一章(6)エストボール
村に到着したのは、二日後のことだ。
戦闘の末、リュトの体力は限界寸前であった。
最大の原因は大魔法を使用したことだ。一度に大量の魔力を操作する大魔法は消費が激しく、体に大きな負荷がかかってしまう。その結果、負荷に耐えきれなくなった体が悲鳴を上げてしまったようだ。
正直歩くもの辛い状態だったが、ヴォルガン達が帰路につけば、待ったをかけるなんてことはできない。
リュトは重たい体を引きずりながら、平然を装いヴォルガンらの後に続いた。
約束通りヴォルガン達が村まで案内してくれたおかげで、何とか無事にたどり着くことができた。
道中、ヴォルガン達と楽しそうに話すエルの姿に、安堵感で思わず気を緩めてしまいそうになるのを、リュトはグッとこらえていた。
あんな風に話すエルを見るのはいつぶりだろうか。
母が死んでからは話し相手もリュトしか居らず、きっとエルは退屈な日々を送っていただろう。
そうと分かっていても城にいた頃のリュトは立場上、長い時間エルと一緒に居てあげることはできなかった。
城を出て二人で旅を始めてからも、リュトは早く先に進むことばかりに気をとられ、結局はエルに我慢をさせてしまっていた。
もし、この先の村で暮らすことができれば、エルは幸せでいられるのだろうか。
誰からも疎まれることも無く、明日の命の心配もしなくていいのであれば。
まさに自分が目指していた場所ではないか。
先に進むほどに、リュトの村への期待値は上がっていった。
大きな門をくぐった先に、小さな村が合った。
「ようこそ、旅の恩人。ここが俺たちの村、エストボールだ」
初めての場所に、嬉しくなって駆けて行こうとするエルの手を捕まえ、リュトは村の中を注意深く観察する。
外から見た村は石の壁にぐるりと囲まれているようだったが、その多くは崩れ、防壁の機能を果たせていないように感じる。
安全とは言えそうに無い有様に、リュトは少し緩みかけていた警戒心を強めた。
「小さいが、いい村だ。ゆっくりしていってくれ」
ヴォルガンに促され街中へと進むと、仲間の帰りを待っていた村人達の出迎えに合う。
「ヴォルガン、お帰りなさい。帰りが遅いから心配したのよ」
集まっていた複数の村人の中から若い女性が一人出て来て、ヴォルガンのすぐ傍まで駆け寄って来た。
「すまんな、スファラ。ちっとばかし、面倒なことになってな」
「面倒なことって……」
「なに、心配するな。この通り全員無事だ。この兄さんのおかげでな」
ヴォルガンがリュトに視線を向けると、それに釣られて、スファラもリュトを見た。
「赤い髪……」
スファラが呟くと同時に、村の人々がひそひそと騒めき立つ。
不吉な赤色の髪。
呪われた子。悪魔。
村人たちは、リュトの赤い髪を指さし口々に言った。
異端者だと。
「お前ら!この兄ちゃんは俺らの命の恩人だ。兄ちゃんがいなかったら、今頃俺はこの世にいなかったかもしれねぇな。俺に、受けた恩を仇で返させるようなこと、させないでくれねぇか?」
ロッシュの言葉に、場が静まり帰る。
口を噤んだ村人たちが、チラチラと目配せをしている中、スファラがリュトの前に立った。
「ごめんなさい。恩人に失礼な態度をとってしまったわね。このお詫びは後でちゃんとさせていただくわ。改めて、ようこそ、エストボールへ」
スファラがリュトに手を差し出す。
しかしリュトはその手を無視し、スファラなど居ないかのような態度をとる。
「お邪魔します」
リュトの陰からエルが顔を出した。
「え?」
スファラは予想外の出来事に驚き、エルを凝視する。
「神子様!?」
スファラは、村中に響き渡りそうなほどの大声で叫んだ。
神子様と聞いた村人たちが、その姿を一目見ようと続々に集まって来る。
リュト達はあっという間に取り囲まれてしまい、前に進むことも困難な状況に陥った。
見知らぬ人々に囲まれる不快感と、さらには戦いの末に疲れているリュトは、どうにかしろと言わんばかりに、ヴォルガン横目でを睨みつけた。
「このお嬢ちゃんはエルだ。神子様と同じ見た目をしているが、神子様ではないらしい」
「そんなことってあり得るの?聞いたこと無いわ」
「今は憶測でものを語ってる時じゃないだろ?二人は長旅で疲れてるんだ。聞くのは後にしてやれ」
後で聞かれてもリュトには答える気などさらさら無かったが、この場をどうにかするためには口を挟まない方が良さそうだと判断する。
「それじゃあ、行くか。俺たちのアジトへ」
ヴォルガンが歩き出し、村人たちが道を開ける。
リュトは静かにその後に続いた。
すれ違う村人たちの好奇な視線にさらされながら、凱旋さながらに村の中央を横断し、たどり着いたのは二階建ての家だった。
村では一番大きな建物のようだが、城に住んでいたリュトから見ると、馬小屋の方が大きい気がした。
ここがヴォルガン達のアジトのようだ。
すぐ傍に広場があるのが見えた。
装飾の類は無く殺風景だが、その中央には大きな木が立っている。
植物自体が珍しくなったこの世界で、砂漠の村にこれほど大きな木があるとは驚きだ。
「あれは神聖樹。この村の守り神だ」
リュトが公園の木を見ていることに気が付いたのだろう。
ヴォルガンが神聖樹を見て、そう言った。
リュトには神聖樹も、初めて聞く物だった。
世界が今のようになってから十一年。
城とその周辺の荒野を行き来するだけの生活を送っていたリュトは、今になって自分が世間知らずであることを自覚し始める。
城でもある程度の教育は受けていたが、そのほとんどが十一年前の物だったのだ。
この世界の常識に当てはまることが、果たしてどれくらいあるのだろうか。
「それも神子様と同様に、常識か?」
問いかけるリュトの声に自嘲が漏れる。
そんなリュトを気遣ってか、ヴォルガンはアジトへと向かうよう促した。
「まあ、とにかく今日は休んだ方がいい。疲れた頭で考えたって、いいことは無いだろうからな。それに、ほら。妹の方は、そろそろ限界のようだ」
ヴォルガンに言われエルを見ると、眠そうに瞼を擦っていた。
「お前さんとの約束はちゃんと守る。この世界で生きるには、信頼は何よりも大切だからな」
ヴォルガンがアジトの扉を開いた。
開け放たれた扉の向こうから、人が賑わう声が聞こえてくる。
ヴォルガンの帰宅を待ちわびた仲間が、出迎えの言葉をかけているようだ。
この雰囲気ではまた、村の入り口の時と同じような反応が返ってくるだろう。
しかし面倒だからと中に入らなければ、休むこともできない。
億劫な気持ちを抱きつつも、リュトは目の前の扉をくぐり、家の中へと入った。
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