3 市内散策
昨夜は色々と考えて悩んだけど、まずは自分の目で見て確認しないことには何も始まらないと、朝一番に起きて市内を散策することにした。
百聞は一見にしかずと言うしね。
本当は昨日夕飯を食べ損ねて空腹で目が醒めただけなのは内緒だ。
早速、宿を出て目抜き通りを市場があると教えられた方向に向かう。
どうやらクーベルタン市はマーケットで賑わう広場を中心に栄えているようだ。
道すがらそれとなく行き交う人々を観察する。
昨日は遅くに到着したこともあり、あまり通りに人の姿を見ることは無かったが、一応宿の部屋にも備え付けてあった原理不明のカンテラみたいな照明器具もあって、家々の窓から洩れる明かりで陽が落ちると即座に真っ暗というわけではないようだ。
その割に夜間に外出する人が少ないのは治安の問題だろうか。
酒場などはそこそこありそうだから、もしかしたら生活時間帯が自分の感覚とズレているだけかも知れない。
代わって陽が昇ったばかりにも拘わらず、朝から大勢の人が忙しなく路上に溢れていた。
ざっと数えてみたところ、大体八割が人間──こちらの世界で言うヒト族で、残り二割が亜人──その中でもほとんどが獣人で構成されている。
ひと口に獣人と言ってもさらに種族は細分化されるようだ。
所謂ケモノ耳やしっぽがある以外はほぼヒト族と変わりない容姿の者から、顔は完全に動物といった種族まで、実に様々。
そして例外なく裕福そうな者はいなかった。
宿の女将さんによれば全員が奴隷というわけではないが、やはり一段低く見られていて、肉体労働以外の職に就くことはまずあり得ないそうだ。
残念ながらファンタジーのド定番種族、エルフやドワーフはヒト族の街に居着くことは滅多にないらしく、それっぽい者は一人も見かけなかった。
〈それにしても意外と衛生観念は発達しているんだよな〉
溝を掘って流すだけとはいえ驚くことにトイレは水洗式だったし、路上にゴミが散乱しているということもない。
さすがに個々の家に風呂場までは無いようだが、公衆浴場はあるそうで、他人と裸の付き合い(それも女性として)をするだけの決心はまだ付かないが、いずれ行ってみたいとは思っている。やましい気持ちからではないよ、もちろん。
それらを可能にしているのは魔法的な技術らしいことは話の端々から伝わるのだが、イマイチ理解し切れない。たぶん、教えてくれる人もよくわかっていないのではないか。技術って大概そういうものだよね。
ちなみにこの前見た領軍の戦闘では魔法は回復にしか使われなかったようだけど、聞くところによれば攻撃魔法もあるにはあるが中途半端な性能になりやすく、余程熟達しないと実戦では使いものにならないそうだ。
地方の領主軍辺りではそこまでの使い手がいないのだろう。
敵を倒すということなら剣や弓でもできるので、魔法という貴重な能力をそこで消費してしまうのは確かに非効率的と言える。
魔法使いに限らず稀有な才能は他に代替手段がないことにこそ、用いられるべきものなのだ。
〈おっと、随分と論点がズレてしまったな〉
要するにこの世界はまだまだ謎だらけということだ。
同じ謎でも苦労しまくりの女性の身体の神秘とは大違い。
こんな謎解きならいつでも大歓迎だよ。
目的の広場は、野球場のグラウンドほどの広さに様々な屋台が建ち並ぶという賑やかなものだった。
フランスの
主に食べ物屋が中心のようで、ピロシキ風の揚げパンやらケバブのような肉串やら蒸かした饅頭っぽいものやら、どれも食欲をそそるものばかり。と思ったけど、奥まで足を踏み入れると、どう見ても巨大な昆虫だったり、頭が二つある爬虫類の姿焼きだったり、強烈な匂いを発する果物なんかもあったりして、それなりに異国情緒ならぬ異世界情緒を漂わせていた。
うん、異文化に触れるのはまた今度にしよう。
というわけで、味が想像できそうなものを次々と買っていく。大体、値段は一つ青銅貨二、三枚程度で、銅貨一枚分も払えば満腹だ。
さすがにあれほど厳しく取り締まっているなら、魔物の肉が混じっていることはないだろう。
よく見ると、店舗の後ろに使われていない屋台が何台も置かれているので何故なのかと売り子のおばさんに訊ねてみたら、時間帯によって開く店が入れ替わるのだそうだ。
今は朝の時間帯で飲食が中心だが、昼の間は日用品や衣服を扱う店が、夕方からは食料品店や飲み屋などに変わっていくのだと言う。
誰がどの時間に店を開けるかは厳密な取り決めがあって、違反すると出店許可が取り消されるらしい。
もちろん、それしか売っていないというわけではなく、あくまでそうした業種の店舗が多くなるということみたいだ。
「ここは昼にはたくさんの服が並べられるよ。良心的な店だから良ければ見に来てやっておくれ」
知り合いなのか、それが慣例なのか、そんなことを口にするおばさんに礼を言い、俺はその場を離れる。
なるほど、他の時間にも是非来てみよう。
ついでに着る物や日用品などを見繕おうと思ったが、そういうことなら出直した方が良さそうだ。
腹も膨れたことだし、これから何をしようかと悩みつつ、ぶらぶらと路地裏散策を続けていると、いつの間にか辺りの雰囲気が変わっていた。
賑やかだった人の流れも随分減って、通りに店もなく、道の両側に並ぶ建物はどこか裏さびれ、窓はどれも固く閉ざされている。
どうやらあまり好ましくない場所に迷い込んでしまったようだ。
〈こういう時って大抵お約束の展開が待っているんだよな〉
そう思った矢先、計ったようなタイミングで背後から声を掛けられた。
「おい、女。こんなところにいるってことは暇なんだろう。ちょっと俺達に付き合えよ」
やっぱり。もしかして途中から付けられていた?
「そこの女、聞こえないのか? こっちを向け」
無視していると尚も繰り返される呼びかけ。通りの先に俺以外の人影はない。
やれやれ、仕方がない。
俺は惚けるのを諦めて、振り返る。
声を掛けてきた男達は三人組。軽装鎧に量産品と思われる片手剣を腰に提げた、この街では割とよく見かける冒険者風の装い。
ただし、ベテランという雰囲気からは程遠い。
最近になって冒険者デビューした若者が、いきがって肩で風を切っているという様子。言ってみればただの不良達だ。
そういう奴らが、こんな朝早くから彷徨いているのはさすが異世界。
自分にもそんな時期があったと身に覚えがあるだけに、彼らを目にすると、どことなくくすぐったい。
なお、武器の携帯は平民でも特に禁止はされていないようだ。
もちろん、刃傷沙汰になればそれなりの罪には問われるのだろう。
貴族の特権として、江戸時代の切捨御免みたいなことがあるのかはわからない。
できればずっと知らずにいたいものだ。
振り返った俺を見て、男達が一瞬息を呑んだのが伝わる。思ってもみなかった美少女で驚いたに相違ない。
〈いや、これは自分で自分の容姿を褒めたんじゃないよ。あくまで元の俺としての客観的評価だから〉
「お、おい、女。今から俺達に付き合え。愉しませてやる」
「そうだな。こいつとなら仕事を休んでも悪くない。夜までたっぷり遊ぼうぜ」
「どうせ冒険者ギルドに行ったって碌な依頼は廻ってこないしな。まあ、すぐに実力を認めさせてやるけど」
口々に勝手なことを言う。
〈それにしても冒険者ギルドか……〉
どうやら彼らは本当に冒険者らしい。
存在は聞いていたけど、実際に登録している冒険者と会うのは初めてだ。
さぞかし異世界浪漫溢れる場所なのだろうとワクワクしていたが、こんなのばかりだったらがっかりするしかない。
まあ、口振りからすると実力は下に見られているようなので、その点に期待して他にまともな冒険者がいることを願うとしよう。
「えっと、道に迷ってしまっただけなんです」
そう言って俺は彼らの間を通り抜け、元の広場に戻ろうと歩みを進める。
その行く手を遮るように、男達が立ち塞がる。
〈暇じゃないんで失礼します、と言ってもそりゃ通してくれないわな〉
「なら、俺達が送って行こう。その前にちょっと寄り道するが、それくらいは構わないよな」
そう言いつつ、さりげなく帯剣していることを見せつける。
彼らにとってはそれが精一杯の脅しなのだろう。
だが、盗賊共に襲われたことを思えば随分と迫力不足だ。
映画でしか観たことはないけど、ヤクザの組長と街のチンピラくらいの差がある。
たぶんだが、彼らは人を殺めたことがないのだと思う。
いざとなれば自分達にだって殺れる、そう頭で考えているだけの覚悟も度胸も中途半端な悪党。
とはいえ、人殺しの経験がないのはこっちも同じだし、おまけに三対一で武器も持たない。
その上、女の細腕だ。
力づくでどうにかできる場面じゃない。
確かに魔眼を使えば簡単に切り抜けられるだろうが、この先何かある度にそれに頼っていたら、そのうち変な噂でも立ちそうだ。
盗賊の
〈元の世界ならこんな時は大声を上げるとでも言うのが一番なんだけどな〉
果たしてそれがここでも通用するのだろうか?
〈110番通報があるわけでも無し、仮に衛兵が駆け付けるとしてもすぐにというわけにはいかないよな〉
などと悩んでいるのが、付いて行くべきか迷っているとでも受け取られたらしい。
さあ、行くぞ、と強引に腕を取られかけた。
それを反射的に払い除けた拍子に、相手の顔に手が当たってしまった。
〈ホント、わざとじゃないよ、信じて貰えそうにないけど〉
「てめぇ、よくもやりやがったな。優しくしてたら付け上がりやがって」
「まあ、落ち着けよ。見たところ、旅行者のようだが、こんなところに一人で迷い込むくらいだ。どうせ宿に戻っても待ってる奴なんていないんだろ? それなら今の詫びに少しくらい付き合うのは当然だよな?」
「そうそう。何も取って喰おうってわけじゃないんだ。もちろん、旅の火遊びをしたいって言うならこっちは大歓迎だぜ」
うーん、そうきたか。この辺りが魔眼無しで切り抜けるのも限界そうだ。
しょうがない、と覚悟を決めたその瞬間、
「あなた達、そこで何をしているの」
という凛とした声が響いた。
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