4 三方良し

「昇級? 私が? だってまだ、碌に依頼をこなせていませんよ」

 数日後の夕刻、依頼の達成報告に冒険者ギルドを訪れると、ギルド長から別室に呼ばれ、突然そんなことを言われた。

 このところは朝一番にセレスと共にギルドに顔を出し、俺達でも受けられる依頼を探して、あればその依頼をこなし、なければ訓練に勤しむという日々を送っていた。

 受けられる依頼と言っても主に商売人を介さない個人からの、「子供が熱を出したので〇〇という薬草を採取して来て欲しい」だの、「記念日に出す料理に使う××という食材を調達して来い」だの、「畑を荒らすネズミのような小型魔獣を駆除してくれ」だの、自分でするには面倒だが、手間さえ惜しまなければさほど達成が困難ではない依頼ばかりなので、今のところ順調にこなせている。

 宣言通りセレスは見守るだけで、明らかに依頼主に迷惑が掛かる行動をした時以外は口出しも手出しもしてこない。

 おかげで生傷や筋肉痛は絶えないが、それも貴重な経験ということだろう。

 そんな調子で目立った活動はしてこなかったから、昇級と言われてもピンとこない。

「危険度Aランクの狂乱猛虎ファナティック・タイガーを、それも二体同時に相手にする冒険者を青磁級にはしておけないという意見が本部の方でありましてね。本来であればベテラン冒険者パーティーが複数で挑むべき相手ですので、当然と言えば当然ですが」

「待ってください。報告したように斃したのはセレスです。私はそれを見ていただけで、何もしていません」

「その場にいたのは確かなのでしょう。それともやはり虚偽の報告をしたと?」

 未だにギルド長は俺がセレスと行動を共にしたということを疑っているようだ。

「そんなことは言っていません。一緒にいたことなら領軍の皆さんが証明してくれたはずです。ただ、魔物を斃すのに貢献していないと話しているに過ぎない。それにあれは依頼ではなかったはずでは?」

「領軍は戦闘を見たわけではないと聞いていますが、まあ、いいでしょう。どの途、狂乱猛虎ファナティック・タイガーが現れたとなれば放置はしておけませんから、討伐依頼が出たのは必至です。それをこなしたと考えれば本部の意見もわからなくはない。足りなかったのは実際に依頼を達成したという成果ですが、それもここのところの活動で問題なくなったと言えるでしょう」

 ギルド長は昇級を認めるのか、反対するのか、はっきりして欲しい。

 セレスは我関せずと、この部屋に来てからずっと知らん顔を決め込んでいる。いや、こうなった大部分はあなたのせいだから。

 恨めしそうに睨む俺の視線に気付いたセレスが、ようやく重い口を開いた。

「いいんじゃない? ギルドがそう言うなら。大体、青磁から黒曜への昇級なんて初心者の看板が外れる程度のことよ。冒険者を続けていればいずれそこまでは誰でも上がれるんだから、難しく考える必要なんてないわ」

「私、一応初心者なんだけど……」

 俺の力ない呟きは誰の耳にも届かず、あっさりと無視された。

「それでも異例の早さなのは間違いありませんがね」

 ギルド長が無表情にそう言った。聞くところによると、最初の昇級には早い人で三ヶ月ほど掛かるのが普通なのだそうだ。

 こうなったら全部の階級で最短昇級記録を目指したら、と無責任に焚き付けるセレスの横で俺は深い溜め息を吐いた。


「とまあ、私が教えられるのはこんなところですね」

 その日は以前に約束した通り、メルダース商会のクーベルタン支店にテオドール氏を訪ねていた。何故か俺を心配したセレスまで一緒にくっついて来ている。

 そこでテオドール氏を始めとする支店の幹部らしき人達に、俺が知る保険の知識を披露した。といっても、あちらの世界では常識的なことばかりで、専門家の話には程遠い。それでも概ね、満足して貰えたようだ。

「確かに面白い制度ではありますが、私共はあくまで物を扱う商会です。分野が違うのではないでしょうか?」

 幹部の一人というより、テオドール氏の個人秘書といった雰囲気の女性が疑問の形で意見を述べた。女性の社会進出が乏しいこの国では彼女のような存在は珍しいのではないだろうか。それとも案外、テオドール氏と個人的に親しい間柄というのは当たっているのかも知れない。

 彼女が言うには分野が違うと、他業種との軋轢を生みかねないらしい。できればそういう話は俺達が帰った後、内輪だけでやって貰いたいものだ。

「しかし、上手くいけば相当大きな利益を生むかも知れない。それをみすみす他の商売人の手に渡すというのも勿体無くはないか」

「だったらユウキ殿にはホケンについて口外しないようお願いするとか? 他所でやられなければいずれ機会も巡って来よう。無論、只でというわけにはいかないだろうが」

 要するに口止め料を支払うから他には黙っておけということみたいだ。

〈いやいや、それじゃ本末転倒だよ。俺は金が欲しかったわけじゃなく、少しでも冒険者が安心して依頼を受けられるようにしたかっただけなんだからさ〉

 いかがですか、と訊かれたので、俺は言葉を選びながら慎重に返答した。

「申し訳ないですが、保険のアイデアを売り込んだわけではありません。私としてはこれが冒険者のためになればとお話ししただけです。ですから、こちらでやれないとあれば他の方にやっていただくのは吝かではありません。どうかご理解ください」

 吝か、なんて普段使わない言葉を口にしたが、上手く伝わっただろうか? 幹部達はお互い顔を見合わせ、何と言おうか考え込んでいるようだ。

 というか、そもそも話を聞かせて欲しいというから来ただけで、商売にまで関わる気はないのだ。

 セレスにもそう言った手前、このままお暇しようかと腰を浮かせかけた時、テオドール氏が言った。

「ユウキ殿の言われる通りです。これは利益だけの問題ではない。新参者の我々に不足しているのは信用です。例え損をしてでも冒険者の皆さんの役に立つ。その冒険者の方々が市民の生活を護る。そうして得られるものこそが今後の商売にとって大事ではないですか? 世の中があってこその我々なのです。もう一度、その点をよく考えていただきたい」

 テオドール氏が言っていることは売り手や、あるいは買い手だけが一方的に得するような商売は世の中のためにならないということだ。「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つのことを指して三方良しと言う。若い頃、先輩社員からよく聞かされた言葉だ。まさか異世界に来て近江商人の心得を聞くとは思わなかったよ。

 まてよ、形が無いから売れないというならひょっとして──。

「あのー、だったら商品におまけとして保険を付けるというのはどうでしょうか?」

 俺はつい口走っていた。深入りしないと決めていたはずなのに、思わずだ。後悔したが、もう遅い。

「ほう。それはどういうことですかな?」

 テオドール氏が待ってましたとばかりに訊ねてくる。仕方がないので、俺は思い付いたことを説明する。

「つまり、保険として売ろうとするから困るわけです。だったら売らなければいい。売るのはあくまで本来扱っている冒険者向けの商品。ただし、そこに買った人への特典として保険を付ける。その商品を買うだけで冒険者は自動的に怪我などをした時に保証を受けられる権利を得るわけです。それなら少々割高でもそちらにしてみようかという人がいるのではないでしょうか?」

「ふむ、扱う商品は同じながら新興の我々にも割り込む余地ができるということか。悪くはない考えだと思うが、皆はどうか?」

「だが、それだと商品を売れば売るほど出費がかさむことになりはしないかね。幾ら採算は度外視すると言っても経営が傾くようでは話にならんと思うのだが」

「かといって、途中で止めたとなれば却って信用を失うことになろう」

 彼らの心配は反響の大きさが予測不能だからに違いない。

 ここまで来たら出し惜しみは止めよう、そういう気分で俺は話を続けた。

「ですから初めは微々たるものでいいのです。それこそ、全員に保険料を支払っても赤字にならず儲けが出ない程度で済む額を設定する。このやり方の利点は、保険というものをみんなに知って貰うことにあります。そうしてある程度浸透したところで、改めて本格的に参入するか決めれば良いのではないかと」

「最初に始めたのは我々だから、その時には他の業者も口出ししにくくなるわね」

「どれだけ売れても手間賃だけで済むということか。それなら宣伝と捉えれば無駄にはならんな」

 このやり方を提案したのはそれだけが目的ではなかった。そのことを全員に注意喚起しておくのも忘れない。

「もう一つ、気を付けなければならないことがあります。この保険という制度では虚偽の申請をしてお金を騙し取ろうという輩が必ず現れますから、そうした相手への対処も考えておかなければなりません。仮に詐欺被害に遭っても損失が軽微で済むうちにその方法が学べて良いのではないでしょうか」

 保険金詐欺を防ぐ手段としては重罰化して見せしめにするとか、報奨金を出して周囲の者に密告させるとか、支払いを渋って徹底的に調査するとか色々ありそうだが、どれもあまり気分の良いものとは言えないので、俺から口にするつもりはない。やり方は彼らに任せよう。

 それだけを喋ってしまうと、幹部達の真剣な話し合いが始まった。これ以上、この席に留まる理由はもはやなさそうだ。

 俺とセレスはタイミングを見計らって暇乞いをすると、そそくさとその場を後にする。

 ここに来てから終始、セレスの視線が何となく冷たく、特に余計なことを口走った後は痛いほどだったが、全力で気付かないふりをしてスルーだ。

 なお、帰り際に商会の顧問になって今後も意見を聞かせてくれと頼まれたが、それは丁重に断った。

 これ以上、セレスの視線を凍り付かせたくなかったからなのは言うまでもない。

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