第6話 悩みを簡単に言えますか?
……配信開始……
『カクヨム』
(黒い背景に、文字が浮かび上がる)KAKUYOMU ORIGINALS
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(音楽と共にOPイメージ映像、そして)KITAHARA STUDIOS
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脚本・監督 キタハラ
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原作 正宗亮
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出演 倉橋由佳子 幸田凛 吉屋響 有吉こずえ 林まどか
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『早番にまわしとけ』
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……
電話が鳴った。
由佳子がカメラで店の状況を確認してみると、レジは忙しそうだ。背後にいる森はとくに気にもせず出版社から届いたばかりの分厚いプルーフに夢中だった。
「お待たせいたしました、さかえブックス五反田店でございます」
少々よそゆきの声になっている。電話をとるたび、由佳子は実家の母を思い出す。母ほどでもないけれど、ちょっとだけいい声になる。
受話器の向こうからはなにも聞こえてこない。
「お客さま?」
由佳子が言うと、
「本探してるんだけど」
と吐き捨てるような男の声がした。
「はい、かしこまりました。題名を教えていただけますか」
由佳子はメモを用意した。
「9784……」
いきなり番号を読み上げられた。
「あの」
「ISBN」
「ああ、はい」
注文するのに慣れているのだろう。たしかに、書籍の識別番号を入力すれば、一発でわかる。
たまに起こるミスで、「ハードカバーが欲しかったけれど文庫を注文してしまった」とか「題名が一文字だけ違っていて、まったく別の商品だった」なんてことがある。
お客さまも曖昧であったり、タイトルの覚え間違い、誤発注、なんてこともあった。
あとになれば笑い話だが、お客さまが見守るなか、商品が見つからないと、焦ってしまう。
由佳子は番号をメモして。
「少々お待ちくださいませ」
事務所のPCから、取次サイトにアクセスした。番号を打ち終え、表示された情報に、しばし硬直した。
「なるほど……」
由佳子はこめかみを押さえた。さすがに題名を言うのは憚られるわけだ。
「どうしたの?」
森が声をかけた。
読書による旅から一時帰還したらしい。
「お客さまからのお問い合わせなんですけど」
由佳子は画面を指差した。
森が覗きこんだ。
「ああ、在庫ゼロだし、タイトルは言わなくていいでしょう。お取り扱いございません、で済ませたら」
「ですね」
由佳子は受話器を握った。
「お待たせいたしました。お探しの商品ですが、当店では在庫のご用意ございませんでした」
平静を装って、告げた。
「タイトルは?」
「お取り扱いしてな……」
「お前が言っているやつ、本当に俺が探してるものかわからないから、タイトル言えよ」
だったら最初から自分で言え、と由佳子は顔をしかめた。
「タイトルは……」
少し躊躇していると、受話器の向こうから、荒い息が聞こえだした。気持ち悪すぎて、耳を受話器から遠ざけた。
そばにいた森が、由佳子から受話器を奪った。
「『変態雌犬主婦の肛門調教被虐責め』は当店にはございませんよ〜」
息継ぎなく早口で言い切り、そのまま電話を切った。
「すみません……」
こんなしょうもない対応、わざわざ森に代わってもらうなんて、情けない。
「謝ることもないし気にする必要はありません。たまにいるんですよ。あなたはなにも悪くないし、当たり前の反応です」
いつも笑顔の森の顔が険しくなった。
「本屋に頼ってくれるのはべつにかまいません。お買い物のお手伝いをするのは当然です。でもああいう輩は御免です」
森は腹を立てているらしかった。代わりに怒ってもらえているように思えて、由佳子のほうは落ち着いてきた。
「次あったら、なにも言わずに切ってください。まともに相手してはいけません」
「はい」
「案内所を馬鹿にするやつは、どこにも辿り着けません」
森は椅子に座った。
「案内所、ですか」
「本屋はなんでも知っている、とお客さまは誤解していますからねえ。このあたりの地理に詳しいだろうって。だから、案内所」
たしかにレジには近所の地図も用意している。
銀行の場所やビルの名前を告げられ、「どこ?」と訊かれることはよくある。
「訊ねやすいんでしょう、本屋さんは優しい、ってイメージあるし」
本が大好きで知識豊富で温厚、人当たりがよくって話しかけやすい。そうありたいと思うけれど、なかなか追いつかない。
「ああ、もう大変だったあ」
さっきレジで大忙しだった様子がカメラに映っていた有吉こずえが、ぼやきながら事務所に入ってきた。
「ちょっとだけ、休憩させて」
椅子に座りこんで、肩を落とした。
「どうしました?」
「お年寄りがスマホの説明書を欲しいっていうから案内したんだけれど、よくわからないらしくって、読みながらわたしも一緒になってラインの設定を手伝っちゃった」
有吉はテーブルに置かれているキャンディーをひとつ手にして、口に放りこんだ。
「たしかに」
由佳子と森は笑った。
「大丈夫かなあ、心配になってきた。お孫さんとやりとりできるかしら」
有吉は天井を見ながらつぶやいた。
「なにかあったら、またいらっしゃるでしょう」
森は言った。
「携帯ショップがすぐそばにあります、って促してみたんだけれど、苦手だって言うし、つい」
「本屋はね、街の案内所であり憩いの場、そしてよろず屋ですねえ」
森は再びプルーフを開いた。
「それに、会いにいけるアイドルのイベント会場でもあるわねえ」
有吉がカメラを顎で示した。
「今日もきてるわ」
「ああ」
由佳子は思わずカメラに近づいた。
カバーをかけた文庫本を、幸田が客に渡したと思ったら、なにか押しつけられた。幸田が戻そうとするのを拒んで、お客は去っていった。
「交代してあげようかな」
有吉は立ち上がった。
「ファンの方ですか」
「ガチ恋ってやつ? 凛ちゃんがレジに立つまでずっと店をうろついていたし」
幸田はモテる。その丁寧な接客は、誰からも好感を持たれている。
お客様のご意見、というやつがある。だいたいはクレームや苦情だ。態度が悪かった、カバーかけが汚い、俺のことを見下した、とか。
人は文句があるときしか投書なんてしない。
幸田の場合は、丁寧、優しい、孫の嫁にしたい、といった賞賛のご意見ばかりがくる。由佳子からすれば、もう少しわたしにも柔らかい態度で接してほしいものだ、と思ってしまう。
有吉が事務所を背中を掻きながら出ていった。
「人気ですねえ」
「凛ちゃんはうちの店の看板娘だから」
森はそう言ってから、
「もちろんみんな、看板娘だよ」
と慌てて付け加えた。
「早番はみんな、素敵ですよ」
由佳子は頷いた。
事務所に幸田がやってきた。
「おつかれさま」
森がねぎらう。
看板娘のなかでも、幸田が一番のお気に入りなのだ。幸田には、森のこれまでの書店員として身につけたすべてを伝授するつもりらしい。
「いまでも免許皆伝ですが、いずれ秘剣を授ける気持ちですよ。『隠し剣』ってやつです」
むしろみんなにシェアしたほうがいいのでは、と思ったが、口にはしなかった。そういう師弟関係は素晴らしいことだな、と少しだけ羨ましい。
「面倒なことになってしまいました」
幸田は手に、文庫本を持っていた。
「ついに屈してしまいましたか」
森はまるで剣術道場の師匠みたいだ。
「はい、一瞬をつかれました」
愛弟子である幸田は文庫本をテーブルに置いた。
「『ジェイン・オースティンの読書会』か」
森が目を輝かせた。
ふたりは頷き合った。
この人たちはなんでも読んでいる。由佳子は二人のあいだの空気を理解できなかった。
「前回、『高慢と偏見』を勧められ、もちろん読んでいます。オースティンは全部読みました、って言ったら」
「なるほど、だったらこちらを読みましたか、と。しかも新刊書店では手に入らないものを持ってくるとは、策士だね」
「『高慢と偏見とゾンビ』は読んだのですが、こちらは未読で。偏った読書があだとなりました」
幸田は負けを認めたらしく、苦い表情を浮かべている。。
「これ、怖い話なんですか?」
由佳子の問いに、幸田が首を振った。
「小説好きな人たちって、読んだ読んでないのって、マウントをとってるんですか?」
由佳子にはさっぱりわからない。暗号を使った会話みたいだった。
「凛ちゃんのファンはね、お近づきになるべくこうやってお薦めを持ってくるんですよ」
森は文庫を捲った。
「小説好きな人って、本の貸し借りで恋愛を始め……」
由佳子が感心すると、
「ません!」
幸田が打ち消した。
「わたしが読んでいない本を読んでいるからって、好意なんてそう簡単に感じません!」
「そうなんだ」
由佳子は幸田の形相に気圧された。
幸田凛はかわいい。他の従業員たちとは少々趣が違う。最年少だから、というだけでなく、可憐だ。皆と同じ汚れたエプロン姿だというのに、ちょっとずるい、と思う。
「ところで倉橋さん」
冷蔵庫から麦茶を取り出し、一口飲んでから幸田は由佳子に向き合った。シリアスな顔をしていて、由佳子は気づかずになにか失敗してしまったのかと身構えた。
「なにか」
「鷹村さん、本、読まれましたか?」
まるでご信託でも待っているみたいに真剣そのもの。
「あれ、どうだろう、とくに聞いていないな」
由佳子は慎重に答えた。
「そうですか……」
麦茶のペットボトルを冷蔵庫に戻して、幸田は事務所から出ていった。
「やっぱりそうなのかな?」
ドアを見ながら、由佳子はつぶやいた。
「なになに?」
好奇心旺盛な森は、本から目を離して訊ねた。
「いえ、なんでもないです」
「悩み事があるなら相談に乗ろうか。僕はね。これでもたくさんの人生相談本を読んできたからねえ」
だからどうした、というようなことを偉そうに森は胸を叩く。
「悩みなんてありません」
予感と不安である。
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