十五話 今度こそ、殴るわ

 バステュール邸の地下廊へと足を運んだ私。それは彼等の悪事を暴く為だった。

 先程までは……。


 バァーン!


 風の魔法で木製扉を吹き飛ばし、中へと侵入した。扉ごと吹き飛ばされた使用人達は、壁に打ち付けられて気を失っている。

 勿論、そんな事は想定すらしていなかったけれど。


「だ、誰だ!」


「お前は、ヴェロニカ家の……」


 そこには今にも女性に襲い掛かろとするレイモンド・ファレーロ子爵令息とディートリヒ・ヨーハン財閥御曹司の姿があった。


「お取り込み中、無作法な訪問をお詫び致します。何やら不穏なお声が聞こえましたので」


 両手を腹部に添え、深く頭を下げる私。なぜこの状況でそんな事をしたのか。それは私の中に潜む恐怖心を抑える為だ。鮮明に甦る一〇回目の死。一歩間違えていれば、あそこ・・・にいたのは彼女ではなく、私だったのかもしれない。


「……バレちまったんなら仕方ねえ。予定より早いが、この女も捕まえろ!」


 上着から刃物を取り出し、身構えるディートリヒさん。彼の言い様を聞くに、元より私の事も目を付けていたようね。断罪の日、なぜ彼等が私を連行する事になったのか。恐らくは何らかの形で仕組んでいたんだわ。

 なら、今ここで、その事象を潰してしまえば良い。


「なんて紳士の風上にも置けない立ち振る舞い。その野心諸とも、炎に焼かれて慙悔なさい!」


 両手をディートリヒさんに向け、炎の魔法を放つ。


「うぎゃぁぁぁーっ!」


 致死量の炎ではないけれど、これで暫くは動けなくなるはず。残るはもう一人、レイモンド様ね。


「くっ! こんのぉ!」


 流石は堕ちても貴族。レイモンド様は素早い身のこなしで近付き、私の腕に掴みかかる。でも残念ね、魔法を行使するのは片手で十分。


「少し熱が入りすぎよ。冷まして差し上げるわ」


「な、なんだと!?」


「ふぅーっ」


 掌を口元に添えて、凍てつく吐息を放つ。


「うっ……が……」


 瞬く間に氷結させられたレイモンド様は、剥製のように石畳へ転がった。

 つくづく自分でも思うわ。端から見れば、今の私は完全に魔女ね。ヴェロニカ家の使用人達が怯えるのも無理はない、か。


「さあ、もう大丈夫よ」


「グス……グス……ありがとう……ございます」


 忍び泣く女性の傍に寄り添い、手巾で涙を拭ってあげる。よく見れば本当に整ったお顔立ちで、大人しそうな子だわ。どうしてこんな子が巻き込まれてしまったのか。それは私に知る由もない。


「誰だ! 誰かいるのか!」


 個室の外から聞こえる数人の足音。


「こ、これは……」


 私達の元へ駆け付けてきたのは、オーウェン様だった。数人の衛兵を引き連れ、目の前の光景に驚愕する。

 当然ね。まさか自分の敷地内でこんな事が起きているだなんて。


「ご覧の通りですわ。レイモンド・ファレーロ様とディートリヒ・ヨーハンさんのお二方は、こちらの女性を拉致監禁、暴行を働こうとしておりましたの。貴方様の、お屋敷で」


「な、なんて事を……。貴様等ぁ!」


 バキィ!


 観念したように項垂れるディートリヒさんの顔を、オーウェン様が思いきり殴り付ける。その拳には、怒りや嘆きの感情が合間見えていた。自分の家で卑劣な事をされた怒りと、未然に防げなかった事への儚さと。


「アンスリア、本当に面目ない。君を危険な目に遭わせただけでなく、こんな下衆共を招いてしまっていたなんて。俺はバステュール家の家名に泥を塗ってしまった」


「いいえ、お気になさらず。偶然居合わせただけですから、貴方様の失態ではありませんわ」


 冷静を装い、そう返す。本当の私は、眩暈がするくらい震えてしまっているけれど。

 まぁ、自分の落ち度に反省をしているなら咎めはしないわ。


「ああ、ありがとう。彼等の身柄は預かるよ。折角の夜会を台無しにしたくないからね」


「ええ、お願いします。私はもう一つ、所用がございますので」


 これ以上は私の出る幕ではないわ。これはあくまでもバステュール家で起きた出来事。彼等にどう処罰を与えようが与えまいが、ヴェロニカ家が口出しするべきではないわね。


 ━バステュール邸・大広間ホール


 地下で何が起きていたかも露知らず、楽団の演奏に酔いしれる紳士淑女達。

 十代半ばにして既に未来を見据え、この夜会にて後の伴侶を捜し求める。爵位の高いものに群がり、我こそはと取り柄を自賛するその姿は、まるで餓えた獣ハイエナね。

 リリアンさん、もしかして貴女もなの?


「リリアン、そろそろ踊らないか?」


「そ、そんな、私にはとても……」


「大丈夫、私が付いているから」


 私が目の前に居る事さえ視界に入らず、甘く純真な空間を彩る二人。


「ごきげんよう、ジェラルド様、リリアンさん」


「あっ、アンスリア様! いらしていたんですね!」


 ニコリと微笑む私に、大層はしゃぐリリアンさん。


「ええ、暇を持て余していたから、少し顔を出してみたの。そうしたらなんと、下箋な輩と遭遇致しましたわ」


 表情を崩す事なく、まるで世間話をしているかのようにそう話す。

 当然だけど、私が何を言っているのか露ほども理解できない二人。ジェラルド様とリリアンさんは揃って小首を傾げる。


「平民出身の女性を誑かし、薬で眠らせた挙げ句に辱しめようとしていた方々を」


「……!」


 途端にジェラルド様の表情が青褪めていく。

 ここまで言えば、流石にわかったのでしょう。私が誰の事を言っているのか。どれだけ口調を変えて穏和な仮面を被ろうと騙されないわ。彼の本性を何度も見てきたんだから。


「……そ、そうでございますか。いやはや、とんでもない不届き者が忍び込んでいたものですね。同じ貴族として、寛容できません」


 既に剥がれかけた耄碌な仮面。ぎこちなく笑い、大袈裟に怒る。


「あら、おかしいですわね。私、その者達が貴族だなんて仰いましたか?」


「……くっ!」


 とうとう素の顔を晒してくれたジェラルド様。奥歯を噛みしめ、眉間に皺を寄せる。何とも滑稽で醜悪なお顔なのか。お陰様でよくわかったわ。


「やはり貴方様も共謀していましたのね」


「ち、違……私は……」


 バゴォッ! ガシャァン!


 私の拳が、全力でジェラルド様の頬を打ち抜く。晩餐が並べられた食卓に乗り上げ、そのまま奥へと転がり落ちる。ざわざわと人が集まり、私達を取り囲む。途端に観衆の的になってしまっていた。

 私自身でも、こんな展開になるとは思っていなかった。私の腕力なんて高が知れているのに。貴族なだけに最低限の労力しか使っていないのだから、それこそ人並み以下の力しかないはずだわ。なのに何故……。

 考えれば考えるほど、頭が痛い。視界が歪む。


「ジェラルド様!」


 悲嘆に叫ぶリリアンさんが駆け寄り、ジェラルド様を看る。


「アンスリア様、なんて酷い事をするんですか! 」


 リリアンさんが私を見るその目付き。何度も味わった経験ね。彼女が私に向けるそれ・・は悪役令嬢に刃向かう主人公ヒロインの目だわ。

 どうしてこうなってしまうのだろう。誰かの役に立とうとすると、違う誰かの敵になる。

 本当の悪は、私ではないのに。


「リリアンさん、貴女も睡眠薬を飲まされているかもしれないわ。お早く安全な場所に」


「そんな! 私は飲まされてもいないし、眠くなんてありません!」


「……そう」


 もし本当に飲まされていないのであれば、完全に私の敗けだ。ジェラルド様はレイモンド様達とは無関係。レイモンド様が悪事を働いていたなんて初耳だ。そう言い逃れられてしまうでしょう。

 結局私がした事は、事実無根の嫌がらせ。ただの暴力女。


 駄目だ。目が霞む。何も考えられない。

 もう、帰ろう。


「きゃあーっ!」


 突然響き渡る悲鳴。我先にと人だかりを薙ぎ倒して逃げ去る紳士達。


「ぜえ……ぜえ……おい、ヴェロニカ!」


 そう私の名を叫ぶのは、ディートリヒさんだった。興奮したように息を乱し、形振り構わずナイフを突き立てる。

 完全に正気を失っているわね。この場でそんな事をしてしまえば、全てを失いかねないのに。


「ディートリヒさん、その辺でお止めなさい。今ならまだ、戻れるわ」


 両手を広げ、無抵抗の意思を表す。仮に刺されたとしても、どうせ私は死なないんだ。だから恐くはない。


「くっそぉーっ! くそくそくそーっ! 俺を馬鹿にするなぁーっ!」


 遂に激情してしまったディートリヒさんが駆け出した。当然狙いは私。

 いいわ、私は逃げも隠れもしない。未来がどうなるのか、見てやろうじゃない。


 グサッ! ブチブチブチ!


 生温かい液体が私の頬に色付けられ、床へと滴り落ちていく。

 皮を、肉を断裂させる鈍い音も聞こえる。それはとても不快な音で、何度か聞いた事のある響きだ。断罪の日、自分の腹部を貫いた時と、同じだ。


「嘘……どうして……」


 でもそれは、全て私のもの・・・・ではなかった。

 こんな事は、今まで起きた事は無かったのに。

 ただの、一度も。

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