第6話

 あれはいつのことだったか。

 ……そうだ。俺が十歳になって少し経った頃だ。


 何の変哲もなく、何の見どころもない辺鄙な村に、一人の探索者がやってきた。その人は遠い国のダンジョンから『彷徨いの迷宮』へと向かう旅の途中、休憩のために立ち寄ったらしく、一週間ほど俺の村でのんびりと過ごした。名前は忘れた。いつも探索者さんとばかり呼んでいたからだ。


 その頃の俺は、村の誰よりもやんちゃなガキで、退屈な毎日に嫌気が差して、近くの森に遊びに行くことが多かった。

 ……その日も、俺は家の手伝いをサボって、仲の良かった友達と二人で森に繰り出していた。慣れてきていたからか、いつもより深い場所に潜ってしまい……そして、飢えた一匹の狼と鉢合わせてしまった。迫り来る狼を前に死を覚悟したとき、間一髪助けてくれたのが探索者さんだった。颯爽と俺たちを救い出してくれた格好いい背中に、一瞬で心奪われたことを覚えている。


 それからというもの、俺は探索者さんに自分の冒険譚を話してくれるようせがみ、探索者さんも仕方がなさそうに話してくれた。

『無限の迷宮』と呼ばれるダンジョンで戦った強大なモンスター。くだらない罠に引っ掛かってしまった失敗談。隠し部屋で偶然見つけた高価なお宝。仲間たちとの出会いと、そして、別れ。


 俺が探索者になりたいと本気で思うようになるまで、そう時間はかからなかった。

 探索者さんが村から出ていってしまう前日、俺は頼み込んで剣術を少しだけ教えてもらった。探索者さんの剣筋は素人目から見ても美しくて、こんな風に剣を振れるようになりたいと心の底から思った。


『君はどんな探索者になりたいんだい?』


 探索者さんは、木剣を一生懸命振る俺を見て言った。


 俺は何と答えたか。確か、「探索者さんのような探索者になりたい」と、そんなことを言ったような気がする。

 探索者さんは苦笑して頭を振った。


 ありがとう。と言って俺の頭を撫でながら、


『でも、どうせならもっと上を目指した方がいい』


 坂を越えたいと思うのではなく、山を越えたいと思って坂を上りなさい。


 探索者さんが告げたのは、そんな月並みな言葉だ。だが俺の心には甚く響いた。

 だから「誰よりも格好いい探索者になる」と言った。


 探索者さんは眩しそうに目を細めて、腰に佩いた剣を俺に譲ってくれた。


 それが、俺の始まりだった。



▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲



 ふと、遠い昔のことを思いだした。

 胸の奥が脈打っている。五年ぶりに感じる熱が、俺の身体を燃やしている。


 久しく忘れていた。俺は……格好いい探索者になりたかったんだ。

 苦難に立ち向かい、颯爽と誰かを助ける、そんな格好いい探索者に。


「…………」


 強く、拳を握りしめる。


 思い出した憧憬と、五年間の悔恨とで、俺の頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 この感情を処理すればいいのか、今はまだ分からない。だが、まずは生きてこの窮地を切り抜ける。こんなところで死んだら、あの頃の俺にも、大事なあの人にも顔向けができない。


「ブモォ!」


 俺の目が気にくわないのか、オークは醜く鳴きながら地団太を踏んでいる。


 しかし、考えれば考えるほど、戦況は圧倒的に不利だ。オークの棍棒はDPにしてやったが、こちらの剣もオークの足元に転がっているため無手。俺はさっきのダメージがかなり残っており、オークの方にもさっき受けた傷が一応……。


「なっ……」


 傷が塞がってやがるぞ。どういうことだ?


 オークの自然治癒力がずば抜けて高いのか、それともあいつ固有の能力か何かか。どちらかは不明だが、ただでさえ絶望的な戦力差が、より絶望的になった。


 だが、そんな逆境が、今は少しだけ心地良かった。


「うおおおおお!」


 わざわざ大声を上げてオークに突貫する。

 オークは迎え撃とうと拳を振り回したが、それは身を屈めて回避。通り抜け様、愛剣を拾って足首を斬りつけた。


「ブモッ!?」


 しかし、その傷口もまるで時間戻しのように修復していく。……馬鹿げた回復力だな。


 怒り、暴風のように振るわれる丸太のような両腕。まともに受けたらひとたまりもないそれを、曲芸じみた動きで回避していく。オークの知能が低くて助かった。右目の死角を狙われていたら、最初の一、二撃で既にやられていた。


 隙をついてこちらも攻撃を加えるが、斬ったそばから傷は回復してしまう。攻略の糸口を探すが一向に見つからず……いや、待てよ間抜け。今の俺はただの探索者じゃない。ダンジョンマスターだろうが。


 オークを見据えながら数歩ほど後退し、背中の鞄に手を伸ばす。そして……鞄を丸ごとDPに変換した。



『皮の鞄を吸収(DP1未満のため消滅)

 皮の水筒を吸収(DP1未満のため消滅)

 凧糸を吸収(DP1未満のため消滅)

 鉄のナイフを吸収 30(60-30)DP獲得

 鉄のナイフの鞘を吸収(DP1未満のため消滅)

 乾パン×2を吸収(DP生成アイテムのため消滅)

 初級ポーション(壊)を吸収 420(840-420)DP獲得

 魔石×16を吸収 360(720-360)DP獲得

 ゴブリンの爪×5を吸収 25(50-25)DP獲得

 スライムボール(壊)×2を吸収 10(20-10)DP獲得

 ヘルハンドの毛皮×1を吸収 200(400-200)DP獲得

 火炎耐性(低)のスキルオーブを吸収 2300(4600-2300)DP獲得


 残り4540DP』


 DP収支履歴にずらっと数字が並ぶ。よし、このDPで使えそうなアイテムを生成して……。


 チッ、やっぱり待ってくれないよな。


「ブオオオオオオオ!」


 先ほど足を斬りつけられたのが嫌だったのか、オークは近づいてこずに、そこらへんに落ちている石を手当たり次第にぶん投げてきた。

 時速150キロはありそうな剛速球が俺の頬を掠めていく。


 やばい、と思った直後、左手の手首あたりに拳大の石が直撃した。


「ぐっ!?」


 痛ってえ!!


 頭が明滅するような痛みで一瞬意識が遠くなる。……確認するまでもなくわかる。確実に折れた。

 左手は使い物にならなくなったが、投げられそうな石もなくなったようでオークの投擲も止んでいた。


 苦痛に顔を歪める俺を見て、オークは性悪そうに笑っている。


「ブモォ」


 わざわざねぶるように、ゆっくりとこちらに歩みを進めるオーク。

 ……それは俺にとっては好都合だった。


 左手はだらりと下がり、右手は剣で塞がっているが、メニュー画面は操作することができる。フリーハンドで使えて助かった。


 操作するのはアイテム生成。

 スキルオーブをソートし、さらに今生成できる4500DP以下の戦闘スキルオーブのみを表示する。


『剣術(低)』『隠密(低)』……却下。『初級魔法~ファイアボール~』……これも却下。使い方もわからんし、こんなもんでどうにかなるとは思えない。


 極限まで圧縮された時間の中で、俺はメニューに表示された一つのスキルオーブに目を止めた。



『瞬間強化』のスキルオーブ


瞬間強化:戦闘アクティブスキル。極短時間の間、身体能力が大幅に上昇する。



 一か八か、このスキルに全てを賭けることを決心し、4500DPでスキルオーブを生成した。

 両手が塞がっているため、目の前に現れたそれを噛み砕いて使用する。その瞬間、俺の身体に新たな力が備わったのが感覚的にわかった。


 瞬間強化、と心の中で唱えると、かつてないほどの高揚感と、力が漲ってくる。DP不足による頭痛も今は全く気にならない。


 何が起きたかは分からずとも、俺の変化を感じ取ったオークが慌てて駆け出すが……遅い。さっき以上に愚鈍に感じる。ゴブリンとそう変わらないくらいだ。


「ブッ――!?」


 振り下ろされる拳に対し、腕をなぞるように一閃。

 それだけでオークの丸太のような右手は切り落とされた。流石に、欠損した腕まで治ることはないらしく、血の吹き出す傷口が塞がるのみだ。

『瞬間強化』の正確な効果時間が分からない以上、手を止めている時間はない。


「はああああああ!」


 右手の次は左足を、左足の次は右足を。両膝をついて首を差し出すような形となり、恐怖に顔を歪めるオークを一瞥し――その首を一刀のもとに断ち斬った。


 オークの巨体は地面に沈み、やがて光の粒子となって消えていく。


「はぁはぁ……ぐっ」


 そして、思い出したように襲ってくる猛烈な頭痛と息苦しさ。

 身体中の倦怠感は『瞬間強化』の反動だろう。数秒しか経っていないはずだが、効果時間はかなりギリギリだったらしい。


 だが、このまま気を失えばDP切れでお陀仏だ。あと、少しだけ……。


 朦朧とする意識の中で、オークが消え去った後に残った魔石とドロップアイテム――巨大な豚バラブロックのように見えるそれに手を伸ばし、DPとして取り込んだ。


 その収支を確認する間もなく、俺の意識は闇の中に落ちていった。

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