0-2 始まりは余裕を持った登校から

 場所は地球、日本国、関東地方。ある片田舎の20歳くらいの青年。

 大学生である彼は、いつもは授業開始時刻ギリギリに到着するくらいの時間に起きて支度をするのだが、今日に限っては余裕で学校に到着できる時間に起きることができていた。


「これはこれは?この時間は余裕のよっちゃんで学校に行けるのでは?」


『余裕のよっちゃん』とか今の時代で使ってる人は見たことない上、はたから見てもこの青年は変わり者だった。というか家族からも変わり者として見られていたが、人並みに愛されて育ってきた。時には褒められ、時には叱られ、時には怒られ……幸福な日常を送っていた。


 いくら変わり者でも、真面目に生きてきた彼は、近所の人からも良く思われていた。

 もしも彼に欠点があるのであれば……


「法定速度良し、車間距離良し、信号の赤は止まれだから止まれよ前の車ぁ!!」


 謎の独り言が多い。多すぎる。

 ブツブツと呟く彼の姿はきっと、周りの人から見ればおかしな人間に見えただろう。しかし、ここは田舎だ。周りの目とかそういうのはない。人前でも独り言を呟くことは無かった。が、周りの目が無くなると大体こうなる。


「止まれの標識が上と左側にあって、地面にも書かれてるのになんで止まらねぇだ!あぶねぇだろ!!」


 あと口が悪い。

 これはハンドルを持っているせいだといえばそうなのだが、運転していない時は怒りのメーターが振り切っている時にもこうなる。ついでに少しだけ方言も入る。

 何というか、怒りのメーターが振り切る前はニコニコ笑ってるのに、限界に達すると突然怒り出すタイプらしい。正直面倒くさい。おっと失礼、つい本音が。


 それはさておき。


 自宅から学校へと自動車を走らせる。道路交通法というルールを守りつつ、余裕な表情で走らせるその顔は、


「お昼何食べよう……」


 今日の昼食のメニューを考えているのか、だらしなく緩みきっていた。

 運転中だということを思い出しなのか、「おっと、集中集中」と顔を引き締める青年。

 無事に学校にたどり着けるのか心配だったが、何とか遅刻せずに学校へと辿り着いた。


 ***


「余裕で登校できたと思ったら、マジですかよ」


 言葉遣いがおかしくなっている彼に何が起きたのか。


 簡潔に説明すると、特に受講してる講義の無い日だということを忘れていて、遅刻しそうだと勘違いして登校してしまった。ただそれだけの話である。

 講義がある曜日は遅刻しそうになり、講義のない曜日には余裕で登校する。少しでもその余裕な時間を、講義がある日に割くことができれば良いのに。


「……なんか俺の生き方に文句を言われた気がするな」


 地の文が読まれた……?そんなわけないか、多分偶然だな。


「んんっ……ふぅ。さてどーしっかなー」


 伸びをしつつ、校内を歩き回る不審s……ではなく、一人の大学生。サークル活動をしようにも、部室の鍵は部長が持ってるため部室にも入れない。


「そうだ、図書館へいこう」


 何かを閃いたのか、手のひらに握り拳をポンっと打ち付ける動作をしながら、軽い足取りで図書館へ向かう青年。

 今時そんな動作を現実でする人はいるのかどうか疑問に思うかもしれない。だが残念なことに、ここに一人存在するのだ。


 彼は大学に行くとき、必ず黒いリュックを背負っていく。主に中には大学で貸与たいよされているノートパソコンや、講義で必要な教科書等が入っており、その重さは10kgを超える。いや大体の大学生はそのくらいの重さを持って、学校へ登校しているものだと思っているのだけど、この認識は合っているのかどうか……どうでもいいかな。

 そのリュックの重さを感じさせないような足取りで図書館に入ろうとしたその瞬間のことだった。


「え?」


 突然足元が光り出して、彼の姿は煙のように消えてしまった。

 当然周りには人がいなかったし、図書館の自動ドアが反応するくらい近くにいなかったため、誰もこの異様な光景に気づくことはなかった。


 おいそこ、なんか不自然じゃね?とか思ってるだろ。

 明日あるいは数時間後、数分後、数秒後……未来に何が起こるかわからないこの世界で、どうして人が消えないと思うことができようか。そもそもの話、ここで青年が消えると色々と面倒なことになる。まず、彼は自動車で自宅から大学へと来ている。じゃあ彼が消えたことによって、その自動車や彼の大学での在籍記録、そして彼が生きてきた記録やバイト先での仕事、彼を育ててきた親との関係や思い出、これからのこと……色々な事象が歪んでしまう。

 過去を変えることはできないが、未来は今この瞬間から変わっていくんだ。


 何を言っているのかわからないって?


 彼を消した犯人がこれから背負う責任の話だ。


 ***


「ここは……」


 青年がまぶたを開けると、そこは12畳ほどの広い部屋だった。部屋の隅には様々なボトルの乗った鏡台が鎮座しており、向かって反対側には何やら煌びやかな装飾のされた扉があった。

 そして彼は、その鏡台の正面……に立つ女性と思わしき人影の前に立っていた。


 女性は開口一番にこう言い放った。


「ごめんなさい。手元が狂って死んじゃったので異世界に行ってください」


「なんて?」


 確かに「なんて?」と聞き返してしまう気持ちはわかる。

 謎の光に包まれて、目を開けたら目の前に立っていた女性に「なんか死んだから異世界に行け」と言われたのだから。それに対して、反射的に疑問符をぶつけるのは別におかしい話ではないと思う。誰もが思う、そりゃそーだ。と。


 しかし、女性は青年の疑問の言葉に少しだけイラッとしたのか、怒気のこもった声色で告げた。


「だから、ワタシという美しい女神様の手元が狂ったためにあなたが運悪く死んじゃったの。だからそのお詫びとして、異世界に転生しろって言ってんのよ」


 ミスした人間の言葉とは思えない横暴おうぼうさ。人間ではなく女神なのだが、それでもミスしたにも関わらず、謝罪の一言も無いその物言いに、流石の青年も現状を理解することもできずに、呆気あっけに取られるしかない。


「(人を一人殺しておいて、反省の色もないのか)」


 心の中で思ったが、口には出さなかった。それほどに彼は混乱していたのだ。


「あ、ついでに魔王も倒してほしいわ。じゃあね」


 何の理由もなく魔王を倒せとのたまう女神。そして悲しきかな。混乱したまま地面に真っ黒い穴を開け、混乱したままの青年を突き落とすのだった。そう、まさに言葉の通り、突き落とした。


「(……ぜってぇ許さん)」


 体が浮くような感覚。足場がなくなり、背中から落ちていく。背中に背負ったリュックの重みで、足が上を向く。

 偶然、穴を覗き込む女神を名乗った女性と目が合った気がした。

 彼が見た彼女の瞳には、安堵あんどの気持ちが含まれているように見えた。


「(お前が忘れても、俺が覚えている。次会ったときは死を覚悟しろ)」


 彼は初めて、神に対する殺意を覚えたのだった。


 そして彼は、終わりなき落下の中で、突如襲ってきた深い微睡まどろみに呑まれていくのだった。


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