ハンマーフェロー編Ⅴ 死者の章
1 破滅の序曲(プレリュード)
「如何な師匠の頼みと言えど、今、ワシは忙しくて手が離せん」
そう言ってギリルは職人ギルドの要請をにべもなく断ってしまった。
ギリルらしいと言えばギリルらしい。
彼も自分の利益優先でそうしたわけではないので、ここは大目に見て貰おう。
「お前こそ、こんなところにおって良いんか。聞いたぞい。参事会で義勇兵に無償で装備を提供すると大見えを切ったそうじゃの」
相変わらずギリルの工房に入り浸っている弟に、珍しく兄がまともな苦言を呈す。
「そっちは弟子達が頑張っているからいいんだよ。俺自身が打つなんてひと言も言ってないしな」
ドリル作の装備が手に入ると思っている人達には気の毒だが、彼の工房で造られたというだけで価値があるらしいので、文句を付けられる筋合いはないという。
さて、ギリル達兄弟は別として、相手を迎え撃つ準備が粛々と進められる中、そうかと言って敵がそれに合わせて襲って来るわけではない。
そこが守備側の難しさと言えるのだが、当然、この街にも当て嵌まる。
当初は自分達の街を守ると意気込んでいた住人の間にも五日経ち、十日経つに連れて次第に弛緩する空気が流れ始めた。
本当に
また、そればかりでなく、実際に財政や生活への負担も大きくなりつつある。
致し方がないとはいえ、このままでは早晩、不平不満が出て体制の見直しが図られるのは避けられない見通しとなりそうだ。
それでも俺達冒険者はまだマシな方だった。
迷宮の監視を兼ねて、これまで通り探索に赴けるからだ。
「こうしていると、街に危機が迫っているなんて思えないわね」
強化された監視網に従事する係と、魔物の進撃の第一発見者という栄誉にありつきたい冒険者とで以前にも増して賑わいを見せる『死者の迷宮』入口を眺めながら、呆れたようにセレスが呟いた。
「まったくだね。いざ、その時になって慌てて混乱しなきゃいいけど」
まあ、これだけ冒険者がいれば
「あんた達もこれから探索か?」
俺とセレスが話していると、背後からそう声を掛けられた。振り向いた先には、白銀級冒険者であるスヴェンの姿があった。
「こんにちは。スヴェンさん達も今から潜られるんですか?」
挨拶を返しつつ、俺がそう訊ねる。
「ああ。そのつもりだ。少し予定は変更するがね」
「変更?」
何でも当初の予定では迷宮の浅い階を広く探るつもりだったらしいが、冒険者の多さを見て、深い階層に足を伸ばすことにしたそうだ。
「上層階はごった返しそうだしな。どうせなら他の冒険者が行かなそうなところを探ってみるよ」
彼らほどのベテランなら要らぬ世話だとは思うが、一応、無理はしないでくださいね、と言っておく。
「ああ。これから大一番が控えているっていうのに、参加できなくなるようなドジは踏まないさ。それよりそっちはどうするんだ?」
「私達は中層階辺りを探索しようかと。上層階ではさすがに採算が取れなくなってきましたから」
これまでも上の階層では黒字になるかギリギリのラインだったけど、人が増えてお宝の発見率が下がったせいで、今は完全に割が合わなくなっていた。
だったら途中まで一緒に行かないか? と誘われたので、承諾しておいた。折角の機会なので
「そういえば鎧を新調したんだな」
スヴェンが俺達の防具を見て、そう指摘する。彼が見抜いた通りだった。
元々は俺やミアだけが新しい装備を手にして一人蚊帳の外にいたセレスが若干拗ね気味だったために考案したものだ。
さすがにドリル謹製である愛剣の魔改造は許さないだろうから(ギリルはやりたそうだったが)、代わりに白銀鎧の改良を行ってみた。
従来品に比べて素材はほぼ同じだが、パーツをセレスの体型に合わせてより細かく分割することで、防御力を損なうことなく、可動域を拡げて動きやすさを向上している。
そのせいで万人向けとは言えなくなり本人以外には合わなくなったものの、特に問題は無いはずだ。
ついでに俺やミアの使う革鎧もセレスの物ほど凝ってはいないが、同じコンセプトで製作したので、通常の品より倍近くの手間と金が掛かっている。
これもドリルが採算を度外視して取り組んでくれたおかげだ。
彼もギリルに似てきたようで、少々心配である。兄弟揃って変人と言われることがないように願おう。
「そうそう、ゲーリッツの野郎が今日から復帰するらしいぞ」
ゲーリッツと言えば、あの模擬戦の最後に卑怯な手段でミアを攻撃しようとして、審判役だったガルドに力づくで阻まれた挙句、腹に痛烈な一撃を喰らい、療養していると聞き及んでいた。
それ以外に接点はなく、復帰すると聞いても、そうですか、としか答えようがないのだが。
「あいつも君らの実力は思い知っただろうし、これ以上の恥は掻きたくないだろうから絡んでくることはもう無いだろうけどな。どうせなら少しは大人しくなっていてくれりゃいいが」
向こうに関わる気がないのなら、俺としてはどうでも良い。とっとと忘れることにしよう。
そんな会話をしながら迷宮を進んで行くが、どうもいつもと違って妙な感じだ。
「魔物、いない?」
そうなのだ。ミアが言うように、結構歩いたにも拘わらず、ここまで一度も魔物に遭遇していない。こんなことは初めてだった。
「いつもなら二、三回は戦闘があっておかしくないくらいの距離は進んで来ているんだがな。幾ら人が増えたからと言って、魔物が狩り尽くされるほど『死者の迷宮』が狭いわけはない」
スヴェンも訝しがっている。長年、この迷宮に潜り続けている彼が言うのだから間違いないだろう。
「何だか嫌な予感がするわ。セレス、地上に戻りましょう」
俺はすぐさまそう決断した。
「そうね。それが良さそうだわ。何か異変が起きているのかも知れない」
セレスも同意してくれたので、俺達はスヴェンにそのことを告げる。
「スヴェンさん、私達は地上に引き返します」
「ああ……俺達もそうしよう。他のパーティーの動向も気になるしな」
俺達は来た時と同じように揃って地下から舞い戻る。やはり、帰り道でも魔物と遭うことはなかった。
地上に出た俺達は、そこで右往左往する人達の姿を目撃した。
「魔物が消えたとはどういうことだ?」
「聞いての通りだよ。この数刻の間に迷宮から還った冒険者はみんな口を揃えてそう言ってるんだ」
「馬鹿な。有り得ん。それならどこに行ったというんだ?」
「知るもんか。こっちが訊きたいくらいだね」
どうやら探索が空振りに終わったのは俺達だけではなかったらしい。
「本当にどういうことかしら?」
セレスが人差し指を
思わず見惚れそうになり、慌てて咳払いで胡麻化してから俺は言った。
「魔物がいきなり消滅するとは思えない。あるとしたら上層階から下層階に移動したってことかな?」
「じゃあ、下層階で集結していよいよ襲って来る気なのね」
そういう可能性も考えられなくはないが、わざわざ下層階に呼び寄せて、同じ道を再び辿って地上に向かう必要があるんだろうか? それよりも途中でピックアップしていく方が効率的に思えるが……。
「とにかく、ハンマーフェローに異変を知らせろ。あとは偉い人達が判断してくれるだろうさ」
現場の責任者らしき人が部下に命じたその時、誰かが大声を上げた。
「見ろ、あれを。ハンマーフェローから煙が上がっている!」
声に釣られて俺もハンマーフェローの方角を振り返る。ここからだと街は豆粒くらいにしか見えないが、確かに煙らしきものが幾筋も立ち昇っているように映った。だが──。
「煙がどうした? そんなの、鍛冶をしていれば珍しくないだろ?」
冒険者の一人が小馬鹿にしたように口を挟む。
「違う。あれは鍛冶の煙なんかじゃねえ。街が燃えてるんだ」
声を上げたのは古代エジプトのホルス神を彷彿とさせる鳥頭の獣人だ。彼らの種族は総じて視力が良いので、鍛冶の煙かそうでないか、見分けが付くのだろう。
「ミア、煙が上がっているのは城壁の中か外か、わかる?」
俺がミアにそう訊ねると、壁の中、と彼女は簡潔に答える。
俺には遠過ぎてわからないが、ミアにはちゃんと見えているようだ。
〈内部ということは既に街中に侵入されたのか?〉
あの煙が戦火なら手段は不明ながら城壁は突破されたものと見た方が良さそうである。だとすれば、もはや一刻の猶予もならない。
誰が指示を与えるとか考えている場合ではないだろう。
「冒険者は全員、ハンマーフェローに急行するのよ」
俺はあらん限りの声を振り絞ってそう叫んだ。
「何だって? そんなことを命令する権限があんたにあるのか?」
先程、小馬鹿にした者とは別の冒険者が喰って掛かる。俺はそいつの方を向いて、言った。
「ない。けど、そうすべきよ。議論している暇はない」
「誰がそんな指図に従う──」
尚も反論しようとする相手の言葉を遮って、セレスが一歩前に進み出ると、俺に代わって高らかに宣言する。
「私は黄金級冒険者のセレス。我が異名『クーベルタンの戦乙女』の名において指示する。冒険者は全員、ハンマーフェローに大至急戻れ」
さすがに黄金級冒険者の肩書きは効果抜群だ。俺には反抗的だった冒険者も呆気に取られて黙り込む。追い打ちをかけるように、スヴェンがそれに呼応する。
「俺は白銀級冒険者のスヴェンだ。『クーベルタンの戦乙女』の命に従うぜ。拒否する奴は今後、ハンマーフェローで冒険者は続けられないと思え。俺達が徹底的に妨害するからな」
そんなことを言って、やれるもんならやってみろ、と反発する冒険者がいたらどうする気だったんだろう? 幸いにもこの場には居なさそうで良かったよ。
スヴェンには無駄に反感を買うような真似は慎んで欲しい。
とにかく、こうして俺達は急ぎハンマーフェローへ向かうことになった。
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