第31話 会長サカガミ

 神原浄と葉月道子が倉庫へ戻ろうとした矢先、二人の進路を男がふさいだ。

「……捜査の進展がないようだね」

 まわりの雰囲気に似合わない高級感あるスーツを着た初老の男。まるで品定めするような視線を神原たちにぶつけてきた。神原の目には、六十から七十の歳に見えた。……だが、心なしかそれよりずっと老けている印象を持った。

「会長のサカガミ」

 葉月が言った。

 神原は頷いた。佐々木豊の家で覗いたパソコンの記事で見た覚えがあった。

「まだこんな処をうろついてるようじゃ、何も進歩してないようだね」サカガミは言った。

 サカガミは半分が白髪とはいえ豊かな髪をしていた。しかし、顔には老人班がところどころに浮き出ており、病を患っているのを感じさせた。太い縁の眼鏡が、濁った眼球を飛び出させていた。

「車を調べることが、家出人を探すことと何の関係があるのかね?」

 唾の音を混じらせつつサカガミが言い、くるりと二人に背を向けた。

「いなくなった社員は、家出したと思ってるんですか?」葉月がサカガミの背に向かって言った。

「質問しているのはわしだよ、刑事さん。会社に貢献出来なくなった以上、それが家出でも失踪でも構わんがね」

 高級品の杖を突き、何も言わず神原たちに背を向けて片足を引きずりながら歩き出した。言葉に出さずとも、ついてこいとその仕草が語っていた。

「心配されないんですか?」

「冷たいと思われるかも知れんが、社員のひとりひとりを覚えているわけじゃないからね」

 サカガミは、あえて振り向こうともしない。声の調子も変わらない。

「まるで、いくらでも代わりがいるように考えているみたい。社員も商品と同じように考えてらっしゃるんですか?」葉月の言葉には、トゲが混じっていた。

「女刑事さんは厳しいことを仰る。そんなことは言ってないよ。商品も社員も大事さ。どれだけ大事にしているか。見せてあげよう」

 サカガミは倉庫そばに停まっていた高級車に乗りこんだ。リムジンの倍の長さの車体だ。映画にしか出てこないような車。内部には、赤い革がびっしり隙間なく貼られ、高級酒がずらりと並んでいた。小さな絵画まである。神原と葉月を向かい側に乗せて、助手と思われる男に命令すると車を走らせた。倉庫の配達員らが、サカガミが去るまで頭を下げ続けていた。

「こんな車は、日本の公道を走れないと思ってた」神原が呟いた。

「そうだ。わしは足が悪いんでね。工場内だけで使っている。客が来た場合も、こうして向かい合って話しをすることが出来るしな。移動するミーティング・ルームを兼ねている。……何か飲むかね?」

 車内には、滅多にお目に出来ない銘柄のウイスキーが並んでいた。唇が乾いていた神原には、文字通り喉から手が出そうだったが、断った。

 なぜかこの男の言いなりになりたくないと思ったのだ。


 高級車はやがてひとつの建物の前で停まった。助手がドアを開けると、サカガミは再び杖をついて歩き出した。

 二人について来いとは言わなかったが、神原と葉月は従った。

 先ほどの倉庫とは違って高級ブランド店を思わせる清潔感ある建物は、殺風景なこの場所には不釣合いだった。警備員はサカガミを見た途端、顔に緊張を浮かべて高い黒ガラスの扉を開けた。

 SF映画に登場しそうな通路。巨大な滅菌装置をくぐるたび、神原たちの体全体に勢いよくエアーが吹きかけられた。

「外はバイ菌だらけだからね」

 終点には鉄の扉があったが、サカガミが天井のカメラに向かって手を振ると自動的に開いた。

 扉向こうの風景に神原は思わず息を飲んだ。

 幅広の廊下がまっすぐ何十メートルもあり、その壁一面に三段に重ねられた鉄の籠が並んでいた。籠の中には、様々な種類の、ありとあらゆる犬が一匹ずつ収容されており、神原たちに気づいた何匹かが嬉しそうに尾を振り始めた。

 籠の向かいは様々な器具や機械が並んだ研究室が一定の区画に分けられていた。小さなビーカーをくるくると回す器械や、巨大な顕微鏡が並んでいる。六角形を組み合わせた分子構造図を描いたポスターが壁中に貼られている。コンピュータとモニタは何台あるのやら――百台は下るまい。白衣の男女がガラスに仕切られた奥で作業していた。誰もが顔を覆うマスクを付けており、神原には用途の知れない器械を覗きこんでいる。そのどれもが巨大だ。

「このラボにはスタッフ以外は入れないんだよ」サカガミが言った。「刑事さんらは特別だ。ゲストだよ」

「……何を、研究しているんです?」神原と同じように呆気に取られている葉月が言った。

「遺伝子だよ」

「バイオ・テクノロジーってことですか?」

 サカガミはこくんと頷いた。

「遺伝子を調べることは、生命を知ることになる。我々が扱うのはペット産業だ。飼い主のために、動物たちの命の本質を知っておくことは大事だと思わんかね?」

「ペットフードだけを作っていれば、十分なのでは?」

「そうはいかんよ……あんたは何か飼ったことがないかね?」

「昔、母が猫を……あたしが中学の頃には死んでしまいましたが」葉月が若干、悲しそうに言った。

「少なくとも、それまでその猫は家族の一員だったはずだ。ペットだって同じだ。世界にはいろんな犬猫たちがいる。種類もさまざま。いろんな飼い主がいて、いろんな生き方がある。ペットは、そういったニーズに対応せんといかんのだ」

「ニーズね……」と神原。

「ニーズとはビジネスだ。必要に対する供給。ビジネスは常に進歩しており、油断した瞬間に、誰かに追い抜かれる」

 神原は尾を振る犬を眺めて言った。「どうして鳴かないんです?」

 たくさんの犬が並んでいるのに静かなのだ。

「声帯を切り取り、エサに鎮静剤を混ぜているからだよ」サカガミが言った。「うるさいと研究を邪魔するからね」

 サカガミの背後から、スタッフの一人が近づき書類束を見せた。サカガミはそれを受け取ると、ろくに文面を読まずにぞんざいにサインした。

「今のは、何です?」

「動物実験には、倫理委員会の許可がいる。医薬品は、独立行政法人の審査が必要だが、ペットに対する医薬品製造も例外ではない。実験のひとつひとつに厚生労働大臣の承認が必要だ」

「犬猫にも薬があるとはね」そんな知識が薄い神原は呟いた。

「当たり前だよ」サカガミが若干、呆れたように言った。「実験には、特別な医薬品も使用するんだ」

「ここで新種を作ったりしているんですか?」

「ことばの定義によるな。企業がニーズに合わせて商品を改良するのは当然のことだよ。だが、野菜や果物を作っているわけではない。もっともっとデリケートに生命の交配について研究している……ペットを飼う人には、血統にこだわる人もいるだろう?」

「野菜や果物だって、こだわる人はいますよ」

「だが、生き物の扱いには慎重さが必要だ」

「生き物を商品……物扱いとはね」

 サカガミは、じろりと神原を見た。


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