ライトピアを求めて
赤尾 常文
第0話 家では書けない。いや、書かない。
北関東のとある町に、小説家を夢見ている男がいた。年はもう四十五になる。両親と猫との、三人と一匹暮らしだ。
大学を卒業して数年プー太郎を経験し、地元の企業にコネで就職して、もう二十年。その間ずっと、親に隠れて小説を書いたり書かなかったりしている。
文学賞には数回応募したが、何の音沙汰もなかった。男自身が、受賞する作品を書けたとは思っていなかったので当然だ。何とか書き上げて、送ってみた、くらいの話である。
そんな調子にもかかわらず、未だに夢を諦められないのは「夢を持っている自分像」にしがみついているだけなのかもしれない。中学生の頃に抱いてしまったこの夢に、囚われているだけなのだろうという自覚もあった。
ともかく男は、自分の作品を世に出すことが、自らが幸福となる唯一の道だと定めてしまった。全く不憫なことである。
共に後期高齢者となった両親が未だ健在なことも、水準は低くともサラリーマンとして一応は安定した収入を得ていることも、不健康な生活で不健康な体形にもかかわらず大病に至らないことも、彼にとっては、幸せに感じられる要素ではないのだ。
人によっては、贅沢な悩みだと憤慨されることもあるだろう。だが残念なことに、幸せの基準は人によって違う。彼が何に幸せを感じるかは、彼にしか決められない。
彼自身、重々そのことを理解しているため、自分の夢については、ほとんど他人に話したことがない。
男は、ずっと家族の共有スペースにあるデスクトップパソコンで執筆していた。両親がいつも居る居間に隣接した部屋で、モニターは両親に対して背を向けているため、通常は画面を見られることはない。
だが、当然両親は動く。その部屋を通過してトイレにも行くし、料理も運ぶ。そしてあろうことか、その部屋は室内干しの部屋でもあるため、頻繁に洗濯物が干される。集中して執筆できる環境ではない。
また、居間のテレビの音は大きい上に、視線をずらせば視界に入る位置にあるため、こちらも集中を削がれる。
そのパソコンは、別段家族共有というわけではない。両親はパソコンを操作できないし、興味もない。そのため、移動するのは男の自由だし、むしろ、両親から机を含めて邪魔者扱いされてすらいる。
それでも男はそこを選んだ。一度は自分の寝室にパソコンを運んだこともあったが、また戻ってきた。
おそらくは、集中できないその環境に、慣れてしまっていたのだろう。もしくは、男の中の怠け癖が、無意識に集中できる環境を拒んでいたのかもしれない。集中できる環境にあって、何も書けなかったでは済まないからだ。
だが、その生活もある日を境に変化していくことになる。
昨年の冬、男はノートパソコンを買った。
十年ほどの付き合いであるデスクトップパソコンの調子が、いよいよ悪くなってきたからである。壊れてはいないが、もうすぐ壊れそう。そんな微妙な状態だった。起動し、ソフトウェアがまともに動くようになるまでに、五分以上かかるようになった。勝手に問題解決ソフトが起動し、終了させても何度も立ち上がる。電源を切っても、勝手に問題を発見して、セーフモードにしてしまうため、コンセントを抜くしかない。
長年連れ添った相方がボケ老人のようになってしまったことに、男は若干の淋しさを覚えた。だが、一方で小柄で美しいパートナーに憧れを抱き、きっかけを探していたのも事実だった。かくして、男はあっさりと鈍色に輝くスタイリッシュ美人を迎え入れたのだ。
そうなると、もう机に縛られている理由がない。
居間の炬燵の上だろうが、自室の枕元だろうが、お構いも節操もありはしない。
それならばさぞ執筆も捗るだろうと思いきや、そううまく行くものでもない。いつでもどこでもパソコンが使えるということは、いつでもどこでも、スマホよりも大きな画面でネットが見られるということでもある。家屋内に飛翔しているらしい、Wi-Fiの所業だ。
ちょっと検索だけするつもりが、いつの間にか動画を何本も見ている。検索結果のトップに動画が出てしまうのが最近の風潮であり、まんまと男はそれに引っかかっているのだ。
それだけではない。家にあるあらゆるものが、男の執筆の邪魔をする。山積みの未読本が、漫画が、ゲームが、撮りためた番組が「ほらほら、僕らの消化もすすめないといけないんじゃないの?」と男を責め立て、執筆意欲そのものを、自分たちに置き換えてしまうのだ。しかも、男にとってはそれも一つのタスク処理をしたことになり、罪悪感も薄れさせるため、余計にたちが悪い。
かくしてノートパソコンを買ったはいいが、執筆活動が一向に進まないまま、数か月が過ぎた。
そんな調子だった男が一転やる気になったのは、何かきっかけがあったわけではない。
ただ単に、耐えられなくなったのだ。
仕事の日はもちろん、休日で家にいながらも、結局何も進まない。何も変わらない。何も成長しない。
このままでは、自分は一生このままだ。元々現状に満足できていない哀れな男が、その状況に、その先の未来に、耐えられないのは必然だったとも言えよう。
この症状は定期的に現れる。この二十年の間、何度も男は悩み、苦悶してきた。だが、何も変えられなかった。
それなのに、いつもその衝動に抗うことはできなかった。自分を諦めることができなかった。今回も同じだ。今からでも、何かが変わると、そう信じてしまうのだ。
だからと言って、すぐにずらずらと書けるかというと、そうではない。親の目はやはり気になるし、誘惑にも負けてしまう。
男は昔、何かの漫画でこんな台詞を読んだことがあった。漫画家を目指す息子が母に「見るなよ」と言って原稿を隠す。すると母がこう言うのだ。
「あんた、親に見られて描けないくらいなら、描くのやめたほうがいいんじゃないの?」
無論、これは男のあいまいな記憶であって、ここまで辛辣だったかは定かではない。この台詞は男の胸にも深く突き刺さっており、親の目を気にするたび、読書やゲームに逃げてしまうたびに、鈍く痛む。
そこで今回男は、こう開き直るに至った。
仕事は仕事場でやるもので、家庭でやるのは仕方がない状況下での「在宅ワーク」にすぎず、本来家庭に仕事を持ち込むべきではない、と。
つまりは、家は仕事場じゃないから、できないのはしょうがない、という内容の屁理屈である。ろくに書けてもいない小説を「仕事」扱いするおこがましさは、もはや男に備わった数少ない能力なのかもしれない。
だが、男に小説を書く「仕事場」はない。多少の蓄えがあるとはいえ、仕事場としてアパートなどを借りるのはあまりにも馬鹿らしい。もちろん、本当の職場に持ち込むなど、問題外だ。
そこで男は、決心した。
どこか、外で書こう。
カフェやファミレスで原稿を書く小説家が本当にいるということは知っていたし、憧れてもいた。本当に集中できるのか、店員から邪険にされないかは心配だったが、男はもう、次の休日にファミレスで執筆すると決めていた。
普段はぐだぐだと理屈っぽいくせに、この男はこういう時だけ豪気になる。「わからないならとにかくやってみる!」などという、似合わないモードがこっそり搭載されているのだ。
そうと決まったら、急に次の休日が楽しみになった。
同時に、平日は書かないと決めたことにもなるので、気も楽になった。全く単純な男である。
さらには、平日にはどの店が良いか、何を食べるか事前にリサーチして、執筆の前にメニューで迷わないようにしよう。そして、できるだけ様々な場所を巡り、理想の執筆空間(ライトピア)を探すのだ、などと、前向きかつ壮大なことまで考え始めている始末だ。
男はいたって楽しそうだったが、四十五になる息子のそうした変化を、何も知らない両親は不気味そうに眺めていた。
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