ゲンバビト

加藤 130

プロローグ

「ありがとうございました」


 僕は、その方の背中を見えなくなるまで見送った後に


 深呼吸にも似た


 深いため息をついた


 ネクタイ屋の僕は今


 世間で爆発的な流行語になっている


「センツァクラバッタ」という得体のしれない文言に殺されかけている


 イタリアかぶれの雑誌社のライターが


 迷惑にも流行らせてしまった


 日本語に直すと「ノーネクタイ」に


 世のファッションピープル達は


「イエス」と唱えた


 環境大臣が


「夏場の軽装による冷房の節約」を唱えて


 オフィスの軽装化が一気に加速化してきた


 名付けた言葉が


「クールビズ」と言う


「たまったもんじゃない」と


 僕は独り言を発した


 ここ最近 独り言とため息が多くなってきたのが自分でもわかるくらい


 思考がマイナスになってきた


「クラシコイタリア」という聞きなれない言葉に魅了されて


 イタリア仕立ての


 スーツの格好良さを知った矢先のできごと


「ネクタイ売れへんやん・・・・・」


 僕は、大阪城から近い


 ビジネスビルのテナントゾーンに


 約3坪の舗(みせ)を構えている


 小さいが僕は満足していた


 自分の城をかまえるという憧れが


 現実になり


 僕はいい気になっていたが


 それも束の間


 今、僕は最大の危機に晒されている


 僕の舗は


 壁面全てにネクタイのマスが並べられ


 そこに上質なネクタイを丸めて


 ディスプレイして


 お客さんにセルフ感覚で選んでもらう舗だ


 通行人のビジネスマンの人々とも


「馴染み」になり


 他愛もない会話が生きた会話になる


 術を学んでいる


「ねえ、俺の会社も来週からクールビズ?になるから、当分お兄さんの舗で買い物できなくなる」


「そうですよね」


「ネクタイを着けて出勤しても良いか?と上司に尋ねると上の決定だから


 今はネクタイを外して出勤しなさいと偉そうに言いやがる


 俺たちサラリーマンは上に逆らえないからな


 取引先に行く時にもネクタイを外すんだってさ


 この国は礼節が欠けていくのかね」と《


 僕とあまり歳がかわらない


 顧客さんが、愚痴をこぼす


「しょうがないですよ


 でも、こうなったら商売上がったりですわ」と


 僕はおどけてみせたが


 内心はどんよりしたままだった


 全世界が「ノータイ」を推奨しているのだろうか?


 とふと不思議になった


「いや、日本だけだな・・・・・」と自分に言い聞かせ


 まだ見ぬ


 イタリアの遠い空を妄想で眺めた


 その空は嘘のように


 青い空だった。

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