第10話 澄んだ心

「行くか!」

「うん」

「はい」

「が、頑張ります」

「……」

 それぞれの思いを胸に、五人は理央の通っていた学校の正門前に来ている。

 俺、カレン、伊織、響子、そして理央。理央だけは少し不安げな顔を学校に向け無言で眺めている。

 ここには正直理央には来てほしくなかったのだが、本人がどうしても行きたいというので同行してもらうことにした。それでも、ここまで来ても俺は気が進まなかった。


「理央さん……無理はしなくていい」

「だ、大丈夫、です。……行けます」

 こくんとうなずく理央にの顔にははっきりとした決心が見て取れて、俺も「わかった」とうなずくことしかできなかった。


 本当なら入ることのできない校舎に、こうして5人で何事もなく入れたのは理央が転校するにあたって残った私物を取って、探して、回収するためっていう名目です。ほんとうは両親がすでに運び終わってるらしいけど。

 それでもこの学校に来る理由。闇の中に消えたあのモノがいるから。


 学校内で通っていた部室、それから更衣室、下駄箱、皆で見て回っていく。

 自分の通う学校と違うので、結構真面目に見ちゃうもんだな。伊織は「進学するときの為の下見」とかいって割と乗り気で付いてきたし。

 最後に残ったのは理央の机のある教室。

 俺はできれば入りたくなかった。そこにアイツがいたから。


「あ、先生……」

「市川……さん?」

 今日、この学校に来ることを決めた時、ここに来てもらえるように響子、理央姉妹の両親からお願いしてもらっておいた人物。理央の担任[早川香里]。女性の教師だ。

 その先生がある机に座って俯いていた。

「こんにちわ、市川さん。体調はもういいの?」

「え、ええまぁ、おかげさまで」

 途端に理央の様子がおかしくなった。俯いて、少し息遣いも荒い。

「私をここ呼んだのはあなたなの?」

 少し怒気のこもった大人からの言葉にたじろぐ女の子達。


「いえ、今日呼んでもらったのは俺です」

「あなたは?」


――ちょっと、いやかなり怖いけどここは男気見せておかないと!!女の子達の前だし、それに……伊織がいるし。


「俺は藤堂真司です。理央さんの友達の一人です」

「そうなの……」

――勝手に友達って名乗っちゃったけど、大丈夫かな? ううぅ~、今は後ろ見て確認してる場合じゃないけど、怒られたりしたらどうしよう。後でちゃんと謝ればわかってもらえるよね。うん。

などと小心ぶりを胸の内で発揮する俺。


「それで? その藤堂くんは、どういったご用件なのかしら?」

冷たい声が今度は俺に向いた。

 ここは直球勝負で行くか。ここで弱気になったらまた引きずり込まれる。心に決めてクチにする。


「先生、お聞きしたいんですが、理央さんが体調を崩し始めた頃、良くお宅に連絡をしていたそうですね?」

「え? ええそうね。それがなにか? 先生が心配して連絡するなんて当たり前でしょう?」

 少し笑みがこぼれている。

「そうですね。それが本当に心配しての事だったら、すごく立派な先生だと思います」

 それを聞いた早川先生は額が少しピクッと動いた。

「何が言いたいのかしら?」

 辺りに少しピリッとした空気が流れる。

 俺はそれでも話をやめない。

「あなたは知っていたんだ。理央さんに昔の自分がいていることを! いや、もしかしたらあなた自身がそうさせたのかもしれない。だから、ソレが心配だっただけですよね?」


 辺りにとうとう黒い霧のようなものが広がってきていた。

 市川家で見たそのモノと同じような。今回は出ている人が理央ではなく、早川香里からソレは伸びていたのである。

 目を見開いた様子でこちらをうかがう先生。そして感じるこの感じ。あの時感じた闇の部分。気づいた俺だったが動けずにいた。すでに引かれ始めている。


 それにいち早く気づいたのは伊織だった。早川から放たれる怒気にひるんでしまったものの、義兄に迫る闇と、引かれかけている義兄の心を助けるため、我に返ってシンジの前に飛び出していた。それはちょうど早川と真司を遮断する形になった。


「い、伊織」

「お義兄ちゃんは私が守るから大丈夫!!」

「え、あ、ごめん!!」

 何故だか謝った俺に、伊織は優しい笑顔を向けてくれた。

――うん、やっぱり我が義妹いもうとはかわいいっっス。


「何なの? あなた何なのよ?」

 先生がつぶやきにも似たその言葉を発した時そのモノは現れた。それは、髪が長くて眼鏡をかけた女の子。

 でもそれは今、長い髪をなびかせ怒りに燃えた目をしてこちらをにらみつけている。

 顔の輪郭は幼くてまだ丸みを帯びているけど間違いない、子供時代の早川香里だろう。


――本心言うとめちゃこえぇぇぇぇぇ!! て感じ。


「あ、あなたが小さい頃、どんな目に会ってきたかは知らない。でも、同じような境遇にさせようとするのは許せない。しかもあなたはそれを利用しようとしてる。それだけはさせるわけにはいきません!!」

「え!? 利用ってどういう事?」

 三人で隠れて固まっていた中の一人、カレンが叫ぶように声を出した。

 後になって聞いたら「隠れてたんじゃなくて二人を守っていた!!」とカレンは怒りながら言っていた


「この人は、理央さんがクラスの中で悩んでるのを何かで知った。そしてそれが元で昔の自分が理央さんにいてさらに追い詰めようとするのもわかっていたんだ。でもこの人は自分の価値を上げる事にそれを利用しようとした。その裏ではたぶん「クラスの子を助けた私」とか、「いじめを未然に防いだ私」とか考えてたんだろうけどな」

「な、なにそれ……」

「そ、そんなことのために……」

 カレンと響子がキッと早川をにらみつける。


「そうよ、私は昔いじめられっ子だった。すごくみじめで、考えて。でも復讐とかできなかった。そのことがあって先生になって、私みたいな子を救ってあげようって思ってたのに、なのに、なに? 先生になってもそんな立場にさえなれないでいる。だから、その子を利用して、友達のいないコを利用して私は私が必要だっていう環境がほしかったのよ!!」

 咆哮ににも似た言葉が教室の中を響き渡る。同時に闇も教室の中に広がっていく。


――まずい!! このままじゃみんな引きずり込まれる!!


「ねぇ先生……先生には感謝しています……」

 闇を引き裂くような、そんな澄んだ声が聞こえた。

 それは誰でもない、今まで何も話さなかった理央だった。少しだけ前に出て来て話し出す。その表情はとても辛そうで寂しそうで、でも凛としていた。


「先生には、本当に感謝しています。悩んでて誰にも言えずにいた私に、すごく親身になってくれて……」

「でもそれは……」

 話を折ろうとする俺を、隣にまで出て来ていたカレンが肩に手を置いて首を横に振った。

「すごく嬉しかった。たとえどんな思いが先生の中にあったとしても、あの時の言葉は真実でしょ? 私はそれに救われたの!!」

 理央の頬を涙がキレイに伝い落ちる。


「い、市川さん……」

 先ほどまで立ち込めていた闇が引いて薄くなっているように感じた.

 今がチャンスなんだけど、俺の出番はまだ早い。ここは理央さんに頑張ってもらうしかない。そんな視線を向けると理央さんは泣きながら笑っているように見えた。


「そして今、私にはこうして私の為を思ってくれる友達もできました。それは……先生、あなたのおかげなんです。だから、私はもう大丈夫です。先生の思うようにはなれなかったけど、私は強く生きていけます。今まで本当にありがとうございました」

 理央は腰を折ってお礼お述べた。それはとても深く心からのものだと思える程に。


 最初は戸惑っていたような表情をしていた早川も、流れる涙をぬぐうこともせず、ただ黙って立ち尽くしている。


「ごめんなさい、市川さん。私は、私の事しか考えてなかった。でも、あなたを助けたい。救いたいって思ったのは本当なの。でもそれだけじゃだめなのね……」

 そう言って、その場に泣き崩れていく早川からは、もう闇のように黒い顔をした後ろの女の子の姿は見えなくなっていた。


「先生、先生は一人の生徒を救ったという事実は変わりません。理央さんにも先生にもそのことはずっと忘れないこととして残るでしょう。以前のあなたなら、もう戻ってこれなかったかもしれませんが、今のあなたならもうその心配はないと思います。負けないでください」

 俺はここが分岐点だと思い、まだ少し怖いと感じる身体に力を込めてようやく言葉を発した。


「ありがとう……」


 今日は二つの大きな事ができた。一つは理央が大事な友達が側にいる事実を知る事。もう一つは先生早川が生徒を救ったという事実を知って自信を持つこと。これは今後二人にとって大きく影響をもたらすだろう。

 早川にとっては自分のした行為も、改めて認めてしまうことになるのだが、それはもう俺たちの考える事じゃない。


 伊織に頼んで職員室へと迎えの大人を呼びに行ってもらった。初めて訪れる学校だけど、賢いあの娘なら大丈夫だろう。

 その後は誰も言葉を発することもなく十数分の時間が経った。もうすぐかな? なんて思っているとちょうど先生と思われる男性と女性二人を伴い伊織が戻ってきた。職員室から来てもらった先生に、泣き崩れる早川を預けて、俺たちはその学校を出ることにした。


 入る時とは違って校門の外側に出ると、なんだか心地いい温かい気持ちになっていた。


「さっきの、藤堂クン、少しカッコよかったよ」

「え!?」

 突然、響子から爆弾が投下された。思ってもいない言葉にみんな黙り込む。

「ど、どこがぁ~?」

 カレンが噛みつく。

「そ、そうですね、お義兄ちゃんは私の後ろに居ただけですし!!」

 慌てたように伊織も噛みついた。


――あれ? なんか俺の評価が義妹いもうとから下がっている感じがする。事実だけど、事実なんだけど!! お兄ちゃんは泣きそうだぞ!!


「あはははははは」

 大きく笑い声をあげたのは理央だった。

「みんな、仲いいんだね」

 それには

「「「どこがぁぁ?」」」

 っていう言葉がハモった。


「みんな、ありがとう。大好き!!」

 理央の澄んだ涙まじりの声が、雲のない青く晴れ渡った空に響いていった。




「ともかく、今回もありがとう」

 カレンが前置きなく、いきなり頭を下げてきた。


――何だよ!気持ち悪いな!!


「い、いや、伊織が言ったように、俺は伊織の後ろに居ただけだしな」

 そういいながら、コーラを飲み込む。


 ここはカレンの事務所近くのファーストフード店、二階奥。

 今日はカレンとその横に伊織、その向かい側に座る形で俺が座っていた。

「わ、私は別に……」

 何かウチの義妹がクチをもごもごさせながら言ってる。なんかかわいいな。


「あの後、二人とも大丈夫か?」

「ええ、元気よ。来週には理央もウチの学校に来ることになってるし、響子も理央が来るからって張り切ってるし」

「そうか……なら良かった」

 少し前に解決した一件について、カレンと伊織とともに振り返りながら楽しく話していた。


 突然、ホントに突然カレンは言い放った。

「シンジ君て彼女いるの?」

「ぶふぅっ!!」

 思いっきり吹くとこだった!! あっぶねぇ!! 目の前の伊織に直撃は避けたい!!

 テーブルをふきふきする伊織。


「お、おま何聞いてるんだよ!?」

「なんでよ?別に変なこと聞いてないと思うけど?」

 いやまぁたしかにそうだけどさぁ、それを俺に聞くか? カレンが? それと、何で前のめりなのかな? 伊織クン

「義妹の前で聞かなくてもいいだろ?」

「いや、だからこそじゃない! 伊織ちゃんだって気になるでしょ? お兄ちゃんが誰と付き合ってるのか。別に隠すことでもないでしょ?」


――そんなバカな事、伊織が気にするわけ……。


「は、はい!! 気になります!! すごく!!」


――してたぁぁぁぁぁ!!


「い、いねぇよ!ってか生まれて今まで女の子になんて好かれたことありません!!」

「そうなの?」

「そうです!!」


――冷や汗が止まんねぇし。どうすんのこの空気。あれ? 伊織がなんか複雑そうな顔してクチをモニュモニュしてる。兄のモテなさっぷりに何か悲しくなっちゃったかな。伊織はモテそうだもんなぁ……。


「で?それがどうしたんだよ? 俺のモテないカミングアウト聞きたいわけじゃないんだろ?」

「いや? それだけよ?」

「それだけって……ほかにこう……」

「ない! ない!」

 は!? 何を言ってんのあんた!

 みたいな顔しやがって!


――そんな意味深なことこんな状況で聞いてんじゃねぇぇぇよぉぉぉぉぉ!!


 叫びたくとも叫べない俺がまたコーラをがぶ飲みするのであった。

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