§5
マーベルとの出会いがマグのネガティブ思考を抑え込んだのか、少なくとも『消えてしまいたい』等と考える事は無くなっていた。が、低いモチベーションは相変わらずであり、ヴァンパイアとして能力を発揮する為の修練もろくにせず、ただ徒に毎日を過ごしていた。
「おーい、嬢ちゃん」
「マグですよ、いい加減に覚えてください……何か用ですか? 添い寝の相手ならお断りですよ?」
「おいおい、俺にだってケジメはあるんだぜ……ちょっと出掛ける、留守番頼む」
「え? あ、ハイ……」
バッカスの意外な言動に、マグは思わず驚いてしまった。あの男が、欲求を満たす以外の用事で自分に声を掛けたのは初めてだなぁ……と。
「朝には帰る。ちゃんと戸締りしろよ、この辺りも物騒だからな」
「は、ハァ……」
今までスケベなイメージしかマグに与えなかった彼が、今日は何故か彼女には興味を示さず、ドアの外に消えたのだ。珍しいなんて印象を通り越して、もはや不思議な感じであった。
(ま、いいか。久しぶりに、ゆっくり眠れるって事だもんね……)
そういえば、一人でゆっくりと過ごす夜なんて暫くぶりだな・・・と、マグは久々の開放感に浸っていた。
(……ヴァンパイアが、夜中にベッドで眠るなんて……すっかり人間に感化されてるなぁ、私……)
マーベルから聞かされた事実によって、バッカスを『抹消』しない限り、ヴァンパイアとしてどれだけ強力になっても、もう故郷には戻れない事が分かってしまった為か、マグはすっかり当初の目的を諦めてしまっていたのだ。
(マーベルに頼んでアイツを消してもらうのは簡単。けど、アイツを消したところで、私が別な人間を降せる保証なんか、何処にも無い……)
それが本音なのか、修行を怠る為の建前なのかは分からなかった。だが、マグがすっかりヴァンパイアとして再起する事を諦めている事だけは確かだった。彼女はむしろ故郷に帰る事よりも、このままこの世界に居ついて過ごす事を望み始めていたのだ。元々、頑張るという事が苦手な彼女が、更に『頑張っても無駄』という現実を知ってしまったのだから、無理も無い事だが。
そして、いつの間にか彼女はまどろみの中に身を任せ、気づいた時には東の空が白々と明るくなり始めていた。
「あ……寝ちゃったんだ……」
バッカスの視線が無いという安心感からか、早い時刻から眠ってしまったようで、普段であればまず目覚めないであろう早朝の空気の中に、彼女は身を投じていた。開放した窓から入り込んでくる、まだ冷たい風が肌に心地良い。
(そうだ、せっかくアイツが居ないんだし……今のうちに、ゆっくりと水浴でも……)
マグは普段は視線が気になってロクに出来ない入浴を、今のうちに済ませてしまおうと考えたのだ。入浴といっても、シャワーを浴びてのんびりと汗を流す、などという優雅な物ではない。カーテンや衝立などで遮蔽した陰で衣服を脱ぎ、水桶から汲んだ水で布を絞って身体を拭くだけの、簡素な物ではあったが……それでも充分に爽快感は味わえる。彼女はその一時の快楽を求め、水桶の前へと歩を進めた。今なら、衝立を用意する必要も無く、心行くまで身体を拭く事が出来るので、ウキウキしていたのだ。ところが……
(……えっ!?)
出入り口のドアのすぐ内側に、ボロボロになったバッカスが倒れていたのだ。
「ちょ……ちょっと! どうしたんですか!?」
普段の仕打ちをすっかり忘れ、マグは慌ててバッカスの傍に駆け寄った。と、彼はほんの少しだけ薄目を開けたかと思ったら、短く唸り声を上げ、再び寝息を立て始めた。見ると、ボロボロ……というよりはドロドロという表現の方がしっくり来る感じで、特に怪我をしている様子も無かった。しかし、マグがふと彼の横に落ちているズタ袋に目をやると、そこには金貨と一緒に、幾ばくかの食料が入っていた。
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