早番にまわしとけ

キタハラ

第一話 早番にまわしとけ!

第1話 野鳥はペットですか?

……配信開始……


『カクヨム』


(黒い背景に、文字が浮かび上がる)KAKUYOMU ORIGINALS

(音楽と共にOPイメージ映像、そして)KITAHARA STUDIOS

脚本・監督 キタハラ

原作 正宗亮

出演 倉橋由佳子 幸田凛 吉屋響 有吉こずえ 林まどか

『早番にまわしとけ』


……


「野鳥はペットなんですか?」

 事務所に勢いこんでやってきたアルバイトに問われ、倉橋由佳子は言葉が詰まった。

 質問の意図がさっぱりわからない。なので、目の前で仁王立ちしている幸田凛を、ただ見つめることしかできなかった。

 幸田は二十一歳、小柄だというのに、貫禄があった。この職場のすべてをわかっている、あんたより、というプライドがいつだって漲っており、由佳子にとって少し苦手なアルバイトだった。

「え?」

 年下に、こんなふうに少し怯えて受け答えしている自分に、少し腹が立った。

 さっきからずっと、本部からのメールを返信しているところだった。

「いまのわたしの仕事はメール返信かもな」

 なんて友人に零してしまうこともある。

 返信なんて別に、さっとすりゃいいじゃないか、と笑った友人の顔が、ノートパソコンに向かっているとよぎることがある。

 前の部署だったら、たしかにそんなふうにしていた。ついこのあいだ異動したばかりだというのに、遥か遠い出来事に感じる。

 メールが唯一、自分と本部をつなげている、気がしてならない。

 だから、どうにか爪痕を残そう、なんて姑息なことを考えてしまう。

「野鳥はペット、ですかね?」

「あの、なにをおっしゃっているんですか?」

 丁寧な言葉遣いになってしまう。

 この店、さかえブックス五反田店で接客をするようになってからは、特に。

 入社時に研修で受けたレクチャーを、すっかり忘れてしまっていた。

 レジに立ち、自分の言葉遣いがすいぶん素っ頓狂なものだったと気づいた。だから、とにかく丁寧であることを意識して、ここしばらく接客している。

 来月から始まる本部提案のフェアについて、気の利いたことを返さなくちゃならないのに、わからないなりに。

 頭のなかが散漫で、目の前にいる幸田ときちんと対することができない。

 なんだろう、まるで視野が狭く、自分を通したいことに一所懸命で、大人の助言にまったく耳を傾けることができなかった思春期の頃みたいだ。

 由佳子はつくづく思う。

 年を取ったからって、簡単に大人になってくれるわけではないんだな。

 いけない、と慌ててぎこちない笑顔を浮かべた。だが、多分、もう遅い。

「なに、クイズ?」

 そんなわけないのはわかっていた。とにかくこの場を和らげてようと試みた。

 幸田の敵意剥き出しの形相に、無駄なあがきだったことだけは、わかった。そんなに素直に怒りを表現できて、羨ましい限りだった。

「そうですね、そうかもしれません。野鳥はペットですか?」

 幸田が早口で捲し立てた。

「ペットでは、ないですよね、野鳥なんだから」

 由佳子は素直に答えた。

 べつにそんなことを訊きたいわけではなかろう。

「じゃあ、なんでこれをペットコーナーに置いたんですか?」

 手にしていた雑誌を由佳子の前にかざした。

 由佳子にとって、たいして興味のない鳥の写真が表紙を飾っていた。

「え?」

「今日、新刊雑誌の束からこれを出したの、倉橋さんですよね」

「そうだったかな」

 毎朝出勤するたびに、積まれている大量の雑誌の束と段ボール。書店の仕事とは、とにかく肉体労働である。

 昔は、朝活でジムに通ってみようかな、なんて悠長なことを考えていたものだった。そんな必要もない。

 店がオープンする頃には、腕が張って、足もだるい。

「有吉さんに聞きましたけど、出していないって。だったら倉橋さんですよね」

「はい」

 たしかに覚えがあった。鳥の表紙を見て、

「ペットコーナーにありました」

 なにも考えず、差した。

「はい」

「ちゃんとあるべき場所に置いてくださらないと困ります。毎月発売を楽しみにしているお客さまが迷っていました。こういうミスをされると、勤務時間内に荷物を全部出して、持ち場を整えるなんてできません。ちゃんとしてください」

 畳み掛けてくる幸田を、まるで他人事のように、由佳子は見た。

 昔流行ったアドラー心理学の本を思い浮かべた。この店でも面陳されている定番書だ。最後まで読まずに放り出した。部屋の本棚で開かれるのを待ち侘びているはずだ。

「はい」

「わからないなら訊いてください」

「はい」

 もう、「はい」を録音してただただ流しておきたかった。

 十代の頃と違うのは、叱られると本気で凹んでしまうところだった。大人になって叱られると、ダメージが大きい。

 情けなさすぎる。

「倉橋さんは、本に興味がないのでなくて、世の中のことになにも興味がないんじゃないですか? だから本社も通販から……」

「ちょ」

 さすがに由佳子もカチンときたところで、

「できたっ!」

 それより大きな声が横から起こった。

「ねえ、うまく書けたかと思わないかい?」

 由佳子と幸田のやりとりに、一切関わろうとせず、息を潜めながらポップ作りに精を出していた森が、嬉しそうに出来上がった会心の作品を見せびらかした。

 助けてくれてもばちは当たらないと思うよ、店の長老なんだからさ。

 何度か目線を送ったものの、ガン無視された。レジに立たず、黙々と事務所で新刊を読み、ポップを作っているおじいちゃん、いい気なものだ。


『残り××ページで驚愕の展開が! どうか辛抱してください、あらゆる言葉が伏線だったと気づいたとき、あなたの心を揺さぶります!』


 辛抱しなくちゃいけないのか、とそのちょっと下手くそなレタリングで書かれた文を読んだ。たしかに棚にあったら目を惹きそうだ。でも……。

 辛抱しなくちゃいけないなら、わたしは読まない。

「いいですね」

 心中を悟られぬように、感想を述べた。

 幸田のほうは遮られたことで気持ちの持っていき場所を失ったらしい。黙りこくっていた。

「絶対にこの本を必要としている読者のためにもインパクトある文言で攻めなくちゃって、使命感みたいなものが湧いてきてねえ。この作家の新境地だし」

 自作を眺め、恍惚とした表情を浮かべる森さんの姿に和んで、この場のひりついた空気は……、

「とにかく、しっかりしてください。倉橋さんは店長なんですから」

 そのくらいでほっこりするほど、甘いものでもなかったらしい。

 幸田が事務所から出ていくと、由佳子は肩を落とし大きなため息をついた。そして椅子に背を預けた。

「いいなあ、こりゃ傑作だな」

 森はそんな由佳子におかまいなしだった。

「怒られちゃいました」

 ちょっと話し相手にでもなってもらえないかと、森に苦笑いを送った。

「きっと読んだ人はびっくりするだろうなあ」

 まったく人の話を聞くつもりはないらしい。

 そばにアルバイトにダメ出しされて動揺している儚げな新店長がいるんだぞ。ちょっと優しい言葉をかけるとか、あってもいいんじゃないだろうか。

 嬉しそうにしている老人を眺めながら、由佳子はどっとくたびれた。

 七十過ぎのおじいさんは唯我独尊である。

「なに?」

 森は正気に戻ったらしい。これじゃあ「まだら」ってやつだ。

「なんでもないです」

「凛ちゃんは一途だなあ」

 わかってるじゃんか、このタヌキ。

 由佳子は舌打ちしそうになるのを堪えた。森はテーブルに散らかしたマーカーを片付け始めた。

「でも、凛ちゃんもいけないね」

「ですよね」

 フォローしてくれるのだろうか。由佳子は思わず身を乗り出して、次の一言を待った。

 壊れたハートに効くビタミンみたいな言葉、愛情一本よろしくお願いします。

「野鳥雑誌はどこに置くのが正解だと思う?」

 またクイズかよ。どれだけここの職場の人間はまわりくどいのだろうか。

「どこですか?」

 さっさと切り上げ、仕事に戻ろう。由佳子は観念して答えを求めた。

「考えて。間違ったとしても構わないんだから。わかったとき、ドーパミンがぶわーっと溢れて最高なんだからさ。時間はたっぷりあります、どうぞ!」

 そんな時間などわたしにはない、と由佳子は口答えせず、

「考えときます」

 由佳子はノートパソコンに向かった。

 本当にここの人間は……。本社のほうはプライドの高い連中の巣窟だったけれど、この店はクセの強い人々の見本市だ。

 従業員も、お客も。

「倉橋由佳子さん」

 森がフルネームで由佳子を呼んだ。大ベテランとして苦言でも呈するつもりだろうか。今日はもう勘弁してもらいたい。

「なんですか」

「完璧さばかり求めちゃいけない。少しゆるいくらいでちょうどいいんです」

 ポップを眺め、森が頷いている。いいことを言ったとでも思っているのか。

 たしかにこの老人の描くポップは、味のある陶器みたいなものかもれない。

 森は書店界隈ではちょっとした有名人だった。何度か森の作成したポップで売上が伸び、出版社から、全国に配布したいと頼まれたこともあったらしい。

 無名であるが、味のある器を作る人。ポップとは、民藝に限りなく近い、かも。

 由佳子はやたらと時間に追われている。

 スケジュール管理が下手くそな人間からしたら、今回の森のおすすめ本は、一瞬目に留まったとしても、手に取りはしないだろう。昔から小説を読むたびに、あと何ページで終わってくれるのか、と由佳子は後ろから数えてしまう。

「松下幸之助かなんかが言っていました? それ」

 お年寄りに向かって棘のある言い方をしてしまい、由佳子は少し反省した。

 やっぱり追い詰められている。そもそも小説を読む余裕なんてない。

「へえ、『道は開ける』なんて読んだんだ、やるねえ」

 森はとくに気にしていないらしい。

「ちょっとはマシになろうと思ってかじっただけです」

 自分が幸田の年の頃に。はるか昔のことのように思えた。来年で、三十歳を迎える。

 松下幸之助の本もまた、放り出して本棚に差さっている。

 本は、いつだって開かれることを待っている。

「真面目だなあ。僕はきちんと読んだことはないね。偉い人の言葉ってのは扱いが難しい。恥ずかしながら、敬遠しがちになる」

 でしょうね、と由佳子は思った。

 ずーっとこの五反田の本屋で働いていたんでしょうから、出世とかどうでもいいですもんね。本屋さんになるって夢も叶っちゃってるんだから。あとはもう夢が覚めるのを引き伸ばすってことですよ。

 由佳子のスマートフォンが震えた。画面にメッセージが表示された。

 ただ、恋と同じで、どう頑張ったって破れたり、叶わないこともあるんです。

 諦めてはいけない。

 自分がなんとかしなくてはならない。

 本社に舞い戻るためにも。

「肩の力、抜いたほうがいいよ〜」

 店長として勤務しているあいだ、この店を閉店の危機から守ることと、自分のしたい仕事に再びカムバックすることはイコールで結ばれている。

 毎日挫けそうになりながら、由佳子は今日もまた、なにくそ、と決意を固めた。

 放り投げることも、逃げたりすることもしない。

「あと、松下幸之助は『道をひらく』でしょ。訂正してくれるかなと期待してたんだけど」

 森が笑った。

「すみません、勉強不足で」

「カーネギーは読んでいないのかあ」

 楽しんでいるらしい呑気な老人の顔を見ても、由佳子の厳しい表情はほぐれなかった。頬を指でゴリゴリとマッサージした。



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