第50話 あるべき姿
「ただいま。」
家に帰ると森野がリビングから慌てて出てきた。
「先輩、お帰りなさい!ちょうどよいときに!今アニメが始まったところなんです。よかったら一緒に見ませんか?」
「はぁ?」
相変わらず突飛な言動をする森野に俺は顔を顰めた。
「アニメなんか見ねーよ!どうせ苺ちゃんの好きなプ○キュアか、柿人くんの好きな仮面○イダーだろ?」
「仮面○イダーはアニメじゃありませんけどね。プ○キュアでもありません。絶対先輩の好きな奴です。」
そう言いながら、森野は俺の腕をぐいぐい引っ張りリビングまで連れて行った。
「ちょ…、引っ張るなって!だいたい森野、今日は読書に勤しむ予定じゃなかったの…。」
言いかけた俺の目はリビングの棚に備え付けられたテレビの画面に釘付けになった。
宇宙に浮かぶ銀髪の軍服姿の美青年とともに画面には『宇宙英雄伝説』ー。そう表示されたまま一時停止状態になっていた。
ちなみに、リビングのテーブルには、お菓子が入った皿と飲み物の入ったグラスが置いてあり、森野はここで、このアニメを見ながらすっかり寛ぐつもりであった事が分かった。
呆気にとられている俺に森野はにんまり笑った。
「アニメ映画になってたのを知ったので、スマホで一ヶ月無料の動画配信サービスを契約したんです。テレビに繋げるの手間取っちゃって、小一時間ほどかかりましたが、さっきやっとできました。私だってやればできるんです!」
額に汗を浮かべてドヤ顔の森野だったが…。
配線を見ればテレビとスマホをケーブルで繋いだにすぎない。
とても小一時間もかかる作業には、思えなかったが、スルーして、それよりも気にかかる事を言ってやった。
「いくら森野に読解力がないからって、アニメに、走るなんて邪道だぞ?俺もアニメになっている事は知ってたが、敢えて見てないんだ。
全5巻分をたった前後編映画240分の尺に収められるワケないだろ?大事な部分が端折られてるに決まってる!俺はそんなの見ないぞ?」
「うわ。先輩、また小うるさい事を…。」
森野は若干引き気味に言うと、あっさり引き下がった。
「分かりました。先輩にとっては小説が絶対なんですね。嫌なら無理にみろとはいいません。もちろん、小説も、読むつもりですよ。
でも設定や、登場人物の名前や戦争の記述などが今一入ってこないので、最初にアニメを見たら、入り易くていいと思ったんです。私は私で勝手に見ますから先輩は好きにしてて下さい。」
そういうとぷいっと顔を背けてソファーに座ると、リモコンで一時停止を解除した。
途端に崇高な雰囲気のオープニング曲が流れ始め、画像がどんどん展開していった。
「私は『巻毛のアンナ』先輩の横で解説してあげたのになぁ。あ〜あ、アニメ見ながら、分からないところとか宇宙英雄伝説に詳しい誰かに解説してもらいたいなぁ。
夢ちゃんお家に呼ぼうかな?それとも、東せんぱ…。」
「森野。大きい独り言だな。」
「あれ?口に出てました?」
森野はいたずらっぽい笑みを浮かべて俺を見上げた。
「わざとらしいな。森野、もっとそっち寄れ。」
「わぁっ。何々?」
俺は森野をソファーの端っこに寄せてその隣に腰掛けた。
「ふふっ。先輩。見る気になったんですね?」
勝ち誇ったように笑いかけてくる森野にイラッとしつつ、最後まで抵抗を諦めなかった。
「違う!俺はちょっとここで、休憩しようとして腰をおろしただけだ!視界にテレビの画面が目に入ってしまうのは、仕方の無いことだし、森野の発言に対して解説じみた大きな独り言を言ってしまうのも、また仕方の無いことだがな。」
「もう、素直じゃないなぁ。じゃあ、いいですよ。そんな感じで休憩して下さい?まぁまぁ、ジュースとお菓子もどうぞ。」
「おぅ。」
森野に渡されたクッキーを、頬張りながら俺は目の前のテレビ画面を睨むように見た。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇
あっという間に2時間が過ぎていた。
前編のエンドロールが流れて初めて時間がそれだけ経っていた事に、気付かされた。
森野も俺も最初こそ、「CGがすごい。」
とか「宇宙戦艦のデザインが。」「美形男子が多い。」「頭の固いおじさん上司め。」とか感想を言っていたが、怒涛の展開に圧倒され、途中からはただただ黙って息を詰めて見入ってしまっていた。
「前半終わっちゃいましたね。すごい…面白かった…。」
隣で森野が呆けたように呟いた。
「うん…。まぁ、大分端折ってはいるけど、自然な流れで思ったよりよかった。やはり、映像になると迫力あるな…。」
俺も放心状態で森野の感想に同意した。
時計を見ると、もう6時近くになっていた。
「続き気になるけど、ご飯時になっちゃいましたね。急いでご飯作りますね。」
立ち上がろうとした森野の腕を引き止めるように掴んだ。
「?!先輩?」
驚いて振り返った森野に俺は宣言するように言った。
「森野。ご飯作らなくていいから、このまま続きを見るぞ!今日は出前をとろう。俺がお金をだす。」
「ええっ?!先輩、本気?」
森野はとても信じられないといった顔つきで俺を見た。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇❇
そして20分後ー。
ホクホクのピザにかぶりつきながら、引き続き宇宙英雄伝説の後編を見ている俺と森野の姿があった。
「はぁ〜、ピザ食べるの久しぶり。エビマヨ最高!!」
森野のただでさえ締まりのない顔は更にピザのようにとろけて、ふにゃふにゃに崩れていた。
とはいえ、俺も熱々のピザにテンションが上がるのを抑えられなかった。
美味しいものを食べると自然と顔がゆるむ。
「こっちの牛カルビのも美味しいぞ。」
「ホントですか?次食べよ〜。」
「ちゃんと、画面も見ろよ?その為の出前なんだから。」
「はーい。ちゃんと見てますけど、先輩、こんな大盤振る舞いして大丈夫なんですか?
確かお小遣い少なかったんじゃ…。」
!!
そうだった。いつもの通り小遣いをもらっていたのを隠して、森野に弁当を作ってもらっていたんだった。
冷や汗を浮かべて言い訳をした。
「いや、こういうときの為のお金は親に別にもらっていたんだよ。森野に世話になっているから、何かのときに奢るようにってさ。」
別に嘘ではない。森野に対して使うようにと小遣いに色をつけてもらっていたのだから。
「そうだったんですか。有り難いです〜!」
森野はそのまま信じ、噛み締めるように味わっていた。
この場合は有り難いが、少しは人を疑う事を覚えた方がいいぞ?森野…。
と思っていたら森野から再びの追求を受けた。
「ふふっ。でも、先輩、そんなにまでして私とアニメを見たかったんですか?」
「えっ。何でだよ?」
「だって、先に見たかったなら私がご飯用意してる間に先輩が一人で見ちゃえばいい事じゃないですか?出前をとるってことは、私にも一緒に見てもらいたかったって事でしょう?」
!!
今日の森野はいやに鋭いな!
俺は再び冷や汗をかきながら言い訳を考えた。
「先輩って、結構…。」
いたずらっぽい笑みを浮かべてこちらを値踏みするように見てくる森野は、いつもよりあだっぽく見えた。
「な、何だよ。」
「寂しがり屋さん…ですよね?」
「はぁ?」
「口悪くて、気難しいけど、一人になるのは苦手なタイプでしょ?側にいるのが嫌いな人でも一人よりはマシっていうの?
ちょっと宇宙英雄伝説の将軍さんに似ていますよね。」
「将軍に?」
「はい。皇帝になるために次々と戦果をあげて、出世していけば行く程孤独になっていく
将軍さん。何だか見てると胸が痛みますね。」
「まぁ、上に立つ者は孤独だよな…。」
「先輩も、皇帝じゃないけど、その内お父さんの会社を継いで社長になるんでしょう?他人事じゃないですよね。」
「森野は他人事みたいに言うんだな。」
「ハハッ。だって他人だもん。許嫁もその内解消するし。」
あっけらかんと森野は笑いながら言った。
「今は私のせいで、先輩の周りに人がいなくなっちゃって、辛いかもしれないけど、
もともと先輩は人を惹き付ける力がある人だから、すぐにまた先輩の周りには人が溢れるようになります。それが、先輩のあるべき姿ですよ。
それで社長になる頃にはきっと先輩の好みの女性と結婚できてますよ。だから安心して下さいね。
今だけの辛抱ですよ?先輩。」
森野は100%の善意で、俺を力付けようとして言っている。それは分かっているのだが…。
森野の口から出た言葉は、鉛を飲み込んだような重苦しい気持ちにさせた。
悪意がない言葉を紡ぎ出すに、数十秒を要した。
「俺が社長になってる頃、森野は何をしてるんだ?」
やっとの事でそれだけ言った。
「え?そうですね…。まぁ、先輩にはまたバカにされるかもしれないですが、その時には私は…が、学校の先生…になれてたらいい…な…。」
森野は言い淀みながら恥しそうに頬を染めた。
「先生?」
意外そうな顔をした俺を森野は赤い顔で軽く睨む。
「分かってますよ。自分だって、似合ってないって。夢を持つくらい別にいいでしょう?あ、でも幼稚園の先生や、保育士にも憧れててまだはっきり決まっているワケじゃないんですけどね。取り敢えず今の第一希望は先生です。」
「結婚…は?」
「しないと思います!」
森野は夢を語ったときとは違って、やけにきっぱり答えた。
「私は男の人苦手だし、独身を貫くと思います。ここだけの話、ちょっと怖いけど、私
谷本先生に憧れてるんですよね。」
「谷本に?」
俺はギョッとして聞き返した。
あのいつも厳しい表情の、独身アラフォーの谷本?
ぽやぽやした天然の森野とはまるで結びつかなかった。
「はい。あんな風に一人でもバリバリ仕事して強く生きていける人になりたいです。」
「………。」
まるで思い描けなかった。
森野が教師になって独身を貫き、バリバリ仕事をしている姿も。
俺が親父の会社に入り、社長になって、巨乳美人と結婚している姿も。
多分2ヶ月前だったら容易に想像でき、望んでいた筈の未来が今はショーケースの向こう側の景色のように、寒々しく現実感のないもののように感じていた。
「先輩?ピザ食べないんですか?もうお腹いっぱい?」
食卓に四分の三ほどピザを残したまま、食事の手が止まった俺を見て不思議そうな顔をしている森野に慌てて答えた。
「あ、ああ…。食べるよ。」
やけくそのようにマルゲリータのピザを口に詰め込んだ。
「よかった。さすがに残り全部は私じゃ食べ切れないですからね。」
森野は安心したように微笑むと、先程の会話などすっかり忘れたように再び画面に見入っていた。
俺はモヤモヤした気持ちを抱えて、アニメの内容が今一入って来ないまま、画面だけを見詰めていた。
不意に、森野が手を口に当ててひゅっと息を飲んだ。
アニメは軍師が、女性にプロポーズをしているシーンに差し掛かっていた。
「あ、あの堅物の軍師さんが!いいなぁ〜!あんな人と結婚できたら、幸せでしょうね〜。」
??
俺は耳を疑った。
「森野、君さっき絶対結婚しないって言ったばかりだよな。」
森野は俺に向き直るとうるさそうに言った。
「え?言ったけど、2次元は別でしょ?
だって、軍師さん素敵すぎる。あれは男でも惚れるレベルですよ?
ああ、もう話しかけないで下さい。先輩。いいところなんだから。アニメの邪魔です。」
「君がそれを言うか?」
俺はふつふつと沸き上がる森野への怒りと共に立ち上がると、テーブルのスマホに手を伸ばした。
「先輩、何してんですか?今いいところなのに〜!」
隣で喚いている森野を無視して、スマホを
操作し、アニメの動画を20分程前に早戻しすると俺はソファーの座席に戻った。
「森野が色々話しかけてくるから、初めの方よく見れてないんだよ!もう一度見るぞ。」
「別にいいじゃないですか。初めの方って同じような戦いのシーンばっかりだし、少し位飛ばしたって…!ラブシーンの方が見たいよぅ。」
「君はバカなのか?ここの戦いは今後の話の展開に大きく影響する大事なシーンなんだぞ。
後半の、見どころの一つと言ってもいい。
四の五の言わずにちゃんと見とけ!」
「うーわ、先輩。偉そうに…。動画契約したのは私なのに…。」
ソファーで膝を抱えてぶちぶち言ってる森野に俺はにべもなく言った。
「一ヶ月無料なんだろ?ピザ奢ってやったのは誰だっけ?」
「………先輩…。」
森野が口を尖らせて言うと、それからはピザを食べながら、二人共黙ってテレビの画面を見ていた。
帝国軍、同盟軍の両戦艦が入り混じって戦うシーンは圧巻だった。
ふと、隣を見ると、子供のように目をキラキラさせて戦いの様子を見守っている森野がいた。
ふっ。あれだけ文句を言ってたのに夢中で見てんじゃねーか。
将来の事なんか今はまだ何も思い描けない。
でも、今、同じ時間に同じ場所で同じものを食べ、同じものを見て、同じように感動している誰かがいる事にひどく満たされている自分を感じていた。
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