クーベルタン市編Ⅲ 交流の章
1 冒険者パーティー
午後からは再び広場に行って、色々と不足していた生活用品を買い求めた。
屋台のおばさんが言っていたように、がらりと品揃えが変わっていて驚いた。まるで別の市場に来たみたいだ。
そんな中、まずは着る物から物色する。
衣食住で言うと、基本的に衣類は割高らしい。
宿屋の相場が銅貨二枚から三枚、食事が定食屋風の店で銅貨一枚前後で済むのに対し、服の値段は既製品でも外出着なら銅貨五枚分、すなわち大銅貨一枚は下らない。仕立てるとなればさらに値段は跳ね上がるだろう。肌着のような物ならもう少し安く付くが、それでも庶民にとって高値な買い物であることに変わりなさそうだ。
理由は単純。消耗品とは違い、服は裂けたり破れたりしても修繕して使うのが主流になっているからのようだ。
実際、買ったままの服を着ているという人は、裕福そうな商人くらいしか見ない。
継ぎはぎだらけで恥ずかしいという感覚も庶民には無いようだ。
というか、却って新品よりもカッコいい。それ自体がファションの一部と化している感じ。
その証拠に広場には修繕専門の店もあって、展示されている見本にはお針子さんの個性が色濃く滲み出ている。
これなら俺も破れた際は是非修繕をお願いしたい。
要するに滅多に売れないから割高にならざるを得ないのだろう。
とはいったものの、現状、制服と引き換えた服一式しか持たない身としては、高くても手に入れるしかないので、ここは惜しまず金を使う。
宿屋の女将さんに、あんたは目立つから人の多い場ではフードを被った方が良い、と言われたのを思い出し、忘れずそれも買っていく。
下着なんかもデザインが古めかしいだけで、着心地はまあまあそうだった。
というか、現代の女性下着がきっちりし過ぎていて落ち着かなかったので、これくらいルーズに身に着けられる方が気は楽だ。
男としては色気に欠けるのは惜しいが、自分以外に見る予定も誰かに見せるつもりもないので、特に問題はない。
なお、これだけ時間が経つと、さすがにこの身体にも慣れてきたよ。自分の裸を見下ろす度に、いちいち罪悪感を抱くことも無くなった。なので、毎日、身体を拭うことはしている。ちゃんとしないと衛生上も良くないからね。
髪はこちらに来てから洗えていないが、公共のものらしい井戸の周りで洗髪している人達の姿をよく見かけるので(もちろん、服は着たまま)、今度自分も試してみようと思っている。
そのための日用品──石鹸やら歯磨きに使う道具やら予備のタオルやらも購入していく。
歯磨きの道具は細い木の枝を恐らくお湯で煮て柔らかくした上で外皮を捲って繊維を露出させた物みたいだ。使ったことはないけど、元の世界のミスワックという天然歯ブラシに近い気がする。
どの店も一人で切り盛りするのが基本なようで、配送までは請け負ってくれなかった。
よって、あまりかさ張り過ぎると持って歩くのが大変なため、今日のところはこの辺りにしておこう。何か足りない物があったらまた買いに来れば良い。
スリや置き引きには注意していたおかげか、遭わずに済んだ。こればかりは魔眼で防ぎようがないからね。
ついでに朝とは違った飲食の屋台を見つけたので、軽く昼食を済ませた後、買った荷物を置きに一旦宿屋へ戻る。
今度は誰かに後を付けられることもなかった。
夕食は宿屋の女将さんオススメの店で取ることにした。
ここの宿泊客だと告げれば何かしらのサービスを受けられるらしい。
初日に教えられなかったのは、一見の客だったからだろうね。
どうやらこの世界では人と人との信頼関係が重視される傾向にあるみたいだ。
まあ、入市審査も大雑把だったし、その気になれば身分を偽ることなんて容易いに違いない。
それ故、他人を信用するしないは自己責任という考え方が根付いているんだろう。
客なら平等に扱われて当然という発想は捨てた方が良さそうだ。
店内に入ると、早速腹の虫が騒ぎ出した。
最近じゃすぐに胸やけすることも珍しくないおっさんとしては、新鮮な感覚だ。若いっていいね。
他の客が食べていたポトフっぽい煮込み料理に釣られて同じものと、ファンタジー世界では定番の黒パンを頼む。
黒パンってライ麦パンのことだったんだね、知らなかったよ。
一般には小麦を使った白パンより固くて不味いというイメージが定着している黒パンだけど、固さはともかく味の方は少々酸味がきついくらいで悪くはなかった。
これなら主食になっても何とかやっていけそうだ。
ポトフ風の料理に入っていた野菜は最初ジャガイモかと思ったけど、違っていた。カブの一種みたいだ。日本人には割と親しみが持てる食材だと思う。
味付けはひと言で表現するなら素朴。まあ、醤油や味噌がないのは当然として、砂糖や香辛料もほとんど使われておらず、ひと塊だけ入っていた鶏肉らしい肉片から出た出汁と塩味のみのようだから仕方がない。
飲み物は半数以上の客がビールの一種であるエールや蜂蜜から作られた醸造酒ミードを飲んでいたけど、これは安全な水がアルコールより貴重という元の世界の事情と異なり、純粋に愉しむためのようだ。
実際のところ、水は豊富みたいで飲料用とされる生水を飲んでもお腹を壊すということはなかった。もしかしたらここでもファンタジー系の技術が使われているのかも知れない。
なので、俺の丸テーブルの上には素焼きのコップに入った水が置かれている。
たぶん、この世界の飲酒可能年齢には達していると思うが、若い女が一人で酒杯を傾ける姿が周囲にどう映るのかわからなかったので、念のためだ。
そんな感じで食事を堪能していると、あとから入って来た客の中に見憶えのある顔が混じっているのに気付いた。朝方出逢った四人組の冒険者パーティーだ。
向こうも俺に気付いたみたいで、フィオナと呼ばれていた弩使いの女性冒険者がこちらを指差し、リーダーであろう大剣使いのヴァレリー青年に何か告げている。
それからテーブルに近寄ってきて、朝、セレスに助けられてた娘でしょ? とフィオナ嬢が話しかけてきた。
俺が首肯すると、坐ってもいい? と軽い口調で訊ねた。
よくよく見ると、テーブル席を一人で占拠しているのは俺くらいだ。
同じテーブルに着いていても明らかに毛色の異なるグループがあるから、もしかしたら相席が基本なのかも知れない。
これは俺の想像だけど、異国風の美少女に尻込みしてみんな遠慮していたんじゃないだろうか?
そういえば入口の辺りでこっちを見て押し問答している若者達が何組かいたような……。
そして、ここでも躊躇する者が約一名。
「おい、フィオナ。それって図々しくないか?」
ヴァレリー青年が、困ったような表情で畏まる。
「何言ってるのよ。こんなのいつものことじゃない」
フィオナ嬢は「何言ってんだ、こいつ」という顔でヴァレリー青年を一瞥した後、俺の方に向き直る。目が返答を求めている。
「どうぞ、構いませんよ」
別に断る理由もないことだ。俺はそう答えた。
「助かるわぁ、ありがとう」
礼を言いつつフィオナ嬢はさっさと席に着く。
「お言葉に甘えてお邪魔するわね」
一人だけ鎧ではなくローブを着た如何にも魔法使いなお姉さんが、続けて腰を下ろす。彼女の名前は確かイングリッドだったはず。
「では、私も遠慮なく御同席させていただきます」
全身を金属鎧で包んだ、ちょっと神官っぽい口調の男性冒険者──ナゼル氏がガチャガチャと音を立てながら腰掛けた。
彼の大盾は邪魔にならないように近くの壁に外套宜しく掛けられている。壁のフックはそのためにあるんだと初めて知った。
なお、彼の名前が思い出すのに一番苦労したことは内密にしておこう。
「おい、みんな。リーダーの俺を無視して何勝手に坐ってんだよ」
一人だけ取り残された形で立ち尽くすヴァレリー青年が、抗議の声を上げる。
「はぁ? たかが相席するのに何でいちいち許可がいるのさ? あんた、変だよ」
「美人を前にして照れているのよ。それくらい察してあげなさい、ねぇ?」
「へぇ、あんた、彼女みたいなのが好みなんだ。道理で一緒に居てもセレスに見向きもしないはずだ」
フィオナ嬢とイングリット嬢が口々にヴァレリー青年を囃し立てる。
ヴァレリー青年は、そんなんじゃない、と叫んだ後、誤解させては拙いと思ったのか、別に美人を否定したわけじゃないとか、誰かと待ち合わせだったら悪いとか、しどろもどろな言い訳をしていた。
──何と言うか、懐かしいね。
新入社員時代を思い出す。
よくこんな風に女性の先輩社員にからかわれていたっけ。
ただ、残念ながら今の君がのぼせているのは、中身がアラフォーのおっさんだ。
気の毒だったので、この辺りで助け舟を出すことにする。
「あのー、良ければ御一緒しませんか? 一人で食事をするのも味気ないですし」
「ほら、彼女もああ言ってるし、さっさと坐りなよ。それとも自分だけ別のテーブルに行くって言うなら、止めはしないけどさ」
フィオナ嬢がダメ押しにそう言うと、ヴァレリー青年もようやく腰を下ろした。
不貞腐れた表情を装ってはいるが、どことなく嬉しそうだ。
まあ、折角だからこっちも色々と訊きたいことがあるしね。
夜はまだ始まったばかりだ。
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