第7話
就寝して、何時間かが経った頃だ。ザインは夢を見ていた。どうやら昔の夢のようだ。周囲には木々が多い茂っている。森の中のようだ。昼でも薄暗さを感じるうっそうと高い木々が多い茂っているのだった。
「兄貴!すげぇなぁ、その鎧!」
それは十代の若さを持つザインだった。
「ああ!騎士の鎧だ。しかもバスタランダ様が前線で戦っているオヤジのために作ってくれたんだぜ!」
リオール、つまりザインの兄は、自慢げに兜のフェイスガードを上げ、ニカリと笑う。
「え?!ヤベエよ!それって勝手に持ってきたんだろ?」
「びびんなって!オヤジにもお前にも重すぎて、使いこなせないって。だが俺ならコレを着ても、ふんふん!!」
粋がって動き回るリオールだった。彼は体も大きく、その剛腕は、部隊でも右に出るどころか、左に並ぶことすら許さないほどのもので、仲間内ではオウガキラーと呼ばれるほどのものだった。
「兄貴……」
「ま、優秀な兵が居ても、知将が居なきゃ、馬のない馬車と同じだけどな」
そう言いながら、彼はザインの肩を叩く。その瞳は、まだ成人を向かえぬ弟を、頼りとし、相棒として見つめていた。
「それを言うなら、馭者のいない馬車ね」
馬のいない馬車というなら、まだ主のいない鎧と例えた方がましなのかもしれないと、ザインはクスクスと笑いたくなってしまう。
信頼しきっている兄弟が、戦場の中で和んだ空気を分かち合っているそのときだった。
「リザードマンだ!魔導師がリザードマンを放ったぞ!!」
森の少し向こう側から、兵士の叫び声が聞こえる。奇襲である。
「弓撃隊前へ!奴らを牽制しろ!魔術隊!爆発系の魔法で応戦だ!!百人剣隊!無理はするな!可能なだけで良い、数を減らせ!伝令隊!各隊に伝えろ!歩兵団は待機!千里眼を持て!」
ザインは慌ただしく指示を出すと同時に、兄と共に前線に走る。十七の少年が疾風のように駆け、一匹のリザードマンを見つけると同時に、真上から飛びかかり縦一文字に斬り殺す。剣の切れ味の良さではない、彼の才能が可能にしたことであった。
着地と同時に、次の標的目を向ける。横では彼の兄が戦っていた。足場のせいか、彼は可成り戦い辛そうにしている。それが重厚な騎士の鎧がもたらした結果なのは、目に見えて明らかであった。
「兄貴!退け!」
足場の悪い戦場でなれない鎧を着て、尚且つ速さと装甲を持つリザードマン相手には、分が悪すぎだ。ザインにはそれがすぐ解る。すべての動作ポイントを、普段より早く、思考も俊敏に行わなくてはならないのだ。それには経験がいる。
「バカ言うな!この鎧さえあれば、どんな攻撃でさえも!!……」
次の瞬間、リザードマンが真横に振った腕に、兄の上半身が持って行かれる。鋭い爪が鎧をさいたのだ。
「兄貴ぃぃ!!」
ザインは無意識のうちに腕を伸ばし、目の前の幻影を掴もうとしていた。そしてそれが悪夢であることにも気がつく。ベッドから起きあがった上半身は、汗でビッショリ濡れていた。巻かれていた包帯が、汗を吸いきれないほどだった。
「チクショウ!!」
ザインは頭髪を毟ってしまう勢いで掴み、そのまま頭を抱え込み、奥歯が折れてしまいそうなほど歯を食いしばる。
「ザイン!?」
ロンの心配げな声と同時に、全員が部屋に飛び込んでくる。彼はそれに気がつき、すぐに頭から手を離し、苦々しく笑う。
「何があったのですか?」
ロカがザインに近づく。彼の尋常でない汗が気になる。
「は、はは、そのネズミが……、居たんだ。そこに……」
小心者の顔をし、頭を掻きながら取り繕うザイン。照れくさそうにしている彼は、普段の彼に見える。汗以外は、別に不信な様子はない。
「ね、ネズミ?!巫山戯るな!夜中の何時だと思っているんだ?全く……、大の男がなんだ!馬鹿馬鹿しい。私は寝るぞ!!」
ロンがカンカンになって、部屋を出て行く。眠いところを起こされ、不機嫌なのは皆当たり前だ。ロカも不信な点を感じたものの、今のザインが至って冷静なので、睡眠のことを考え眠ることにした。ジーオンは、話さないことは聞かない。それが互いに気まずいものでない限り、そっとしておく質なのだ。人の過去に拘らない、彼の性分上の故もである。
残ったのはアインリッヒだった。彼女は昼間のザインの異常を十分知っている。尋常でない汗のかき具合が、気になるところだ。
アインリッヒはランプを持ったまま部屋に入り、部屋の戸を閉め、彼に近づく。ランプの反射で、彼の汗のかき具合は解っていたが、側で見ると、予想を越えて酷い。それが恐怖であった以外、原因が考えられない。
アインリッヒは、水瓶の側に置いてある洗顔用のタオルを持ち、ザインの額を拭いてやる。
「いいよ。自分でやる」
彼は一度、アインリッヒの好意を嫌うようにして、そっと彼女の手を押しのけた。
「どうした。昼間といい、今といい……、お前どこか悪いんじゃないか、もし、具合が悪いのなら……」
「平気だ!ネズミなんだよ。今のは……、顔の前にいたもんで、びびっちまって……」
ザインは、アインリッヒからタオルを奪い、自分の顔を拭く。暫くタオルに顔を伏せたまま、呼吸を整える。自分の心に暖かく踏み込もうとしていた彼が一転して、心に壁を造り、一切踏み込むことを許さない。形は違うにしろ、その感情がアインリッヒにはよく解った。
一瞬息をのみ、彼から遠ざかることも脳裏に浮かんだが、それは違う行動だと、何となく彼女の勘が悟らせる。そして、今自分に出来ることをすぐに見つけるのだった。
「ザインバーム……、……、そうだ。包帯を代えてやろう」
慌て気味に、まるで隙を与えないようなアインリッヒの口調だった。
「ありがとう」
ザインは、アインリッヒの行為に対して、冷静な自分がそこにいて安心した。切迫感のあるアインリッヒの思いが、自然にそういう返事をさせたのかもしれない。今の一言で、二人の間にある空気の緊張が少し緩んだのが解る。
〈あの時、兄貴には待機命令を出せば良かったんだ!細かなところまで、気を利かせることが出来れば……、いや、騎士の鎧を脱いでから、応援させれば……、俺にはその権利と立場が与えれれていたんだ……〉
彼は懇々と考える。懸命に終わった過去を清算する手段を見つけようと、延々悩み続けているのだ。それがどれだけ無意味なことかを知っていながら……。
「ザインバーム……」
包帯を取り替えようとしていたアインリッヒは、ザインの背中に走る大傷を目に入れ、息を飲む。そして彼の身体中には、そんな傷が無数に走っていた。
「言っただろ。其奴はオヤジとの特訓で、ついたんだ」
あまり訊かれたく無さそうに、声に鬱陶しさが込められていた。ため息がちな彼の声が直そう感じさせるのだ。
アインリッヒとしても、他人のプライバシーに関わることを、そう諄く訊くつもりはなかったが、にしては、あまりに酷いものがある。簡単に言えば、息子の将来を期待した父親が、致命になりかねない傷を、これほど負わせるものだろうかと、そんな疑問に駆られずにはいられないのだ。
「そうだ、新しい包帯を……」
だがアインリッヒは、我に返り、立ち上がり包帯を探しに、部屋を歩き回る。
「もう良いよ。傷も大分治っているし、必要ない」
ザインは、その不必要生を訴える。
「しかし……」
必要以上に心配そうなアインリッヒだ。戦士として、怪我には敏感なのは当然であると、ザインも思う。
刀傷なら尚更で、後でどの様な後遺症になるか、解ったものではない。しかしすでにジーオンによって治療されている、心配は無用の長物だった。
怪我の経験と治癒の経験からも、それが良好に向かっていることは、ザイン自身画一番よく理解していた。
「それよか、一緒にシャワーでも浴びないか?」
ベッドから立ち上がり、そのまま真っ直ぐシャワールームに足を運ぶザイン。意図も簡単に口から出たその言葉に、アインリッヒは胸元に両手運ぶ。その動作は、殆ど反射的と言って良いモノだった。
返答がないのを知ったザインは、アインリッヒに背中を向けたまま、一言こう言った。
「冗談だよ」
声だけが種明かしをするように、笑ってそういっている。彼女の頑なさを逆手にとったような笑みを浮かべているが、アインリッヒからはその表情は伺えない。
アインリッヒは、カッと赤くなる。自分を女と知って、卑劣な冗談を言ったザイン。そして、自分を女視するなと言った自分自身。その両方に腹が立った。
ザインの言葉は、明らかに彼女が自分を女視するのを嫌っているのを知って言った暴言である。だが、彼女自身、それを嫌っているにも関わらず。男性の前で肌を曝すことも、女としての生活習慣を変えることもしなかった。アインリッヒは、長いブロンドの髪を指に絡め、強く握る。
〈口先だけだ、私は……。女でなければ、髪など伸ばす必要もない。肌を曝すことを、拒む必要もない〉
アインリッヒの足は、自然にザインの居るシャワールームに向かう。手は震えながら、パジャマのボタンを外し始めていた。
その時だった。
「なぁ」
だらけた呼びかけが、シャワーの音に紛れて、アインリッヒの耳に飛び込む。ボタンを外していた手が、驚いて止まる。
「鎧、使いこなしてるか?」
次にこんな事を言う。アインリッヒの気配は、すっかり彼に知られてしまっていた。もし、この呼びかけが無ければ、己に嫌気がさしたまま、衣服を脱ぎ捨てていただろう。
「あ、ああ」
話しの焦点が解らない。だが、それは重要なことだ。意表をつかれ息を詰まらせながらも、無難に答える。口が自然に開いたままの、意識のない返事だ。驚いた目は、シャワー室の扉に釘付けの状態にある。磨りガラスの向こう側には、背中を向けている彼が、頭を洗っているのが、何となくわかる。
「良かった。森なんかは、足場が悪いからなぁ、重みに負けて、どんな状況で足を取られるか解らない。ま、先日の動きを見る限り、大丈夫そうだな」
「ザインバーム……」
どう返事を返して良いか解らず。意味無く彼の名だけを口にしてしまう。
「バカなこと考えないで、とっとと寝ちまえ。朝には準備して、出て行く。道案内頼むぜ」
「ああ」
返事はそればかりだった。しかも喉の何処かが詰まったような、ハッキリしない返事だ。変な緊張もあり、喉の乾きも激しい。心臓だけが落ちつきなく不規則なリズムを刻んで、まったく自分のいうことをきいてくれそうにない。
「それから!ザインでいい」
少し壁を置くアインリッヒに対し、ザインは、明るい声で元気良く愛称で呼ぶことを促す。先ほどのトーンとは違って、急に大きくなった、ザインの声に、アインリッヒは、吃驚して少しだけ背筋が伸びてしまう。汗の滲んだ手のひらが、ボタンをはずしかけた胸元をじっと握っているのだ。
「んでもって、アインリッヒってなぁ舌噛みそうだ。アインでいいか?」
回りにいるのは、ロンに、ロカに、ジーオンに対しては「爺さん」である。非常に呼びやすい。それにかこつけて、馴れ馴れしいことを言うザインだった。
アインリッヒは、今まで愛称で呼ばれたことなど無かった。母は彼女が幼い頃に死んでいる。家は五大雄のエンブレムを持つ名家の一つだ。厳粛な呼び方こそするが、そこには親しげな暖かみはない。
アインリッヒは、ザインがつけてくれたこの愛称を、口元だけで呟く。ザインとの響きが似ているのが気にんなるが、もう一度口を動かしてみた。
「別にいやなら……」
返事の返らないアインリッヒに対して、軽い口調でそう促すザイン。
「そんなことはない!!そんなことは……」
それに対して、押し切るように承諾を下すアインリッヒだった。磨りガラスの向こうから、振り向いたザインの輪郭が、アインリッヒの方を向く。どことなく驚いているのが解る。声の大きさに吃驚したのは言うまでもない。
「そっか、んじゃ、おやすみ、アイン」
ザインは態と彼女につけた愛称を、強めにして言う。曇った彼の輪郭だ。だが、なぜか視線が自分の方を向いているのがわかる。なぜか本当の彼が見える気がしてならない。
互いの空気が交わったのを理解したためたザインは、静かに背中を向けて、再びシャワーを浴びる。
「おやすみ。……ザイン」
アインリッヒは、少し言い辛そうに、彼の愛称を言う。そして、脱衣室から姿を消した。
アインリッヒが自分の部屋から姿を消したのを感じると、ザインは、ギンギンになっている下半身を眺めて、一言呟く。
「やっぱ、一緒にシャワー浴びたかったな」
どうやら、今夜は別の悪夢に苛まれそうである。
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