした。

 その時、別の声がシェリルに呼びかけた。


「シェリル、待ちなさい」


 振り返ると、そこにはレイモンドが立っていた。


「私からも、大切なものを渡したい」


 レイモンドは、自身が掛けている黒縁の眼鏡を外し、シェリルに差し出した。


「これは特別な眼鏡だ。魔力感知を阻害する付与魔術を付けてある。お前から溢れ出る強大な魔力を不可視とし、周囲の人々が感じる威圧感を和らげる事になるだろう」

「でも……レイ先生は、これがなくて大丈夫なんですか?」


 シェリルは戸惑いながらも、その眼鏡を受け取り、レイモンドは静かに説明した。


「心配しなくても良い。予備は持っている。それに今は、シェリルにこそ必要なものだ」


 シェリルは再び目頭が熱くなるのを感じた。村人達の冷たい視線に慣れていた彼女にとって、この贈り物は大きな意味を持っていた。


「ありがとうございます、レイ先生」


 彼女は眼鏡を大切そうに抱きしめた。レイモンドは軽く頷き、言葉を添えた。


「自分の力を恐れるな、シェリル。それを理解し、制御する方法を学ぶんだ。この眼鏡は、その過程での助けになる筈だ」


 シェリルは決意を新たに、眼鏡を掛けた。

 すると、不思議と身体の周りに漂っていた重圧感が薄れていくのを感じた。


 シェリルは最後にレイモンドに深々と頭を下げ、そしてララとエイディー達に手を振った。新たな旅立ちへの一歩を踏み出す彼女の心には、不安と期待が入り混じっていた。しかし、大切な人々からの贈り物と励ましの言葉が、彼女に勇気を与えていた。


「では、参りましょうか」


 ユーリアに促され、シェリルは馬車に乗り込んだ。

 特製の馬車は、他の馬車と違い懸架装置サスペンションが装着されており、揺れは極端に少ない。

 静かに走り出した馬車の車窓から、ウーラニアー村がどんどん遠ざかっていく。シェリルはその様子を言葉もなく見つめていた。


「貴女……魔術は好き?」


 どれ程時間が経っただろうか?

 馬車が峠道に差し掛かった頃、ユーリアの声が耳に届いた。


 白銀に煌めく長い髪に先の尖った耳の長い女性。ユーリアと名乗る聖騎士パラディン風精族エルフであることにようやく気付き、シェリルは息を飲み、そして静かに頷いた。

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