第10話「落涙」

「失礼致します」


 陛下が入室を許可すると、一人の年配の女性が入って来た。

 飾り気のない紺色のドレスに白いエプロンという、所謂メイド服に身を包み、

 髪をきっちりと結い上げている。

 彼女は丁寧な仕草で陛下に一礼し、それから私へと視線を向けた。


「お初にお目にかかります。私はマティルダと申します」

「初めまして。……私は美夜、ミヤ=スメラギと申します」


 仕草こそ丁寧だけど、どことなく私を値踏みするみたいな目だ。

 こういう目で見られることは私にとって珍しいことじゃないけれど、それでも落ち着かない気分にさせられる。

 表面上は、全く気付いていないような顔して会釈した。

 陛下が一歩歩み出て、彼女に言葉をかける。


「マティルダ、もしかしてクラヴィスから事情を聞いたのか?」

「はい。私めに、こちらのお嬢様のお世話をして差し上げろと。それに、サーシャを美夜様付きの侍女に任命するとも仰せられました」

「サーシャを?」


 陛下は、少しばかり驚いた様子を見せた。

 それから顎に手を添え、何かを思案する仕草をする。


「確かに適任だが、クラヴィスは何故そうしようと思ったのだろう?」

「さて。何かを学ぶいい機会だと思ったんでしょうね」

「……なるほどな。確かに、彼女にとってもいい話だ」


 陛下と言葉を交わした後、マティルダは再び私を一瞥する。

 いったい彼女の目に、私はどのように映っているのだろうか。

 彼女の視線が下方へと動き、それから眉を顰めた。


 何だろう、と一瞬思ったけれどすぐに合点が行った。

 陛下は確か、この国では女性が膝を出すのは一般的でないと言っていた筈だ。

 ということは、膝丈のセーラー服姿の私は品のない小娘のように見られているのかもしれない。

 私と目が合うと、彼女はごく自然な動きで視線を移動させ、陛下に向き直った。


「サーシャの他に、マルガレータとロザリンドも付けようと思います。当面、この三人が直属の侍女ということでよろしいですか?」

「美夜、少なく感じるかもしれないが常任者がこの三人というだけで、必要に応じて人手を増やす」


 つまり、私に専属のメイドが三人も宛がわれるということか。

 私は慌てて頷いた。


「十分です」


 そもそも、今まで侍女に世話をしてもらうどころか、私が侍女のような役割をこなしてきたのだ。  

 それも抜きん出て優秀な侍女以上の働きを、勉強と両立しながらである。

 伝えるべきことは伝えたようで、マティルダは入室時と同じようにお辞儀をしてみせた。


「以上でございます。彼女たちは後ほどお部屋に遣わせます。また、お食事の支度に取り掛かろうと思いますが、食べられないものはございますか?」

「いえ、特にありません」

「結構なことでございます」


 マティルダは私の言葉に頷き、それから陛下を意味深に見た。

 そんな彼の顔を横目で伺うと、そこには苦々しい笑みが浮かんでいる。

 ……もしかして、陛下は食べられないものが多かったりするのだろうか。



「陛下、クラヴィスというのは……」


 マティルダが退室した後、私はそう尋ねた。


「クラヴィスは、ブラギルフィア王国の現神使だ。美夜がこの世界に来た時、同じ部屋にいた女性だが、さすがに周りを視認できる状況ではなかったな」

「覚えています。では、あの方がマティルダ……さんに、事情を話してくださったということでしょうか?」

「そういうことになるな」

「それは助かります。いずれお礼を申し上げたいです」


 私が口にした言葉は、あながち口先だけということもない。

 けれど、同時に疑念を抱きもして、あの時の状況を思い返す。


 こちらの世界に降り立った直後、私の扱いはまるで罪人……というより害獣そのものだった。

 陛下がどうやってあの状況から私を連れ出したかはわからないけれど、彼らの私に対する悪意がすぐに雲散霧消したとは思えない。


 そんな中、クラヴィスという女性はどうして私をゲスト扱いする気になったのだろう?

 マティルダの話を聞く限り、サーシャはクラヴィス付きの侍女か何かのようだ。

 見ず知らずの、それも害獣同然の異邦人に自分の侍女を与えたりするだろうか。

 私が人一倍疑い深いことを考慮に入れても、何だか不自然に感じる。

 クラヴィスの思惑が何であれ、注意しておく必要がありそうだ。


「陛下。神使というのはどういった役割を担うのですか?」

「神使は、そうだな……」


 陛下は少し考えてから口を開いた。

 何だか、言葉を慎重に選んでいるみたいに見える。


「ブラギルフィア王国において、王に次ぐ地位ということになる」

「王の次……ですか」


 その言葉に、少なからず驚いた。

 つまり、あの女性は相当な権力を持っているということか。

 そういえば、あの場にいた男たちは彼女を守ろうとしていたっけ。


「神使が担う役割を一言で説明するのは難しいが、ブラギルフィア王国の象徴として、尊重すべき存在だ。ある意味では、国王よりも重要な存在と言えるな」

「なるほど」


 私は率直に頷いた。

 何となく、だけど陛下の言わんとすること……いや、言及を避けようとすることが見えて来た気がする。

 綺麗な表現を用いてはいるけれど、要するに神使というのはお飾りに近いのではないだろうか。


 その時、ふとある疑問が脳裏を掠めた。

 地位の高い女性と言うと、すぐに思い付く役職がある。

 王妃だ。


「神使と王妃殿下は異なるものなのですか?」

「……いや」


 陛下は首を左右に振った。そして、一拍置いて再び口を開く。


「神使が王妃にならなければいけないわけでも、また、王妃が神使の役割を担わなければならないわけでもないが、この二つは密接な繋がりがある。実際、ブラギルフィア王国の歴史を振り返っても、神使の才覚を認められた者が王妃になる事例は非常に多い」

「そうなのですか」


 私は頷きながらも、心臓が早鐘を打つのを感じた。

 じゃあ、あのクラヴィスという女性は、まさか……?

 

 陛下の年齢は二十歳前後というところか。

 この世界の結婚適齢期はわからないけれど、既婚者だとしてもおかしくない。

 尋ねてみようかと思ったけれど、結局口を噤んだ。


 だって、私には関係ないもの。

 ああ、何だか身体に力が入らない。私は半ば崩れるように長椅子に腰を下ろした。

 そんな私に、陛下が柔らかな笑みを向ける。


「すまない、俺ばかり喋りすぎてしまったな。疲れただろう」

「そう、ですね」

「そろそろ侍女たちが食事を運んでくれる頃だ。ブラギルフィアの食事が口に合えばいいのだが」

「……はい。ありがとうございます」


 言葉少なに答えながらも、私の胸中は全く穏やかではなかった。

 自分でも何がこんなに気になるのかわからない。


「さて、俺はそろそろ退室しよう。では、食事の時間まで楽に過ごしてくれ」

 それだけ言って部屋を出て行こうとする陛下を、何を思ったか咄嗟に引き留めてしまった。

「あ、あのっ」

「どうした?」

「えっと」


 何を言おうとしたのか、そもそもどうして引き留めたのか自分でもわからない。

 無理矢理引き出した言葉は、果たして私の本心だったのだろうか。


「私はこの世界のお金など持っていませんから。後で請求されても困ります」

「まさか」


 陛下は慌てて首を横に振り、先ほどと同じ言葉を口にする。


「この部屋は美夜の部屋だ。自分の部屋で過ごすのに滞在費など必要ないだろう?」

「はぁ、まぁ」


 そう言われても、すんなりと納得できない……というより、正直なところもう少し彼と話がしたかったというのが本心だろうか。

 陛下は一礼して、それから……私の勘違いでなければ、名残惜しそうな視線を投げ掛けてから、今度こそ部屋を後にした。



「……さて、と」


 一人きりになった私は、口に出してそう言った。

 実のところ一抹の寂しさが全くないと言えば嘘になるけれど、それでも一人になってほっとしたのも事実だ。

 生来の私は人目のない場所と状況を好む。


 シルウェステルが持って来てくれた鞄を検めたところ、荒らされたり物を抜き取られた形跡はない。

 おそらくは中身の確認ぐらいはされているだろうけど。

 そう考えると、あまりいい気はしない。

 私は鞄の中から小さなぬいぐるみを取り出した。

 それは、両の掌で包み込めるぐらいの大きさのうさぎで、バレリーナのような衣装を身に着けている。

 普段は部屋に置いているけれど、ここ数日はある理由から持ち歩いていたのだ。


 私はぬいぐるみを胸に抱き、ぎゅっと握り締める。

 これは、謂わば母の形見である。

 彼女がこちらの世界で過ごす間に縫ったものだという。

 当然、材料は全てブラギルフィア国内で調達したものばかりだ。


 くだらない感傷的だと笑われるかもしれないけど、高校に入ってからの数週間はなかなかに辛かった。

 お金の管理も含めた家事をこなしながら勉強して、それこそ寝る間も惜しんで努力して、ついに志望校に受かった。

 それも、四位という成績でだ。


 けれども、そんな私を待っていたのは伯父の落胆と倫香たちの嘲笑だった。

 さすがに認めてもらえるのではないかと思っていただけに、私も結構傷付いたのだ。

 それに加えて、入学早々にバンビ一味から目を付けられることになった。

 挙げ句に殺されそうになったのは、ほんの数時間前だ。


 ……果たして、私はここまで責められなければいけないほど悪しき存在なのだろうか?


 一人になったことで、緊張の糸が切れたのだろうか。

 頬を伝って零れ落ちた雫が、ぬいぐるみの耳を濡らした。

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