一章(3)砂塵
風に舞う砂塵が視界を覆い、数歩前さえよく分からない有様だ。十一年前、世界が砂に飲まれたあの日から、変わらない景色がリュトの眼前に広がっている。
他方向から吹き荒ぶ砂が濃霧のように視界を遮り、目視では何も見つけられない。だからと言って何もせず立ち止まっていれば、すぐに砂に埋もれてしまうだろう。
城の外へと出たリュトたちは、新たに暮らす場所を求めて砂の上を彷徨っていた。リュトはエルの体調を気遣いながら、小さな手を引き、一歩一歩ゆっくりと進んでいく。
いくら歩いても一向に変わらない景色に嫌気がしても、リュトは不満を飲み込み歩き続けた。
リュトが向かっている場所は、離宮から南に行ったところに位置する【エストボール】という村だ。
城の書庫や偵察の報告で見聞きし、村の存在を知っていたリュトは、ひとまず城から一番近いその村へと向かうと決めていた。大陸の端にある離宮から大陸の様子を調べるのは容易ではなく、エストボール以外に安息地を特定できなかったのがその理由だ。
他の安息地も噂程度なら耳にしているが、正確な場所までは分からずじまいだった。
時折、強い砂嵐が二人を襲う。リュトは少しでも妹の負担を減らそうと、吹きつける砂から守るように背にエルを庇って歩いた。
砂で覆われた大地は平坦な場所が無く、砂に足をとられないよう慎重に歩かなければならない。もう成人し体つきもいいリュトでさえ苦労を強いられているのだから、まだ幼いエルにはとても過酷な旅になるだろう。
早くこの砂漠を越えられればいいのだが。
「あっ」
はやる気持ちが歩調を早めてしまったのか、少しばかり早足になっていたリュトについて行けず、エルは砂に足をとられよろけてしまった。
リュトは慌てて直ぐに立ち止まる。エルが転んでしまわないように、さっと体を寄せた。リュトの体に支えられ、エルは転ばずに済んだ。
「ごめん、エル。大丈夫か?」
振り向いたリュトにエルが「大丈夫だよ」と笑う。
妹の無事を確認し、リュトは再び歩きだした。
持ち出した食料が尽きる前に村へと辿り着くには、道に迷うわけにはいかない。探知魔法で常に位置を確認しながら進んでいるのだが、これがまた消耗の激しい労働だ。
砂と魔法によって、リュトの体力はどんどん奪われていく。
しかし、兄である自分が弱音を吐く訳にはいかないと、リュトは辛さを顔に出さないよう我慢をする。
妹を無事安全な場所へ連れて行かなくては。その気持ちだけで、リュトを動かす原動力として申し分なかった。
「エル、もう少し歩いたら休もう。頑張れそうか?」
リュトは首だけを回し、後ろ手に引くエルの体調を確認する。
「うん。まだまだ元気だよ」
兄を心配させまいと無理に笑顔を作って見せる妹の姿に、リュトは涙が出そうになるのを堪え微笑んだ。
自分がもっと強ければ、妹はこんな苦しい思いをしなくて済んだのに。自分がもっと賢ければ、こんな危険な旅などせずに離宮で暮らしていけたのに。自分がもっと……。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
考え事をしている間につい足を止めてしまったようだ。気づけばリュトは荒野のど真ん中に立ち尽くしていた。
同じく立ち止まり下から顔を覗き込んでくるエルが、心配そうにリュトを見つめている。
「ああ、大丈夫だよ。エルはお兄ちゃんの思っていたより、ずっと強い子なんだなと思って」
リュトは苦しさを隠すために笑った。例え泣きたくても笑わなければならない。それが兄と言うものだと自身を鼓舞し続ければ、エルが生きている限りは無敵でいられる気がした。
「ふふっ。私はお兄ちゃんの妹だからね!」
不安げな顔から一変、褒められたことが嬉しかったのか、エルは満点の笑顔で笑っている。リュトはエルを胸へと引き寄せ、その小さな頭を優しく撫でた。
「そうだな。エルはお兄ちゃんの自慢の妹だ」
気持ちよさそうにする妹をもっと撫でてやりたい思いはあるが、ここで立ち止まっているわけにもいかない。リュトはエルの手を取り、進むべき方へと足を向けた。
さあ行こう、とリュトがエルの手を引き、二人はまた歩き始める。
二人が旅を始めてから二日が過ぎた頃、不意に遠くから誰かが叫ぶ声が聞こえた。三日間荒野を彷徨い、やっと見つけた人間が今にも死にそうだとは、なんと運の悪いことだ。
リュトは声のした方を見据え溜め息を吐く。
目指している村と同じ方角だ。
このまま直線を進むのが目的地への最短距離ではあったが、前もって知り得た危険にわざわざ飛び込む必要はないだろう。
早々に判断し、少し横に逸れてから村に行く道を検出しようと、探知魔法の使用を始めたところだった。
妹に手を引かれたリュトは、一度足を止め振り返る。
「どうしたんだ、エル」
三日間の旅の中でエルに手を引かれたのは三回だけだった。
そしてこれが四回目。
エルが手を引くのは、いつもリュトを心配し声をかけてくれる時だった。
優しい妹の気遣いに、次は何と言葉を返そうかと考えながら、リュトはエルの髪に積もった砂を優しく払ってあげる。
「あっちで声がしたの。悲しそうな声だったよ」
エルが先ほど声が聞こえた方を指で指し示す。
てっきり自分の心配をしてくれるのかと思っていたリュトは残念に思う反面、見ず知らずの他人をも気にかけることができる妹の優しさに誇らしくも思った。
しかし、それは今で無い方がもっと良かっただろう。
人里離れた荒野にただならぬ叫び声など嫌な予感しかしない。
何故ならこの先で待っているのは人間の死体と、魔力に侵されその姿を怪物へと変えた異形だと決まっているからだ。
「向こうには怪物がいるんだ。だから絶対に近づいては駄目だよ」
柔らかな言葉で優しく諭すリュトであったが、慈悲深いエルにその真意は伝わらなかったようだ。向かい合うリュトから視線を逸らし、声のした方を気にしている。
「でも誰かが助けてって言ってるよ?」
叫び声ははっきりと言葉が聞き取れるものではなかった筈だが、エルにはそう聞こえたらしい。
だがあれはただの断末魔であり、助けに行ったとしても手遅れに違いない。
「声が聞こえたのはあの一回だけだろ?あの人たちはもう助けを求めてはいないんだ」
回りくどい言い方になってしまったが、リュトは「死んだ」という言葉を口にしたくなかった。
いくら離れていると言っても、同じような場所にいるエルの不安を煽るかもしれないと思ったからだ。
ともあれ、その場へ行く必要が無いことは伝えなければならない。
「そっか。もう大丈夫なんだね」
エルは「助けを求めていない」という言葉の意味を取り違えてしまったんだろう。
リュトは、晴れやかに笑うエルを騙しているようで後ろめたさを感じたが、否定はしなかった。
どうせわからないならそのままの方がいい。
「さあ、日が暮れる前にもう少し進もうか」
例の地点を迂回する経路の算段が整った。
リュトはエルの手を引き、当初の予定より進行方向を少し左に修正し歩き出す。
すると、その矢先。
「ーー全滅しちまうぞ!」
今度ははっきりとした声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん!」
先ほどよりも力強く腕を引かれ、リュトは観念する。ああもはっきり聞こえてしまえば、エルを止める言葉など探すだけ無駄だ。
「少し様子を見に行こうか」
「うん!」
探知魔法で探れば、複数の生命反応が一箇所に固まっていた。
あの場所で一体何が起っているのだろうか。
リュトは、背に隠れているようにとエルに言い聞かせ、声の方へと歩き出した。
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