第12話 後門の狼

 ギルを見つけたスタビーたちは、シェントの村へと戻る道を歩いていた。スタビーを先頭にして、ギルを間に挟んだ状態で四人は連れ立って歩いている。



 「おい、お前の魔力はあとどのくらいで回復するんだ」



 最後尾を歩くマーヴィが目の前の白に問いかける。 



 「うーん。あと一日はかかるかな。なんせ、体の全部を直したんだからね」



 「チっ。とんだ時間ロスだな。まあ、しかたねえ。あと一日世話になるぞ」



 今度は先頭を歩く白い人狼に言葉を投げかける。



 「構わないよ。村のみんなも、新鮮なことだし喜ぶだろう」



 はぐれ狼たちの寝ぐらから南西に数キロ。ギルが落ちた場所から、渓谷に沿って南へ下がると橋が見えてくる。木と蔓で作られた、よく揺れるその橋を越えてしばらく歩けば、村の外門が見えてきた。



門の前には屈強な二人の人狼が怪しいものがいないか常に目を光らせていた。門の外側から立派な櫓が見えたが、今はそちらに人はいないようであった。



 「おお!スタビー、帰ったか。どうだ? 谷に落ちたやつは見つかったか?」



 前方を睨みつけていた二人の人狼は、こちらに向かってくる見知った顔に破顔した。



 「ああ、見つかった。命に別状はないが、大事をとってもう一日休むらしい」



 スタビーはそういいながら、後ろのギルを前に押し出した。



 「ほう、あんたか。運がいいねえ。見たところ、怪我もなさそうだ。まあ、ゆっくりしていけや」


 二人の門番は、立ちはだかっていた扉を押し開ける。二人はそれぞれ左右に退き、「入れ」と顎だけで示した。



 ギルは門番に軽く頭を下げ、そそくさと村の中へ入る。門をくぐって顔を上げたギルのその目に移った村は、今まで見てきたどの街とも違っていて、彼の心を高揚させた。人間と、人間に化けた人狼が共に暮らしている。人間の赤ん坊を抱いてあやす女の人狼、切り倒して来た木材を担いで運ぶ人狼と人間の男。人間体のまま、暑そうに舌をだして座り込む男の人狼に、一杯の水を差し出す人間の少女もいた。



 「スタビー! お帰り!」



 人狼の男に水を差し出していた人間の少女は、こちらに気がつくと嬉しそうに駆け寄ってきた。



 「ただいま、カルロッタ。クロエは今家にいるのか?」



 「うん! クロエは朝にみんなを送り出してから、ずっと家にいるみたいだよ」



 「そうか、わかった。ありがとう」



 カルロッタと呼ばれたその少女は、そっとスタビーの後ろを覗き見た。



 「わあ、すごい。もう一人、ラックウルフがいる」



 ギルの少し青みがかった白い髪を見てカルロッタは感嘆の声を出した。



 「カルロッタ、彼は狼じゃないぞ」



 「わかってるよ。ちょっと似てると思っただけ」



 苦笑しながら彼女の頭を撫でるスタビーに、カルロッタはムッとした顔で返した。



 「ねえ、みんな森の外から来たんでしょう?色々お話し、聞いてもいいかな?」



 彼女は百面相のようであった。先程までしかめっ面をしていたかと思うと、今では愛想よくギルたちに微笑みかけている。



 「もちろん」



 村の様子をすっかり気に入ってしまったギルは、調子よく答えた。



 「なら、うちにおいで。まさか、このまま立ち話をするわけじゃあないだろう?」



 スタビーのその言葉に、カルロッタは顔を輝かせてコクコクと頷いた。





 「あら、おかえりなさい。ずいぶんとたくさん連れて帰ってきたわね」



 家にたどり着いた五人は、冗談めかして笑うクロエに出迎えられた。通された部屋のテーブルには、刺繍枠に張られた布が置かれ、他に糸や布切れが散らばっていた。足りない分の椅子をどこかから持ってきたスタビーは、裁縫道具を小さな木箱に詰めるクロエを横目で見た。



 「また刺繍をしてたのか。なかなか人間がやるようにはできないだろう」



 「うん、やっぱり細かい作業は難しいわ。でも、練習してだいぶ上手くなったのよ。カルロッタもよく教えてくれたものね」



 そういってクロエが微笑みかけると、カルロッタは誇らしそうに胸をそらせた。クロエはそんな彼女の頭を優しく撫でると、木箱を傍らに置いて台所へと湯を沸かしにいった。



 「ねえねえ、森の外はどうなってるの?」



 スタビーの持ってきた椅子に腰をかけた勇者たちに、カルロッタは身を乗り出して質問した。



 「ああ、俺たちが通ってきたのは静かな田舎町だったな。広い田畑が広がっていて、それでいて居住区は店がたくさんあって都会みたいだった」



 「それでそれで!? そこにはどんな人達がいたの?」



 さらに体を前に出しながら目を輝かせる。自然と黒いドレスに身を包んだ彼女のことが三人の頭に思い浮かんだ。ギルが代表して答える。



 「そうだなあ。魔女にあったよ」



 「魔女?ていうことは魔法が使えるの? すごい! 火を出したりとか、物を浮かせたりとか!」



 「いや、それはできないみたいだったよ。彼女は先祖に“タイパ”っていう魔法生物を持つ夢見の魔女だった」



 そう、先祖の魔法生物が使っていた魔法が使えるだけだ。先祖に……。脳内にふとシェントの村の様子が思い浮かんだ。



 「ねえ、そういえば人間と人狼の子供っていないの?」



 どうやらグラーノも同じ疑問を持ったらしい。彼はカルロッタの方へ質問を投げかけたが、その問いに答えたのはスタビーであった。



 「そういえば聞いたことないなあ。お互い恋に落ちた人間と人狼の話は稀に聞くが」



 「まあ、私たち人狼族と人間では生きている時間が違うものね。成長するスピードも全く違って、寿命も人間の方が遥かに長いの。人間は七十年くらい生きられるけど、私たちは二十年も生きればいいほうね」



 台所の方からクロエが口を挟む。



 「クロエ、そんな悲しいこと言わないでよ」



 カルロッタが今にも泣き出しそうな声を発した。


 そんなカルロッタに眉を下げて笑いかけながら、クロエは六つのカップがのったトレイを両手に持ってテーブルに歩み寄った。



 「私とカルロッタじゃあ、私の方が年上に見えるでしょう? でも、人間の年月でいうと私はまだ二歳と数ヶ月なの。カルロッタの方が遥かに年上ね」



 そういって笑いながらそれぞれの目の前にカップを置く。一仕事を終えたクロエはゆっくりと空いている席についた。


 どこか悲しそうに笑う彼女の顔は、あの強がりな黒い狼のことを連想させた。悪者であることを自ら望んでいながらも、その表情はどこか悲しげで……。



 「どうして」



 つい、言葉が口をついてでる。一瞬慌てて言葉を止めるが、皆の視線がこちらに向いていることを感じたギルは、諦めてその言葉を続けた。



 「どうして人狼たちは、そこまでして人間を守るんだ? 衣食住をもらえるっていうのはわかるが、君たちは見た感じただの雇われ用心棒じゃない。人間と対等な友人関係を気づいている。なのにどうして、この村には人間を守らなければならないという厳しい掟があるのか」



 スタビーとクロエを見ると、その質問に満月のように目を丸くしていた。カルロッタの方はさっと俯いてしまったせいで、顔が金色の髪に隠れてしまってここからは表情が見えない。



 「そうか、あんたウルから……。それは気になるよな」



 「スタビー」



 クロエが諫めるように声を出した。スタビーは困ったように彼女に笑いかけた。



 「クロエ、彼らは森の外のことを教えてくれるんだ。だったらぼくたちも、彼らが知りたがっていることを教えるのが筋ってものじゃないのか?」



 スタビーは、彼の言葉を聞いて押し黙るクロエを横目で見ながら、納得したようにうなずいてギルの方へ向き直って座った。



 「千年前、突如として現れた魔王はそこら中に魔法生物を凶暴化させる魔法の粉塵を撒き散らしていた。それほど知能の高くない魔法生物が一番影響を受けて、当時森中の魔法生物が暴れたらしい。ぼくたち人狼族の祖先は、人間とともに村を守るために戦ったが、魔王の影響が強くなるとともに段々と人狼の中にも自我を保てないものが出てきた」



 “魔王”という言葉に勇者たち三人は体を硬直させる。



 「そこで人間たちは考えた。このまま人狼たちと暮らしていたら自分たちの身が危ないと。人狼とは縁を切って人間だけで暮らそうと。でもそんな中にも、ずっと昔から続いている今の生活を変えたくないという者や、何にも悪くない人狼たちまで捨てなきゃいけないことに反発を覚える者もいた」


 スタビーは言葉を区切り、チラリとカルロッタの方を見やった。



 「人間たちは真っ二つに分かれた。やがて人狼と暮らすことに不安を覚える者は森をでていき、近くに新たな町を作った。一方で人狼を見捨てないと決めた者たちは森に残って今まで通りの生活をした」



 スタビーはそこまで一気に話すと、乾いた口の中を潤すようにカップの中の茶を啜った。



 「ぼくたちの先祖は人狼族を見放さなかった彼らに深く感謝し、掟を作った。人狼族は未来永劫、人間たちを命がけで守ると。それが未来永劫、人間と人狼が友人どうしであることの証だと。だからぼくたちは、人間たちを何が何でも守るんだ」



 スタビーの語る長い昔話が終わったその部屋は、しばらくの沈黙が続いた。


 友情の証のはずが、彼らの友情を妨害しているなんてなんとも皮肉な話だ。表面的に見れば、人狼も人間も関係なく暮らしているように見える。彼らはまるで対等な、無二の友人であるかのようだ。しかしひとたび村が危険にさらされれば、人狼たちは自分の命すら顧みずに人間を守る。いや、守らなければならない。人間たちはただ逃げるだけなのに。まるで奴隷のようだとギルは思った。



 「私、そんな掟嫌い。なくなっちゃえばいいのに」



 それまで俯いていたカルロッタがポツリと呟いた。



 「カルロッタ、そんなこと言っちゃだめ。村から追い出されるよ」



 クロエが彼女を叱りつけるが、その言葉に覇気はなかった。カルロッタは、そんなクロエの顔をキッと睨みつけて叫んだ。



 「なんにも知らないくせに。置いていかれる方がどれだけ辛いかなんて」



 カルロッタの声はもはや慟哭であった。



 「三年前の村の襲撃で、私は一人の人狼に守ってもらっていた。彼女は私と同じ頃に生まれた幼馴染みだった。でも人狼は人間より成長が早いから、私にとってはお姉さんみたいな人だった。たくさん血が出てて、でも私を逃すために絶対に倒れなくて。私も何かしたいのに、私には鋭い牙も爪もなくて。モンスターを倒す力なんてどこにもなくって。私はただ、まだ赤ちゃんだった彼女の子供を抱いて走ることしかできなかった」




 カルロッタは椅子から飛び降りて、クロエに詰め寄った。


 「私は自分のことが許せない。戦うことを忘れてしまった村の人間達も。私はただ、みんなで笑って暮らせたらそれでよかったのに……」



 そこまで一気にいうと、カルロッタは目元を自分の右腕で隠しながら部屋を飛び出していった。後を追おうとクロエが走り出すが、すぐにスタビーが肩を掴んで止めた。じれったそうにこちらを見る彼女に、首を横に振って「追うな」とだけ伝える。嵐が過ぎ去った部屋の後には、うつむくクロエとスタビー、魔王に対する憎悪に目を光らせたマーヴィとグラーノ、そして物憂げに窓の外を眺めるギルの五人だけが残った。




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