*Ⅴ*

 裂帛れっぱく斷末魔だんまつまほとばしる温かき鮮血。

 飛沫は龍顏りょうがん乃至ないし御袍ごはう痘痕とうこんを染めたてまつる。


 金剛鈴ヴァジラの如き御笏おんしゃくの一端は三鈷さんこなす眞劒しんけんにて、今しも、乳母めのとの胸をば貫きぬ。

 おうな背向そがひ天蓋てんがいに吊れる白栲しろたへさなが蚊帳ぶんちやうの如く、四面よもを包みて其裡そのうちうかがことあたはず。

 御笏おんしゃくを引かせたまへば、どうと御足許おんあしもとに崩るゝを、またぎ越え、放たしめ賜ふ電光でんくゎう一閃いっせんみだるゝ鈴音すゞねとゞろに、三叉さんさ白刃はくじん白麻はくまく。


 くて主上クヮヰドは、乳母めのとほふらしめ賜ひつ。

 股肱こゝうの血のあがなひを以て、ただ人草ひとくさたる皇子みこの、神聖をそなふる端緒たどき得給えたまふ――玉手ぎょくしゅによる乳母めのと御成敗ごせいばいかる釋義しゃくぎを以て憐憫れんびん埀下すいか法式はふしきいつとぞ代代繼よゝつがはるゝ。なほ乳母めのとほふらるゝは宿世すくせにて、皇嗣くゎうしために血をさゝぐるはちゅうきはみとて無上のほまれなるが、あはせて、かしこ刺突しとつにより祝福しゅくふくせられ、ごふより解脫げだつすべきさきはひよくすとぞ。


 天蓋てんがい、ゆる〳〵とるゝに、白布はくふあか裂罅れっかよりちら〳〵垣閒かいま見ゆる鴇色ときいろ御裾みすそ

 しかうして、幕のれの見る〳〵ひろごりて、うちより出ませるは春宮みこのみやなりすそ長き御袍ごはうの鴇色に映ゆる顏貌かほ端正きら〴〵しき事、姬宮ひめみやとこそ紛ふべけれ。

 六度むたび膝折りうづくまり、拜跪叩頭はいきこうとう禮奉らいたてまつりますに、せる御衣みそうちよりくんずる沒藥もつやく芳香はうかう郁郁いく〳〵として、かせる瓊瑤けいえう玲玲れい〳〵たり。

 聖上、其樣そのさまをうち目守まもらせ賜ふより、すゞろに怪しませ賜ふが如し――すなはち、親王みこ顏貌かんばせ褐色かちいろにて、瞳は翡翠ひすい、腰までるゝ御髪みぐし銀色しろかねなれば。


 のたまはく。

汝命いましみこと眞實まことに、すめらわ代繼よつぎ皇嗣みこなりや」

しかり」

いふかし。往昔そのかみすめらわ磐室いはむろに迎へ賜ひしは、白皙はくせき紅眼こうがん碧髮へきはつ嬰兒みどりごなりしが、いましが姿、これに大きに異なれり。何如いかなるゆゑこれある」

「知らず。思へらく、やつかれ往昔かねてよりくぞありつると……」

いまし、異人に他ならず。斯くの如き容貌、未だかつ見行みそなはさず。舊辭きうじに曰く、蕃地を更に過ぐること七千里、邊境へんきゃう狄人グヮル・クンドあり、黑膚銀髮こくふぎんぱつを爲す、人にして人に非ず、けもの地祇かみとに交り、言を用ゐず、何如なる軍も德も、かれらを歸順やはすことあたはずと。いましつたふる所に似たり。狄人グヮル・クンドにあらば、皇統にはよもあらじ。何如いかん?」

「我胸に皇嗣たるの証徴しるしあり。天覽てんらんに供せしめむ」

 太子は御袍ごほうを脱し、下襲したがさねの衿をくつろげ給へり。喉元やゝくだあたり、胸よりへそに至る白毫はくごうの、九度こゝのたびうづを成してく流れたる――正しく、証徴也。白毫のゆたかなる、かへりて今上に優るゝに、忽如こつじょとして龍顏りょうがん眉根まよねくもらす。

 なほ、白毫の溪㵎けいかんはさみて、さてもかぐろに柔らなる雙丘さうきう隆起たかまりあり。叡覽えいらんありて、いよゝいふかしうおぼほす。


 のたまはく。

いまし、女人にてやある………?」


 しかるに、刹那ののち―――

 否!否!

 聖上は見す――みごろの蔭より垣閒見ゆる御陰みほとに、成り〳〵て成りあまれるくきあるを。

 言はまくも、忌忌ゆゝし。男女なんにょべちを超えたる神聖きはみり給ふかな。正しく異人にてぞいますがる。

 麗麗きら〴〵しき容顏ようがん莞爾かんじとして笑ませ給へば、翡翠の雙眸さうぼう涼やかにして、いよゝたっとく、肌黑〻はだへくろ〴〵と、いよゝ神寂かむさぶ。


 やむごとなきあたりは、憮然たる面持にて、御笏を振らしめ賜ふ。


すめらわれ、憐み賜はむ」


 磐壁いはかべとよみて鈴色、琅琅らう〳〵たり。


やつこあれ敬禮奉ゐやびたてまつらむ」


 火瓫ほへは、焚如ふんじょとして、搖らめく耀ひかり


 はだへ黑き大君、たちまつくばひて乳母めのとの血をめさせ給へり。




                         <続>




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