3 妖精の園

「──というわけで、ギリルさんは工房に籠ると言い出して。店には私達だけで行けと。勝手な真似をしてすみません」

「あなた達が謝ることじゃないでしょ。それにしてもあの変り者がやる気になるなんてねぇ。私としてはあなた達さえ来てくれたらあんな奴、いてもいなくても大差ないから別にいいわよ」

 カミラさんが言うように、あの後、俺の話を聞いたギリルが予想外に喰い付いてきて、あれこれと質問攻めに遭う羽目になった。

「何と、炸薬と弾を金属の筒に入れて一体化するとな? そんな発想をした者は今まで誰もおらんかったわい。発火はどうするんじゃ?」

「筒の後ろに付けた点火核で行います。原理としてはパーカッ……ギリルさんの作ったこの銃と変わらない」

「それなら確かに弾込めの時間は短縮できそうじゃが……」

「メリットはそれだけじゃありません」

 俺は発射時の薬莢の膨張により高圧ガスの漏れを防止できる点や金属が薬室を冷やすことで過熱を抑制できる効果などを説明してやる。他にも利点は色々とありそうだが、実際に普及しているのだから知らずとも問題はあるまい。

「しかし、弾の形状を細長くする意味がわからん。こんなことをしたら真っ直ぐ飛ばんじゃろ?」

「ええ、ですから弾の通る筒の内部に螺旋状の溝を設けて横回転を与えます。それによりジャイロ効果──とにかく、真っ直ぐに飛ぶようになります」

 おお、独楽が立つのと同じ原理か、それならわかるぞ、とギリルが興奮した声を上げた。この世界にも独楽があったおかげで、理解が早くなって助かる。

「他には何を知っておる? ええい、勿体ぶらずに全部教えんかい」

 セレスが呆れて寝てしまった後も、俺は夜遅くまで付き合わされたせいで少々寝不足気味だ。

 ギリルはというと、今朝起きた時点でもまだ工房でウンウン唸っていたから恐らくそのまま徹夜をしたに違いない。

 結局、彼は店には行かないと言い出した。

「それどころじゃないわい。試してみたいことが山程できた。ツケの返済はお前達に任せるからカミラにはそう言っておけ」

 結果的に望んでいた通りにはなったので、これはこれで良しとしよう。あっさりとカミラさんが了承してくれたおかげで、揉めずに済んで何よりだったよ。


「ドレスはこちらで用意しておいたから、そこにあるのを使って頂戴。わからないことがあればスピナに訊いてくれたらいいわ。スピナ、二人の面倒をお願いね。接客と言っても難しく考えなくて大丈夫よ。要はうちに飲みに来てくれたお客さんを愉しく帰らせてあげればいいの」

 そんな感じでカミラさんが言い置いて店の奥に引っ込むと、代わりに俺達を案内したのはスピナと呼ばれたドワーフ族の女性従業員だった。彼女は身長こそ他のドワーフと変わりないが、身体付きは女性の割に筋肉質で、どこか豪快さを感じさせる人となりのようだ。

「更衣室はこっちだよ。装備品はロッカーにしまっておきな。帯剣して客前に出るわけにいかないからね。それから特にあんた、黄金級冒険者のセレスだろ? 私もこれで元冒険者だからね。あんたの名声は聞き及んでいるよ。けど、ここでは只の新人として扱うからそのつもりでいておくれ。ママも言っていたけど、大抵の客は飲んで騒げりゃそれでいいって細かい気を遣う必要のない連中さ。多少の手荒さならむしろ歓迎ってね。面倒なことはおいおい憶えていきゃあいい。もし接客していて何か困ったことがあればすぐに私を呼びな。それでもう一人はユウキと言ったね。あんたは見るからに絡まれそうだから、尚のこと気を付けるんだね」

「ご忠告、有り難うございます、スピナさん。行儀の悪いお客さんでもなるべく怪我させないよう気を付けます」

 俺がそう言ってのけると、スピナは最初目を丸くして、次に豪快に笑い出した。

「なるほどねぇ。あんたもいっぱしの冒険者ってわけだ。外見に騙されると男共は痛い目を見るってことだね。その様子、愉しみにしているよ」

 これでも散々セレスにしごかれたおかげで、相手が並の男程度なら引けを取らない自信は付いた。どちらかというとまだ加減が上手くないので、やり過ぎてしまわないかの方が心配だ。

 セレスに関しては、そうした配慮はするだけ馬鹿らしいというものだろう。もし黄金級の冒険者である彼女に手出ししようという命知らずがいるのならだが。

「ホントにいたぞ。王都の武術大会で観たから間違いない。あれは『クーベルタンの戦乙女』だ」

「絶対、眉唾だと思ったんだが、ハンマーフェローに来ていてラッキーだったな」

「黄金級冒険者と言えば山のような怪物を軽々と退治すると聞くぞ。そんな人にワシらドワーフが酒の相手をして貰えるんじゃろうか?」

「そりゃそうだろ。ここはそういうところじゃねえか。それよりお前、ヒト族には興味がなかったんじゃないんか?」

「よく見ると、あっちの黒髪のヒト族の娘も可愛いのぉ。どっちにするか目移りしそうじゃ」

 どこで俺達の噂を聞き付けたのか、そんな感じで出勤初日から『妖精の園』は大賑わいだった。

 特にセレスはヒト族ばかりか、客層の半数以上を占めるドワーフ族からも女性の好みに拘わらず他所で自慢できるとあって、あちらこちらから声が掛かる人気ぶりで、息つく暇もない多忙さを極めたのは言うまでもない。

 セレスほどではないにしろ、俺もそれなりに指名が入り、忙しく動き回ったおかげで、却って色々と悩まずに済んだのは幸いだったと言えよう。

 目まぐるしく働く日がそれから五日間ほど続き、ようやく多少は落ち着きを取り戻したものの、相も変わらずセレスや俺を見当てにひっきりなしに客がやって来る、そんな日常にもしばらくすると慣れてきた。

 中にはこんな客がいたのはご愛嬌だ。

「何だ、この店は。黄金級冒険者が酌をするというから来てやったのに、出て来たのは樽みたいなドワーフ女ばかりじゃないか。この俺を誰だと思っている」

 ヒト族のその男は、ここが様々な種族の女性が接客する店とは知らなかったみたいだ。見るからに世間知らずで、どこかの金持ちの道楽息子といったところに相違あるまい。

「申し訳ありません。黄金級冒険者のセレスは只今立て込んでおりまして、手が空き次第参ることになっております。ヒト族の接客係が宜しければ代わりを呼んでまいりますが?」

「ふん。どうせヒト族とは口ばかりの成り損ないの連中だろう。ドレスを脱いだら尻尾が生えているんじゃないか」

 既にここへ来るまでに相当飲んで出来上がっているらしく、他の客の迷惑顔も顧みず大声でそう喚き立てる。接待役と思われる同じヒト族の商人風の男性は、周囲から突き刺さる侮蔑の眼差しに晒され、何とか宥めようと必死な様子だ。護衛と思われる男が二人いたが、どちらも素知らぬ顔で左右に控えていた。

 そもそも近隣諸国と違って、ここはドワーフ族を中心とした多種族国家だ。ヒト族が優先的な地位を保っているわけでもない。

 それだけに人種差別的発言は御法度で、仮にそうした思想の持ち主でも大っぴらに口にするのは憚られるのが普通だ。

 特にこの店のオーナーのカミラさんはドワーフ族でもヒト族でもないハルピュイアと呼ばれる珍しい有翼人種であるだけに、常連客の間にはそれが店のルールとして浸透している。

 だから、それを知らない彼は一見の客、しかもハンマーフェローに来て間もないと言い切れる。

「お客様、私共に何か不手際がございましたでしょうか?」

 これ以上騒がれては他の席の客にも差し障ると思ったのだろう。店の奥からカミラさんが出て来て、やんわりと諭すような口調で言った。

 それが種族的な特性なのか、彼女自身の魅力なのかは不明だが、どこか神々しさを感じさせるカミラさんを前にしては大抵の人間は臆するものだが、この男の場合は違った。どうやら相当に亜人差別の強いところから来たらしい。

「誰だ、お前は? 羽根付き女など呼んでないぞ。そのセレスという女を呼べ。それまではそうだな、あの黒髪の女に相手をさせろ」

 あろうことか、そう言って俺を指差した。

「お言葉ですが彼女は今、別のお客様のおもてなしの最中です。しばらくお待ちいただきませんと、こちらのお席に着くことは叶いません」

 カミラさんの言う通りだった。俺はついさっきこの席の客に着いたところだ。結構待たせていたので、申し訳ないという気持ちもある。

「それがどうした。あんな貧相な客など放って置け。その分の金なら払ってやる。おい、お前、さっさとこっちに来い」

 確かに男が言うように、俺の隣で緊張気味に酒杯を傾ける若い二人連れの客は金持ちそうには見えない。たぶん、どこかの職人見習いといった辺りだろう。きっと店に来るのも初めてに違いない。

 本当は話題になっているセレスを指名したかったが、あまりの人気の高さに尻込みして俺に鞍替えしたといった感じだろうか。

 似たような経験は自分にもあるので、何となく気持ちはわかる。だから別に腹は立たないし、尚のこと、愉しんで帰って欲しいとも思う。

 そんなほのぼのとした感情を逆撫でするような男の言動に、俺は当然の如くシカトで返す。すると、その態度に激高した男は立ち上がり、制止するカミラさんを押し退けてつかつかとこちらに歩み寄った。

 そして俺の腕を掴むと、無理矢理に立ち上がらせた。

 その途端、周りから殺気の籠った視線が男に集中する。

 元より上品とは言えない客達だ。荒くれ者の冒険者や職人も多い。それが普段大人しく叱られているのはカミラさんの人望もさることながら何より店への出禁を怖れているからに他ならない。

 いざとなれば血の雨を降らせることくらい何ともない連中なのである。

 素面なら震え上がるところだろうが、酔った男は気付かない。ただし、さすがに護衛の二人は立ち上がって周囲を牽制する。

〈さて、困ったぞ〉

 俺は右手を男に掴まれたまま、どうしたものかと思案する。向こうは男とはいえ単なる金持ちのボンボンに違いない。おまけに酔っていて、ねじ伏せるのは造作もない相手だ。放って置けば店内で客同士の喧嘩にも発展しかねない。

 俺はチラリとカミラさんに視線をやる。彼女はしょうがないという風に大きく溜め息を吐いて、言った。

「いいわ。御退場願って」

 その言葉と同時に、俺は男の右手を外すと逆に背中へ捻り上げた。男の口から思わず悲鳴が洩れる。

 後ろを見ると、慌てて阻止しようとこちらに向かいかけた護衛二人が、いつの間にか近くにいたセレスとスピナの手で床に組みしだかれていた。

 唖然とする接待役と一緒にそのまま他の客達から一斉に武器を突き付けられて、店外へと連れ出されていく。

 彼らとて仕事で止む無しだったのだろうから、あまり手荒な真似はしないであげて欲しいものだ。

 それを見送ると、セレスとスピナは何事もなかったかのように元居た自分達の席に戻った。

 残った男はというと、さほど力を込めていないにも拘わらず大袈裟に呻きながらもこう叫んだ。

「こんなことをして只で済むと思うなよ。俺の親父はイスタニア連合の商工会にも顔が利くんだ。彼らを怒らせたらこの国の主要な輸出物であるミスリル製品を買って貰えなくなるんだぞ」

 おや? セレスの話ではミスリルの取引はむしろ周辺国が望んでいるのではなかったか。どうやら彼は決定的な思い違いをしているらしい。

「どうだ、謝るなら今のうちだぞ。這いつくばって許しを請え。その態度如何によってはこの店を潰さずにいておいてやる」

 自分が父親に告げれば、こんな店を潰すことなどわけもないと信じて疑っていない口ぶりだ。

「そのイスタニアの商工会の役員さんならそこにいらっしゃるわよ」

 そう言ってカミラさんが示した席では身なりの良さそうなヒト族の紳士達が、こちらもまたドワーフ族にしては珍しく正装した身分の高そうな人々と酒を酌み交わしていた。

 話題に出たことで、そのうちの一人が傍迷惑そうな顔で告げた。

「やれやれ。我々が苦労してミスリルの取引量を増やして貰おうと働きかけている時に、足を引っ張らんで欲しいものだな。君の父親が我々の誰と関係しているのかは知らんが、その者も名前を出されては迷惑だろう。当然、私達は君のことなど一切関知しないよ。君がどこでのたれ死のうと関係のないことだから頼らんでくれ給え」

 それだけ言うと、あとは興味がないというように見向きもしなくなった。

 無論その後、騒ぎを起こした張本人にはお引き取り願った。

 そんなことがありながらも俺はセレス共々何とか日々の接客をこなしていく。

 だが、この調子でいけばギリルの借金を帳消しにできる日もそう遠くないだろう、そんな風に思われた矢先の出来事だ。

 異世界と言えどそこは女のプライドがぶつかり合う場であることに変わりはない。

 誰かが注目されればそれを快く思わない者が出てくるのは必然で、この手のことにトラブルは付きものだ。

 俺達の場合、勤め始めて約一小月後にそれは起こった。

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