あほでいたいけな従妹をたぶらかす夫なぞイラネ、と思った顛末。

江戸川ばた散歩

前編

「んがーっ! もういい加減にして欲しいっ!」


 私は自宅の執務室で愛用のデスクにがん! と両手を振り下ろした。

 いててててててて。


「だ、大丈夫ですか奥様」


 側仕えのメイドのリンダが慌てて私のもとに駆けつけてくる。


「あ、大丈夫。ついイライラが」

「いやそんなことおっしゃって、まあお手々が真っ赤に」


 そう言って大きな手で包み込んですりすりとしてくる。

 気持ちいい……

 じゃなくて。


「今日も旦那様はナツベリーのところに居座ってるのね」

「あ、……はい」


 リンダは私の言いたいことを察してか、やや声が小さくなる。


「今から言うのは愚痴よ愚痴。聞き流してね」

「はい」

「確かあの従妹のナツベリーがアポイントも無しにうちに突撃してきたのは十日前よね」

「はい」

「それから一緒に食事をするとかもせずに、ずっと自室かあのひとの部屋に居着いているわよね」

「はい。旦那様もわざわざ食事を運ばせて」

「自宅から何か言って来ないの?」

「手紙の類はございません」

「そもそも何であの娘はわざわざ結婚している従兄のところへ居座っているの?」

「とても厚かましゅうございます」

「そうよね。いくらうちが男爵家で向こうが子爵家と言っても、マナーとしてどうかと思うわよね。だって私は許可していないのだもの」



 我が家に夫の従妹、ナツベリー・ライム子爵令嬢は本当に唐突に押しかけてきた。

 私達このスクラム男爵家としては、やって来た時に夫のグルーカムが彼女を歓待してしまった以上、口出しがしづらい。

 ……し辛い、であって、できない、という訳ではないのだけど。

 そう。

 ものごとには程度があるのだ。

 幾ら十日とはいえ、子爵令嬢が一人! そう、一人っきりで! 侍女も保護者も無しで滞在なんてことになって!

 夫のグルーカムときたら、彼女につきっきりだ。

 実家の一族は一体どうなっているというの!

 ただでさえ男爵家の職務は私が大半していたのに、この十日ときたら、全部。

 全部! だ!

 いや仕事が嫌いな訳じゃないのよ。

 むしろ好きよ。大好き。

 領地経営も、領地の産物を使ってできた商品を開発販売するのも大好き

 そう、父の商才が私に遺伝したのだろう。

 ただ残念ながら私は女で、この国では直接の相続権が無かった。

 ので! 

 とりあえず婿として、グルーカム・ドライム子爵令息を婿として入れた訳だ。


 誰でもいいという訳ではなかった。

 一応こちらにも条件はあった。

 社交は任せる。

 経営は基本私。

 この条件を飲める次男三男以下の令息を探したらこうなった。


 私はこの結婚はまずまず成功だ、と思った。

 結婚式から二年、まだ子供は居ないが、役割分担も上手く行っているし、何より私が大好きな仕事を自由にできる。

 これはありがたい。

 だからまあ、彼が社交で多少多めの金を使おうとその辺りは目をつぶっていた。

 残念ながら、私は女性の社交がそう上手くない。

 数少ない、学校時代からの仲の良い友人は居るが、それ以外との…… 何というか、ふわふわとした交流が苦手で、つい実務の方に逃げてしまう。

 これはお母様からだけでなく、お父様からも注意されていたので、自分でも困ったものだと思っていた。

 だからこそ、社交を任せることができる夫はありがたいと思っていた。

 そう、彼は実際穏やかで、私の決定にはさして口を挟んでもこず、非常にいい婿なのだ。

 ――だが!

 伏兵がここで出てくるとは思わなかった。


 ナツベリー嬢がやってきた時のことは今でもよく覚えている。

 飛ばしてきた馬車から降り立った彼女は、音を立てて扉を開けると、「お兄様!」と飛び跳ねてきて、声を張り上げた。

 このナツベリー嬢、歳は十七。

 社交界デビュー直前。

 何で今この時にやってくる? と私は思った。


「やあぁ! ナッツ、よく来たねえ!」


 やはり自室から飛び出してきた夫は、階段をたたたたたたたと駆け下りて、彼女を軽々持ち上げた。

 スカートが沢山のペチコートと共にふわりと膨らんで、薔薇の花の様だった。


「まあそれはそれで綺麗でしたがね」


 リンダはそうばっさり感想を告げる。

 この乳姉妹のメイドは綺麗なものや可愛いものには目が無いのだ。


「ああ奥様それでも態度が悪いと見掛け五割減ですからね」


 はいはい、と私は答えたものだった。


「でもそろそろ本気で十割減になりそうですね」

「むむむ」


 さすがにこの可愛い女の子好きがそう言いだすくらいだから、何とかしなくてはならないのだろう。


「じゃ、乗り込むか」

「そうですわね」


 私達はふん、と鼻息荒く立ち上がった。

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