【拝啓、島の守り神様】

 イチが消えたあと、間もなくして救急隊のヘリが飛んできた。

 最初に救急搬送されたのは、安静な状態を保つ必要がある光莉と、イチの母親だ。二人を乗せたヘリを見送ったのち、荷物を取るため集会所まで戻る。「涼子」と真人に呼ばれて駆け寄ると、会議室にイチが持ってきた登山用リュックが残されていた。


「持ち主は消えてしまったのに、荷物だけは残されているんだな」


 真人の呟きに、「これも、確かに彼が生きていたって証なんだし、一緒に持ち帰ってあげなきゃね」と返しながら、二人のことを覚えている自分をかみしめる。

 静かに、雨が降る夜だった。

 彼の気持ちを確かめ、自分の気持ちにケジメをつけた昨晩の光景は、一枚絵となってずっと私の心の中に残るだろう。


 リュックの中を探ると、一枚の便箋びんせんが出てきた。

 どうしてこんなものが?

 開いてみると、宛名はこの島の守り神様だ。

「ほら。あなたに手紙なんだって」と、会議室の机の上に広げて置いた。

「読んでくれるかな?」と真人が微笑を湛えて言ったが、うまく答えることができなかった。

 でも。

 もう、姿を見ることはできなくなったけれど、それでも夏南さんはきっと読んでくれる。そんな気が――するんだ。



 拝啓、島の守り神様。


 七月二十日。午前零時三十分。

 みんなが寝静まった部屋で、一人この手紙を書いています。

 この手紙がもし君のところに届いているとしたら、君は無事で、またここに戻ってきてくれたということなのでしょう。

 僕は――。どうなのかな。

 ついさっき、自分の真実を知りました。

 結論から言ってしまうと、僕は一度死んでいるそうです。

 今年の六月。増水した川で溺死して、葬儀もすでに終わっているそうです。

 島の外部からやって来た母が言うのだから、きっと間違いないのでしょう。

 では、ここに居る僕は誰なのか? 真剣に考えてみました。

 そうして出した推論。君の力で増えたのが、たぶん僕なのかなと。

 島の人たちの記憶がズレたタイミングで改変されたことで、一人増えたという違和感に繋がったのかなと。

 もしそうであるなら、この旅の終わりに消えるのは僕です、ここから先の文言は、それを前提として記します。願わくばこれが、虚言となることを祈って。


 真人。

 クロールで水をかくとき、肘が下がる癖があるので、時々推進力を出しきれていません。

 そこを直すと、たぶんタイムがあと一秒伸びます。

 いつか抜かされるという恐怖があって、これまで言わずにきましたが。

 真人は元来真面目な性格です。長所を活かして、これからもみんなのことを引っ張っていってください。光莉のこと、よろしく。


 涼子。

 素っ気ない態度を取ってしまったけれど、告白されたとき、本当はすごく嬉しかったです。

 君のことを好きになれたなら、君も僕も、たぶんもっと幸せになれたのにね。

 身分違いの恋をした、僕のことをどうか許して。


 光莉。

 光莉の病気、僕の力で治してあげたかったんだけれど、たぶん無理です。

 先ずはそれを、謝ります。

 ごめんなさい。

 島に僕が戻って来たとき、最初に受け入れてくれたのが光莉でした。最初に話を聞いてくれたのが、光莉でした。

 ありがとう。いつもそばにいてくれて。

 そのことで、多少二人をやきもきさせてしまったようですが。


 母さん。

 母さんは確かに、島の実家のことも、父さんのことも嫌っていたけれど、この島のことも、この島で過ごした日々のことも、実は大好きだったんじゃないかなってそう思います。

 僕の命で、間接的にでも母さんの命を繋げたのなら、それで本望です。



(ここだけインクが少し滲んでいた。たぶん、イチは泣いていたんだろうなとそう思う)



 もしかしたら、あと少しで僕は消えてしまうかもしれない。

 たとえそうなったとしても、僕のぶんまで生きてください。これといった親孝行ができなくて、なんかごめん。


 最後に夏南へ。

 僕が幼かった頃、悠久の木の下であった女の子。

 あれが夏南であることには、わりと早く気づいていました。

 一人称が、わたし、からボクに変化していたし、年相応に成長までしていたから最初は面食らったけど、外見の特徴が同じなので、正直間違いようがないよ。

『わたしが、見えるの?』

 なんて、意味深なことを当時言っていたしね。

 僕がこの島に戻ってきて、最初に会った日のことを覚えていますか?

 花咲神社の境内で、『故郷の空』を歌っていた君に話しかけたとき、飛び上がるほど驚いた姿が印象的でした。

 いま思い出しても笑える。この時点で君なのはバレバレだったんだよ。

 でも君は、あの時出会った女の子であることを、決して認めなかった。

『願い事』を叶えてあげるよ、と言いながら、どこかはぐらかしてばかりだったし、寄り添ってくるようでいて、最後に壁を一枚立てていた。僕が気づいていると知りながら知らないフリをする様を見て、深い関係を築いてしまうと、何か不都合があるんだろうなとは察していました。

 だから僕の気持ちは、この手紙の中でだけ伝えておきます。


 好きです。


 この島で再び君を見たとき、止まっていた時計の針が動き出しました。

 この島に戻ってこられて、君のことを好きになれて、本当に良かったです。

 たびたび側に来てくれてありがとう。話し相手になってくれてありがとう。

 この先君が、何年生きていくのかわからないけれど、どうか、僕のことも忘れないで。



 涼子が静かに涙を流した。しっとりと肌を濡らす霧雨のような啜り泣きだった。



 あれから、三日。

 夏休み前最後となる水泳の授業を終えて、俺は机に突っ伏していた。

 開いた教室の窓から爽やかな風が吹いて、みんなの体から塩素の香りがわき立った。隣にいる、光莉の体からも、また。

 不意に光莉と目が合って、彼女は一度笑いかけて、浮かべた笑みを引っ込めた。久しぶりに泳いだことで濡れた前髪を整え、視線を窓際の席に向けた。

 疲れて眠っている者。「花火、誰と行く?」という話題で盛り上がっている男子。思い思いに過ごしているクラスメイトらのその先に、物憂げに窓の外を見つめる涼子がいた。

 

 俺の心の中心に、ぽっかりと一人ぶんの穴が開いている。

 

 不快ではない。これは、確かにアイツのことを覚えているぞ、という証なのだから。

 明日で一学期が終わる。

 そして、アイツのいない夏休みがやってくる。

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