踏み込む覚悟
「……話を聞いてあげて……か」
亜梨花と別れた俺はそのまま真っ直ぐ家への道を歩いていた。俺が知らない世界で生きた亜梨花と姉さん、生まれ変わっても好きで居てもらえたこと……それはとても嬉しかった。嬉しかったけど……若干複雑でもある。
「生まれ変わってもずっと変わらない想い……か。自分にそこまで強い想いを向けられる価値があるのかと思っちゃうな」
本当にそう思う。肩に背負えないような大きな想いだったとしても、俺なんかとか、そんな価値はないとか考えるのは亜梨花に失礼だ。ちゃんと考えて答えを出して、亜梨花と向き合うことが今俺がしなければいけないことだろう。
「……っ」
一瞬、フラッとしてバランスを崩しかけた。吐き気……とまでは行かないけど何だこの気持ち悪さは。思わず電柱を背にするようにその場に留まり、何とかこの気持ち悪さが消えてなくなるのを待つ。そんな中、俺は目の前で揺らめく影を見た。
「……お前は」
ただの幻覚か、それとも実際にその場に居るのかは分からない。その影は俺と全く同じ姿形を取り、暗く染まった瞳を覗かせて俺を見つめている。お前は……お前は誰だと、そう俺が口にするよりも早く目の前のこいつが口を開いた。
『まさか、あいつらを受け入れるつもりじゃないだろうな? 家族をバラバラにしたあいつらを、俺を苦しめた元凶共を!!』
「……何を言って」
一際強い気持ち悪さが体を駆け巡ったが、落ち着くように深呼吸をすれば段々と楽になる。次に顔を上げた時、俺が見たその影は綺麗に消えていた。機械音声のような声だったけど、間違いなく俺と同じ声音だった。幻聴かとも思ったけどあまりに今のはリアルすぎるし……あいつは一体俺に何を言いたかったんだ。
「……ったく、こうしてても仕方ない」
何とも言えない薄気味悪さを感じながらも、俺は家への道を歩く。そんな中、背中に視線のようなものを感じていたが俺は振り返ることなく歩みを進めるのだった。暗くなった道を歩くのは不安が付き纏うが、家に点いた明かりを見ると心が落ち着く。玄関を開けて家に入ると姉さんの帰宅を示す靴を見つめた。反対に兄さんはまだ帰ってないようだ。
「ただいま~!」
そう声を掛けて靴を脱いで……そこで俺は姉さんが出迎えてくれないことに気づいた。別にそこまでおかしなことではないのだが、基本姉さんが家に居る時に俺が帰ると姉さんは絶対に出迎えてくれた。だからこそおかしいなと思ったのだ。
「……ふむ」
もう一度靴を見るが、間違いなく姉さんは帰っているはず。首を傾げながらリビングに向かうと少しだけ珍しい光景が広がっていた。
俺が思った通り姉さんは帰っていたが、疲れていたのかソファに座り込んで眠っていた。扉を開く音でも起きない辺り結構深く寝入っているようで、こうして顔を覗き込めるような傍まで近づいても姉さんは全く目を覚まさない。
「……毛布でも掛けておくか」
起こそうと思ったけど、ここまで気持ちよさそうに眠っているのを見ると起こすのも気が引ける。毛布を姉さんに掛け、俺は少し待ってみるかと思って椅子に腰かけた。
「……………」
スマホを弄りながら時間を潰していると、姉さんの声が聞こえた。
「……めて……やめて……おと……さ…ん」
「?」
起きたのか、そう思って姉さんを見るが起きた様子はない。それどころか何か様子がおかしい……魘されているように姉さんは何かから逃げるように毛布を強く握りしめる。俺は居ても立ってもいられず姉さんの肩を揺すった。
「姉さん、姉さん大丈夫か?」
決して強く言わず、耳元で語り掛けるように呼びかけるとハッとするように姉さんが目を覚ました。けど、次の瞬間俺の体は大きな衝撃を受けて突き飛ばされ、後ろにあった机に背中を打つことになった。
「っ……!」
鈍い音を立てた後、そこまでではないが痛みが背中に広がる。何が起きたのか、ただ姉さんに胸を強く押されたのだ。目を覚ましたばかりの姉さんは恐れるような目で俺を見ていたが、突き飛ばしたのが俺と分かった瞬間目の色を変えて駆け寄ってくる。
「れ、蓮! 大丈夫!? どこか怪我はない!?」
「あ、あぁ……大丈夫だよ」
しきりに体のあちこちを触って姉さんは俺がどこか怪我をしていないのかを確認する。体をペタペタと触る姉さんの顔を盗み見ながら、俺はさっきみたいな姉さんを見るのは初めてだなと思った。俺を誰かと見間違えたようだったけど、あの姉さんがあそこまで取り乱すような相手……全く想像が付かなかった。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
「何度も言うけど大丈夫だよ姉さん。俺はこの通りだから」
本当に体のどこにも不調はないと伝えると、姉さんはようやく安心したようにホッと息を吐いた。何か怖い夢を見たのだろうか、気にはなるけどあの姉さんがあんな風になってしまう夢……聞いてしまったら何かが変わってしまうような、漠然としているけどそんなことを俺は感じている。
「……………」
「蓮?」
……俺は……俺には知らないことが多すぎる。過去の記憶がないわけじゃない、姉さんや兄さんと過ごして来た日々の記憶は確かにある。それでも、まだ俺には知らなければいけないことがある気がするんだ。
ふぅっと深呼吸をして、俺は姉さんと向かい合う。
「姉さん、少し話をしない?」
「話を?」
「うん。姉さんのことが知りたいんだよ……それを知らないと、俺は後悔すると思うから」
どう言葉を並べればいいのか分からない。俺の知りたいことがさっきの姉さんの様子に繋がるのならもしかしたら辛いことなのかもしれない。それでも……それでも俺は姉さんを知りたいと思った。姉さんを知りたい、そう言葉にした俺に対して姉さんは目を丸くしたが、すぐに何かに気づいたのかクスクスと笑った。
「お姉ちゃんのことを知りたい……ね。まるで口説くような言葉だけど、亜梨花に何か言われたのかしら?」
……全く、どうしてこうも女性という生き物は勘が鋭いのか。確かに亜梨花に姉さんと話をしてほしいと言われたことは本当だが、あくまでそれは切っ掛けに過ぎない。俺は自分の意思で姉さんのことを知りたいと思ったのは嘘ではないのだから。
「とりあえず座りましょうか。ほら、隣に来なさい」
「……こういう話の場合は向かい合うように座るべきでは」
「蓮に触れてないと過去のことは話したくありません……べ、別にただ単純に蓮に触れていたいとかそういうことを考えてるんじゃないんだからね!?」
姉さん、それはもう古いキャラだぜ。けど姉さんがこう言うとその通りにしないと本当に話してくれなさそうだ。姉さんの隣に腰を下ろすと、ギュッと腕を回して抱き着いてくる。やっぱりこうなったかと溜息を吐きそうになりそこで気づいたことがある……姉さんの体が小さく震えていた。
「……蓮が好き、どうしようもないほどに好き。でも自分の気持ちに整理を付けて諦めようとしていた時に、こうやって易々と心に踏み込んでくる蓮は嫌いだわ」
「嫌いか、それは悲しいかな。俺は姉さんのこと大好きなんだけど」
「馬鹿、言葉の綾に決まってるでしょう。蓮のことを嫌いな私なんて私じゃない。たとえあなたに嫌われていたとしても、私があなたを愛することに変わりなんてない」
抱き着き震える姉さんの頭を優しく撫でると、姉さんは気持ちよさそうに目を細めていた。年上の人にこういうことをするのは少し気が引けるけど、姉さんが少しでも落ち着いてくれるなら是非もない。俺に頭を撫でられながら、ずっと身を寄せる姉さんはしばらくして口を開いた。
「亜梨花から話を聞いたとなると、生まれ変わりのことも聞いたのよね?」
「あぁ……そこから考えたんだけど、姉さんが話してくれた俺が死んだっていう夢の話、あれが前世のことだったんだな?」
そう問いかけると姉さんは頷いた。
「その通り……涙が枯れるまで泣いて泣いて、生きる意味を失ってしまうくらいに泣いたわ。蓮が居ない世界のなんてつまらないこと、私の中で……ううん私だけじゃない。亜梨花もそうだし涼もそう、蓮の存在がどれだけ大きかったのか思い知らされた」
「……その世界でも、姉さんは俺を愛してくれていたんだな」
「えぇ……といっても、どうやらそれは一方通行の想いだったみたいだけどね」
「え?」
姉さんの言葉にどういうことか首を傾げる。確かに世界とはいくつも枝分かれするもので、今の俺のように姉さんたちを大好きだと思うのとは反対に嫌いだと考えている世界もあるだろう。もしかしてそれが……俺は姉さんの言葉を待った。
「どうやら私と涼は蓮に恨まれていたみたい。家族をバラバラにした元凶として、何より私と涼の生き方に苦しめられたと」
「……………」
「蓮が亡くなってから色々やったことがあるわ。それが終わった後、私は蓮の部屋に向かったの。片付けるべきかと思ったけど、私たちはそれが出来なかった。それをしてしまったら、蓮との最後の繋がりが無くなると思ったから」
……確かに家族で亡くなった人が出た場合、部屋を片付けるのは普通のことかもしれないが辛い部分はあるだろう。少し前までそこには人が生きていたのだから、その全てを無くすというのは言葉にし難い辛さがあるはずだ。
「泣いてしまいそうになるから部屋に入ることもなかったけど、その日はどうしてか私は部屋に向かったのよね。そこで見つけてしまった――蓮が残した手紙、私たちに対する恨みが書き殴られた遺書とも呼べるべきものを」
「……それが家族をバラバラにしたって言ったことに繋がるの?」
「えぇ、でも結局はちゃんと話せば良かったんだって思った。“あいつ”に懐いていた蓮が信じてくれなくても、どうして私は実の父親を警察に突き出したのかを話せばもしかしたら――」
そこまで言いかけて姉さんは首を振った。
「所詮前の世界での話、その結果を語っても仕方ないか。でもね、父親を警察に突き出したというのはこの世界でも間違ってないの」
「……それは」
俺には父親の記憶はない……いや、僅かにだが覚えていることもある。人柄の良さそうな男性の腕に抱かれ、俺はその人を父親として慕っていたそんな記憶が僅かにだが残っている。しかし気づけば居なくなっていて、その寂しさを埋めてくれたのが姉さんと兄さんだったから……こう言っては何だがあまり気にしたことがなかった。
「私としてはもうどうでもいいことだから話をすることにあまり抵抗はない。けど決して気持ちの良い話でもない。それでも蓮は聞きたい?」
姉さんの言葉に俺は頷いた。
たぶんこれから聞く話は俺の想像を絶する内容なのかもしれない。正直怖いけど、何かに苦しむ姉さんを少しでも助けられるように……俺は話を聞くことを選択した。
「分かった。……そのね? 出来たら気持ち悪いって私を拒絶しないで――」
「するもんか。俺は絶対に姉さんを拒絶しない」
手を強く握って俺はそう言葉にする。姉さんも俺の手を強く握り返し、そして話してくれた。
「私が中学の時、蓮が小学校の低学年の時ね。私はあいつに、実の父に犯されたのよ」
「……………」
まるで今この瞬間、俺たちの空間が世界から切り離されたように音が消えたのを感じた。
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