第17話

 王都にあるヒューストン侯爵家のタウンハウスに、大変珍しい客人が来た。


 それは事前にジェフリーから伝えられていた客人であったのけれど、来訪者が予定していた一人ではなく二人であったものだから驚いた。


 ——ジュリアス第二王子殿下とカチュア王女殿下である。


 王族二人の訪問。それはもう、屋敷は上へ下への大騒ぎだ。お茶もお菓子もお食事も下手なものはお出しできないし、調理人たちはかなり張り切っていた。——まあ出されるものは調理人たち一番の自信作「ジェフリーきゅん仕様」のお茶菓子でしょうけど。


 ジェフリーが好んでいる渋みの少ない茶葉は、子供でも飲みやすい。かわいらしいお菓子は子供に喜ばれるし——まあ丁度いいのかもしれない。


 そして王都にはちょうど、先日の騒ぎもあってお父様が滞在している。おそらくジュリアス殿下の本命はこちらだろう。


 エイジー男爵夫妻に下された沙汰によって、王太子の座を巡る情勢はかなり大きく動いた。


「ディオール公爵家に関わり続けるのはリスクが高い」と判断する貴族家が増え、現在では下位貴族のほとんどが第二王子側についている。


 ——キャスリーン夫人の所業は、王家によって詳らかにされた。


 後妻として入った家の嫡男に呪いの魔道具を仕掛け、医療費として贈られたお金を社交費として使い込んだ。そこにエイプリル王妃殿下が関わっていたことはさすがに伏せられていたが、聡い物は誰もが、「エイジー男爵家の令嬢が、エイプリル王妃殿下に脅迫されてカチュア王女殿下に危害を加えた」と実しやかに囁いている。


 人の口に戸は立てられない。まあ——事実ではあるわけだけど。


 修道院送りになったエリアス嬢とヒューストン侯爵家の庇護の下療養中の嫡男グレンには強い同情が集まった。後妻の所業を諫められない程度に凡愚であった父と違い聡明なグレンには、次代を担う者としての期待も集まっている。そしてエイジー家に温情をかけるように進言した我が家——というかわたくしへの評価も高まっていたりする。……そんなつもりはなかったんだけれどね。


 中央が大きな動きを見せ始めたこともあって、さすがのお父様も領地に引きこもっているわけにはいかなくなった。それでここ数日は王都のタウンハウスに滞在していると言うわけ。


 ジュリアス殿下から訪問の先触れがあったのはそんな最中。ジェフリーは行儀見習いという名目ではあるけど殿下の従僕だし、カチュア殿下はシェリーやユージンと『ご学友』だし、我が家を訪れること自体は何ら不思議なことではないのだけれどね。


 ただ一点、問題があるとすれば、ジュリアス殿下がご令嬢がたとの接触を極力避けてきたということだ。ジェフリーの話では、王都にいる貴族に用事がある時は王城に呼びつけるか、その家の御令嬢が留守にしている日を狙って訪問していたのですって。ここまで徹底した女嫌いの殿方も珍しいわよね。


 けれど今回はアカデミーが休みの日——つまりわたくしが屋敷にいる日をわざわざ指定してジュリアス殿下は訪問の先触れを出してきた。


 わたくし含めた家人一同が、何かある——と思うのも不思議なことではない。


 そんなわけで、わたくしはお茶会用のドレスに着替えることになった。もしかしたらジュリアス殿下の御眼鏡にかなったのでは? という侍女たちの期待あってのことのようだけど――いやいや、そんなことあり得ないでしょう。


 淑女らしいところを見せるどころか、わたくし、エリアス嬢に間接技極めていたのよ?


 わたしはちょうど届いていたアイボリーのドレスを着ることになった。社交向けのドレスって嫌なのよね……コルセットがどうにも窮屈で……。でも王子殿下の御前なのだから、我慢するしかないわね。


「さあ、お化粧をいたしましょうね、お嬢様」


「ねえメグ、お化粧もドレスもどうしても必要なもの?」


「必要に決まっておりますでしょう! もちろん旦那様にもご用向きはあるのでしょうが、わざわざお嬢様がご在宅の日を指定して先触れをお出しになったのですよ! お嬢様目当てに決まっております!」


 そ、そうね。そういう考え方もできるわね。


 でもわたくしの顔ってせいぜい中の上くらいだし、ジェフリーやシェリーと並ぶとどうしても地味さが際立つのよ。ジュリアス殿下が惹かれる要素なんて、何一つないと思うのだけれど。


 多分、魔法師として魔道具に詳しいわたくしの意見を聞きたいんじゃないかなあと思うのだけれど。


 そんなことを考えている間にも、メグの化粧によってわたくしの顔が作り変えられていく。顔面塗装工事、という単語が頭を過ぎった。化粧映えする顔立ち、とは言われたけれど、ちょっとやりすぎじゃない……?


「さあ、できました。御髪を整える前にドレスを着ましょう」


「ぐえっ、ちょっと、コルセット絞め過ぎよ」


「腰は細ければ細いほどいいのです!」


 メグは主人に対してもう少し、容赦というものを覚えた方がいいと思うのよね。


 ドレスを着ただけでわたくしはぐったりだ。体力には自信がある方なんだけれど。これも慣れというものなのかしらね。


 メグはそんなわたくしを鏡の前に座らせると、素早く長い黒髪をシニヨンにしてくれる。そこにサンゴの髪飾りとラピスラズリの耳飾りを添えれば完成。デコルテを出してない今日は、首飾りは控えるようお願いした。公式な社交の場であれば、エメラルドを身に付けるのだけれど、今日はそう言うわけじゃないからね。


 ジュリアス殿下とカチュア殿下は時間通りにやって来た。カチュア殿下は、ピンクのドレスに黒いチョーカーを身に付けている。わたくしがお渡しした、デザイン改良型の『魔力制御』チョーカーである。王族がいらっしゃる今日は、シェリーとユージンもそれなりに服装に気合が入っている。——毎週王城にお邪魔しているのだから今更必要ある? と思うのだけれど、それはそれ、これはこれ、ということなのだろう。


 単に美少女と美少年を着飾らせたかっただけなんじゃないだろうか。わかるけど。


「ようこそおいで下さいました。ジュリアス殿下、カチュア殿下。父が応接室にてお待ちしておりますわ。お話が終わった後は、ささやかながらお茶会の準備も整えております。我が家の調理人が作ったお茶菓子は、他家の方にも評判がよろしいのです」


 わたくしがにこやかに話しているのに、ジュリアス殿下は目を丸くして固まっている。


 どうした王子。


「? どうかなさいまして?」


「あ、いや……ブリジット嬢で、間違いないのだよな?」


「……? ああ! この恰好ですか。わたくしは普段通りで良いと申したのですが、殿下がいらっしゃると聞いて使用人たちが張り切ってしまって……おかしくはありませんか?」


 わたくしが問うと、ジュリアス殿下は少し頬を赤くして答える。


「いや、その……似合っている。とても。化粧をして着飾ると、女性というのはこれほどまでに見違えるのだな……驚いた」


「まあお兄様。それではまるで、普段のブリジットが美しくないと言っているようなものではありませんか。淑女の扱いがなっていないわ」


 ジュリアス殿下の言い様を、並び立つカチュア殿下が非難する。なるほど、確かに普通のご令嬢なら機嫌を損ねる物言いよね。


 でもわたくし、「おもしれえ女」枠なので、気にしないの。


「シェリーとユージンもいるのよね? わたし、よその御屋敷をお訪ねするのは初めてなの! お兄様は侯爵と難しいお話をされるのでしょう? その間、お屋敷を案内して欲しいわ」


「ええ、もちろん。是非ご案内させてください」


 例の事件以降、『西風の宮』の人事は刷新された。侍女やメイドは皆、カチュア殿下を心から思いやれる女性たちが付けられている。環境が良くなった結果、カチュア殿下は子供らしくも落ち着いた振る舞いを見せるようになり、勉学にも前向きだ。


「クレメント、ジュリアス殿下を応接室までお通ししてちょうだい」


 お母様が屋敷にいないので、わたくしがこの屋敷の女主人代わりだ。執事のクレメントにそう指示を出すと、わたくしはカチュア殿下の御案内に移った。


 わたくしの背中に、ジュリアス殿下の何かもの言いたげな視線が投げかけられているけれど、気のせいだろう。

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