第30話 涙

「うっ、うう、お、俺、どれだけ寝てたのかな……」


 気だるげな体をゆっくりと起こし、部屋を見渡すが誰も居ない。

 窓の外を見ると既に暗くなっており、かなり気を失っていたのだろうと、レパルトは考えた。

 そして、ゆっくりと思い出す。


「俺……しちゃったんだ……ブリシェール姫だけじゃなくて……エルサリア姫にまで、あんなに……」


 これまで、まともに女性と話す機会も少なかった自分が、僅かな期間で一国の姫を二人も体を重ねるとは思わなかった。

 いや、体を重ねるなどという生易しいものではない。

 身も心も蕩けそうになるほど、激しく濃密に混ざり合った。

 思い出しただけでも頬が熱くなってしまうような出来事を、レパルトは頭を振って振り払い、ゆっくりとベッドから降りて部屋の外へと向かう。


「今、どうなってるのかな? 姫様は? ブタたちは?」


 恐る恐る部屋の扉を開けて廊下に出ると、少し薄暗く、人の気配もあまりない。

 回りには、レパルトでは価値の分からない壺やら絵画やらが飾られている。

 地下世界から比べれば、地上のあらゆる文化が始めて見るものであり、急に心細くなってビクビクしてしまう。


「……ということですね」

「ん?」


 その時、誰かの声が聞こえて、レパルトは廊下をキョロキョロする。

 すると、廊下の奥に、扉が僅かに開いた部屋があり、その隙間から灯りが漏れている。

 恐らく、誰かが話をしているのだろうと、レパルトは忍び足で扉まで近づく。

 すると、中には……



「そうか。覇王国から来る騎士団は僅か百程度か……まあ、もう敵兵も捕らえたので戦いはないし、復興作業を手伝わせるならそれぐらいいればよいか」


「ええ。それと、伝令の報告によれば、百人の中に医療や治癒の魔法を扱えるものは十人ほど居るそうです。もうじき到着するようですので、到着次第、怪我人の治療をしてもらいましょう」


「うむ。それと、傷の手当だけでなく、オークに犯された娘たち……流石に処女膜などは治せぬが、裂傷や、あとは万が一にも妊娠などしないように、薬や魔法の準備をせよ。必要であれば……悪夢のような記憶を魔法で封じてやってもよい」


「ええ、心得ております」



 部屋の中は、大きな円卓が設置されている会議室のようになっており、中にはブリシェール、セレスティン、エルサリアの三名と、ミルフィ国の民の代表者と思われる数名を交えて会議を行っているようだ。



「それで、ブリシェール姫。例の、アルテリア覇王国本軍と、例のオーク軍本軍の戦については……」


「そちらも、父上直筆の文が伝書の鳥より送られた。敵軍も、副将の死やわらわたちを人質にすることの失敗で想定が狂ったようで、撤退したようだ。父上たちも、本国の被害を受けたことで、敵軍を追撃するのをやめて、急ぎ本国へ戻るそうだ」


「……ということは……」


「うむ、一応、全面戦争については一段落というところ……そして、わらわたちはこのまま、ミルフィ国の復興に従事しながら、近隣諸国や他種族の動きに警戒するよう言われておる。エルサリア、すまぬがもうしばらく厄介になるぞ?」



 話の全容はレパルトには理解できない。

 しかし、とりあえず、戦争そのものは終結したということだけは理解できたので、それだけはホッと胸を撫で下ろした。

 

「ところで、ブリシェール姫……捕虜のオークたち……制裁に耐え切れずに絶命した者たちも居ますが、まだ生き残りも居ます。そちらの捕虜についての処遇はいかがいたしましょうか?」


 捕虜のオーク。その言葉にレパルトは耳を傾けた。

 すると、ブリシェールは……


「……既にオークたちとは和睦不可能だ……父上もそう認識している。故に、捕虜に情けは無用。生き残ったオークたちも、騎士団が到着次第、彼らの手で斬首とする」


 これまで地下世界に訪れた時や、レパルトと二人で過ごしていた時には一切見せた事の無い冷酷な眼で告げる厳しい判決。

 ブリシェールのその瞳と言葉を聞いた瞬間、レパルトの全身が思わず震え上がった。


(そっか……あのブタたち……全員……)


 オークたちは全員死刑。それは当然のことなのかもしれない。


(そうだよ、あいつらはひどいやつらだ……チャンプを……多くの女の人たちを……この国だって……それに、もし姫様まで攫われていたら、もっと酷いことを……)


 奴らはそれだけのことをしたのだから当然だ。

 ただ、そうは思いつつも、レパルトの心の中を何かが締め付けた。



―――さあ、来い! 正々堂々と殴り合おうじゃねえか!



 イベリの言葉が不意に頭を過ぎった。

 奴らは最低な奴らだ。多くの罪無き人たちを殺し、傷つけ、そして容赦なく犯した。

 だから、レパルトもオークたちが嫌いだった。

 自分の親友を殺し、故郷をメチャクチャにしたような奴ら、例え拳を交えたとしても、何かを語り合おうともする気はないと宣言した。

 しかし……


(あいつ……あいつ……死ぬんだ……)


 言葉でいくら拒否し、否定しようとも、イベリとの殴り合いはただの殴り合いだっただろうか?

 少なくとも、イベリは自分に対して、何かを感じていた。

 その結果、最低最悪なオークだったはずが、自分との戦いでは、決して卑怯な手を一切使わなかった。

 力と力のぶつかり合い。

 それは、本当にレパルトの心に何ももたらさなかったのか?


(あいつ……確か……イベリって名前だったな……)


 気づけば、会議室から離れ、レパルトはフラフラと廊下を歩いていた。

 敬愛する姫の眷属となって、セレスティンも救えたうえに、戦争はこれで終結したのであればそれでいいはず。

 それなのに、締め付けられる胸と共に、何故かレパルトの瞳に不意に涙を潤ませていた。

 すると、その時だった。


「へへへ、おら、ブタが! これでもくらえ!」

「いいか? ジワジワといたぶってやる。死ぬまで後悔しやがれ」


 どこからか、乱暴な口調の男たちの声が聞こえてきた。

 思わず当たりを見渡すと、近くに、下へと続く階段があった。

 あまり、人の領地の中で勝手にウロウロするのはまずいというのは、レパルトも何となく分かっていた。

 しかし、このときばかりは、そんなことを考える間もなく、自然と足が階段を下りていた。

 そして、レパルトはたどり着く。

 螺旋状になっている狭い階段を下りていくと、いつの間にか左右の壁が四角い石を積み上げて出来たものへと変わっていた。


「よっし、ナイフが腹に命中! こりゃ高得点だ」

「おうおう、やるじゃねえか。んじゃ、次は俺の番……なあ、枠内じゃなくても、例えば目とかにナイフが当たれば高得点ってのはどうだ?」


 階段を下りるたびに乱暴な口調が大きく聞こえてくる。

 更には、愉快そうに笑う声。

 そして……


「げぶ、げえ……がはっ…………」


 弱々しい、今にも消え失せそうな声が聞こえてきた。

 その声に、レパルトは聞き覚えがあった。


「ッ!!」


 思わずレパルトは駆け出して、階段の最下層へたどり着く。

 そこには、広がる血や悪臭の匂いが広がり、いくつもの鉄格子の部屋が縦一列に並んでいた。


「な、なん……こ、これは、な、なんな……の?」


 地下世界の住人でも、レパルトは「そこ」が何なのかは理解できた。

 牢獄だ。捕らえた罪人たちを収監する牢獄だ。

 しかし、レパルトが思わずゾッとした顔をしたのは、それだけが原因ではない。


「ん? おい、小僧、ここは関係者以外……ッ! お、お前……いや、あなた様は!」

「お、おおおおおおおお! これはこれは! 我が国を救ってくださった、英雄さまではないですか!」


 牢屋の前に居た見張りと思われる男たちが、一瞬、レパルトの存在に顔を顰めるも、すぐにパアっと笑顔を見せて駆け寄って来た。


「よかった、すごい傷だけど、無事だったんですね! あなたの戦い、ずっと見てました! 本当に感動しました! あなたの勇気があったからこそ、この国は救われたのです!」


 駆け寄った男たちが心からの笑顔と感謝を示し、そして誰もがレパルトに握手を求めて頭を下げて礼を述べる。

 人に賞賛されること。

 人から礼を言われること。

 ましてや、人から英雄と呼ばれる等、負け続けの人生のレパルトにはどれも初めてのこと。

 本来であれば、有頂天になるほど喜ばしいことのはず。

 しかし……


「な、に……やってる……ん、ですか?」


 レパルトは、自分への賞賛よりも、今この牢獄という空間で起こっている事態のほうが異常であった。


「ああ、捕らえたオークたちを収監しているんですよ」


 レパルトの問いに、牢を守るミルフィ国の衛兵と思われる男たちは特に取り繕うこともなく笑顔でアッサリと答えた。

 だが、それだけなのか?

 ならば、自分が気を失っている間に、オークたちに一体何があったのだ?


「なんで、こんなに……」


 狭い牢獄に押し込められているオークたちは、誰もが傷つき、中には両手足を切断されたり、肉体をズタズタに切り裂かれている者たちも居る。

 そして、複数の牢屋が並ぶ中で、一つだけ、たった一人のオークしか収監されていない特別な牢屋が目に入る。

 そのオークは両手足を壁に磔にされ、雄々しく筋肉質だった肉体が無残に割かれ、その腹部には赤い丸が描かれ、その周辺にはいくつものナイフが突き刺さっていた。


「ああ、こいつですか。こいつはあなた様の拳で追い詰めた、我らの国に悲劇をもたらした大罪人でもある千人隊長です」


 既に痛みと傷で意識が朦朧としているも、まだ生きている……いや、ギリギリで生かされているイベリ。

 そして、その身は、囚われて身動き取れないことをいいことに、拷問や制裁を超えて、もはや弄ばれている。

 

「うっ、お、おえっぷ」

「英雄様ッ!」


 思わず吐き気が催すレパルトを、兵たちは皆、心配そうに駆け寄って身を案じる。

 自分たちの国を救った英雄に万が一のことがあってはならないと、皆が本心でレパルトの様子に緊張が走った。

 一方で、レパルトの頭の中はグルグルと混乱した。


(なん、で? 何でなんだ? こ、こんなひどいことをしてる人たち……でも、みんな俺のことを心配してくれて……この豚たちは本当にひどい奴だからどうなっても……でも……なんで?)


 イベリやオークたちなどどうなっても構わない。それはレパルトの本心ではある。

 しかし、これは一体なんなんだと、動揺が収まらなかった。

 すると……


「……っ……ぐっ……お……おお……なんだよ……善戦帝王……か……」


 その時、掠れるような声が牢屋の中から発せられた。

 それは、瀕死のイベリ。


「あ……あっ……う、あ……」


 見るも無残な姿となったものの、その瞳の奥の眼光は、どこか穏やかであった。



「なん、だよ……良い面構えが台無しにな、るよ、うな目をしやがって……でも……ツラを見たかったから……嬉しいぜ……すぐに、俺も気を失って……どうなったか、わか、んねー、まま、だったから……」


「なんで……なんでこんな……そ、れに、かお、みたかったって……」



 レパルトは思わず狼狽し、見張りの兵たちはイベリが起きたことに殺意をむき出しの表情を見せる。

 イベリは、穏やかな目でレパルトの顔を見て、小さく笑みを浮かべた。



「……どう、して、だろ……な……死ぬ前に……なんだか……無性に……お前に、もう一度会いてーと思っちまってた……」



 ボロボロになるまで力の限り殴りあった男の顔をもう一度見れて嬉しいと言うイベリ。



「ほんと……に……つよ……かったぜ……おまえ……」


「ッッ!!??」


「……おま、え……さいこ……う……だったぜ……」



 その笑顔が、どういうわけか、レパルトには地下世界で散った親友の笑顔と重なり……


「俺は……俺……こんなつもりで……お前を殴ったんじゃないのに……お前はひどいやつで……姫様に報いたくて……だから、がんばった……のに……どうしてぇ!」


 同情? 分からない。この涙が何のために流れているのか、レパルトには分からなかった。

 レパルトの瞳からはついに大粒の涙が零れ、


「うあ、あっ、う、あ……うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 気付けばその場から走って逃げ出してしまっていた。 

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