【異世界転生】私はおじさんになりたい ~ゴリマッチョと美青年は実質おねしょた~

ねこのひつまぶし

1章 始まりの物語

第1話 私はおじさんになりたい

「転生させてくれるなら……おじさんにしてくれませんか?」

「え……本当にそれでよいのか?」


 その言葉は、さしもの神すらドン引きさせた。

 久保田絵里、29歳と11ヶ月。

 しがない会社員が望んだのは、おじさんとしての異世界転生だ。


「ええ、四十代半ば、身長190センチ、ガチムチの戦士になりたいんです。胸毛もっさりで、ガハハと笑うような、オナラの臭いおじさんになりたいんです!」


 魂となった絵里の目の前には人型の発光体が浮かんでおり、それが神と呼ばれる存在であることは本能的に理解できた。


 だが、神の方は絵里を全く理解できなかった。


「あー……もう一度確認するが、本当におっさん――コホン、おじさんでよいのか?」


 おっさんもおじさんも同じである。


 だがそんなことも気付かないほど、神は動揺していた。

 いまだかつて、オナラの臭いおじさんを希望した転生者がいただろうか、いやいない。


「はい、おじさんになりたいんです!」


 絵里の決心は固いようだ。

 何が彼女をそこまで駆り立てるのか。


「ひょっとして異世界転生とかに疎かったりするのか? こういう場合、無詠唱魔法が欲しいとか、賢者の末裔になりたいとか、美少女になりたいとか、ああ、最近だと女性には悪役令嬢も人気じゃな。転生してまで苦労する理由は理解しがたいが、『ざまぁ系』というやつか? そうじゃな、少し考える時間をやろう」


 気を使って、神は絵里の前に巷で人気の異世界転生ラノベをずらりと並べた。挙句に、ゆっくり吟味できるようソファとテーブルまで用意する。


「それには及びませんよ、神様。私の仕事はラノベの編集担当でしたから、その手のものはうんざりするほど読んできました。なんなら、ラノベ新人賞の原稿下読み中に過労死したほどです」

「ああ……それはご愁傷様じゃな」


 とりあえず立ち話もなんだからと、絵里はソファに座ることにした。対面にはぼんやりとした人型の光も座る。


 神でもソファに座るのかと思うと、なんだか少しだけおかしく感じてクスリと笑った。


「しかしもったいない。そなたは過労でやせ細っているが、ちゃんと栄養のあるものを食べて、風呂に入り、化粧して、清潔な服を着ればなかなか良い線いっていると思うのに、何故おじさんなぞに……」

「それですよ、それ! ああ、もぉ、なんで死んでまで神様にセクハラされなきゃならないの!」

「す、すまぬ……悪意はない、率直な意見じゃ」


 大人しく見えた絵里の突然の激昂に、神はたじたじだ。


「よければ、話を聞こうではないか。もはやそなたは現世という鎖から解き放たれた存在じゃ、時間など気にすることもあるまい。ささ、甘い菓子でも食べよ」


 神が手を叩くと、テーブルに三段のスイーツタワーが現れた。女性に人気があるというケーキやフィナンシュ、一口サイズのサンドイッチが美しく並んでいる。

 まるで宝石箱のような彩だ。


「オマケにこういうのはどうじゃ?」


 また手を叩くと、傍らに現れたのは燕尾服に身を包んだ美形の執事だ。彼は純白の手袋を付け、優雅な仕草で芳醇な紅茶をボーンチャイナのティーカップに注ぐ。


「執事に……アフタヌーンティー……」


 絵里は爽やかに微笑みかけるイケメン執事を、痩せくぼみギョロリとした目で凝視している。


 そこで神は「女ってこういうのが好きなんだろ?」というあからさまな偏見が出ていたかとハッとした。

 これまでの絵里の言動からして、彼女は「普通」ではない。これも気に入らないと怒り出すのではないだろうか。


 選択をミスったか――。


 そして案の定、絵里の肩がワナワナと震えだす。


「ああ、違うのだ、人の子よ。我は決して女性蔑視をしているわけではないのだ。喜んでくれるだろうかと思い、このおもてなしを――」

「ありがとう、神様! これよ、これ! こういうのが好きなの! それなのに、それなのに……会社での私のアダ名は、絵里おじなんですよぉぉ、うわぁぁぁぁん」


 瞳を輝かせた直後、絵里は込み上げる感情を堪えることができずに泣き出してしまい、テーブルに突っ伏した。


 今まで実感が湧かなかったようだが、絵里の中で「死」がはっきりと認識され、嗚咽が止まらなくなる。


「ずびまぜん、がみざまぁ……わだじ、わだじ……死んじゃったんですね……まだ、けっこんもしてないのにぃぃ。やりたいこと、ぜんぜんできずに、死んじゃっだぁぁぁ~」

「よいよい、人の子よ。いくらでも泣くがよい」


 執事がふわふわの高級ティッシュをそっと差し出すと、絵里は涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭った。

 29歳の死はまだ若すぎる。きっと様々な思いが入り乱れているのだろう。


 なるほど、彼女は混乱していたのだ。

 だから「おじさんになりたい」なんて世迷言を言ったのだろう。

 落ち着けば、きっと本当の望みがわかるはずだ。


「聞いてください、神様」

「ああ、話すがよい」

「私、生まれ変わったら本物のおじさんになりたいんです」

「……なんて?」


 聞き違いだろうか。

 だが神は辛抱強く、絵里が話し出すのを待った。


「私……そうなんです、ちゃんとすればそこそこ良い女なんです。清潔にして着飾っていれば、美女ではないんですが、中のちょい上くらいだと自分でも思うんです」

「はぁ……」


 自分で言うかという突っ込みは心の中に留めて、神は真摯な態度で話に耳を傾けることにした。


「でも、それは最悪なことなんですよ! 美女には手を出しづらいと思う変態の標的になり、学生時代に受けた痴漢は数知れず。社会人になってからは同期上司、果ては年下からもセクハラのオンパレード! お局からは目を付けられていじめられて――私はおじさんになるしかなかったんです!」


 なぜ、そこで「おじさん」が登場ログインするのだろう。


 ますます不可解であるが、神は絵里という女性にますます興味が湧いてきた。


 いつもなら「経験値百倍ね、はいはい」「ステータスカンストね、はいはい」「悪役令嬢で婚約者に捨てられる設定ね、はいはい」と言って適当に契約書を作成して送り出すのだが、彼女の話は聞く価値がありそうだ。



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