第18話 とある子爵家を襲った青天の霹靂1


――結婚する。近々、挨拶に連れて行く。



 短い手紙がウォルシュ子爵邸へ届けられたのは、つい数日前の出来事。

 相手がどんなお嬢さんなのかも、どういう経緯でそうなったのかも、何にも書かれていない不親切な内容だった。


 差出人は、王都で近衛騎士になった三男。


「イグナスが結婚するとは、どういうことです? お相手は幽霊? あいつ、遂に狂ったんじゃないでしょうね」


 失礼な言葉と共に書斎の扉を勢いよく開けて入って来たのは、報せを受け取り、急いで駆け付けた次男だ。


「母上への挨拶は済ませたのか?」


 上着も脱がず、旅装そのままの姿をした弟へ苦言を呈し、頭痛がするのかこめかみを抑えたのは、ウォルシュ子爵家の長男。


「事情が全くわからないんだ。本当に狂ったのかもしれない。父上が、王都へ向かったよ」

「ジェレーナは、あいつの全てでしたからね」


 だけど、もう三年だ。今更ではないかと言いながら脱いだ上着と帽子を従者へ預け、次男は応接用のソファへと腰を下ろす。

 すかさず出された温めのお茶に手を伸ばし、喉を潤した。


「時間が、傷を癒やした可能性も捨てきれない」

「ですが、まだ三年でしょう?」


 先程とは正反対の言葉を吐いた次男を一瞥して、長男が微かに顎を引く。


「あいつにとっては、どちらなんだろうな。もう三年か、まだ三年なのか」

「どちらにしろ、イグナスがジェレーナ以外と結婚するなんて有り得ないですよ。上官からの命令で、断れない政略結婚とかではないですか?」

「それなら、父上と俺に話が来ないのはおかしいだろう」

「では、やはり気が狂った……?」

「母上の前で、それを言うなよ」

「わかっていますよ。母上は? どんなご様子です?」

「ただただ、戸惑っておられる」

「戸惑って当然ですね。あいつは本当に、言葉が足りない」


 重たいため息が、書斎に満ちた。



 停滞するしかなかった状況に動きがあったのは、ウォルシュ子爵からの手紙が届けられてからだった。


 流石親子と言うべきか、これまた手紙は短くて。三男とその婚約者を連れ帰る旨と、到着予定日が記されていただけだった。


 どうやら婚約者は実在するお嬢さんらしいと兄達が顔を見合わせて、母は、慌てて使用人へ客人を迎える支度を整えるよう命じた。


「ねえ、ロナウド。イグナスが結婚することを、皆が皆、驚愕しているのは何か事情がおありなの?」


 イグナスの幼少期を知らない妻に問われ、ウォルシュ子爵家の長男は、苦い笑みを浮かべる。


「イグナスの婚約者がアリソン伯爵令嬢だったのは、話したか?」

「ええ。存じておりますわ」


 ジェレーナ・ローゼンフェルドの訃報が届けられた時も、ウォルシュ子爵邸は大変な慌てようだったのだ。

 当然、事情は聞いていた。


「子供の頃の二人を知っていれば、誰だって驚く」


 知らない妻には全くわからないようで、首を傾げられたことに、苦笑が滲む。


「共にあることが、自然な二人だったんだ。まるで、神がそうあるように作ったような、一枚の絵画のように、完璧な」


 後悔が再燃して、思わず声が震えた。


「本当に、何故俺たちは……ジェレーナの異変に気付いてやれなかったのか……」


 目頭を抑えた夫に歩み寄り、妻がそっと、広い背中を撫でてやる。


「イグナスが前へ進むことを決めたのなら、祝福してあげるべきよ」

「……ああ、そうだな」


 末の弟が帰って来たら、笑顔で迎えてやろうと決めた。

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