第13話 絶望への暴走

「生意気な竜め。八つ裂きにしてやる」


 セルゲイの指令を受けた第二形態のザデラムは右手の鎌を青白く発光させ、三日月型の刃の形に集束したそのレーザービームをファルハードに向けて飛ばした。旭川での初戦ではファルハードの頸動脈を焼き切り、首から大量出血させて勝敗を決することになった技である。


「何っ……!?」


 この技を繰り出した時点で既に勝利を半ば確信していたセルゲイは、大量の熱エネルギーを充電してリベンジに臨んでいたファルハードが見せた予想外の対処法に驚愕した。前傾姿勢を取って顔の位置をやや下げたファルハードは、頭に生えた二本の角にエネルギーを集中させて赤く発光させ、その光を大きく膨張させて自分の目の前に灼熱のバリアーを展開したのである。生成された超高温のエネルギーの壁は飛んで来たザデラムの鎌状のビームを焼き溶かすかのようにして消滅させ、ファルハードを守った。


「ここまでやるとは……」


 赤い光のシールドを霧散させたファルハードは闘牛の如く突進し、エネルギーを熱く灯したままの角をザデラムの胸に突き刺した。激突と同時にエネルギーが弾けて爆発が起こり、ザデラムは大きく吹き飛ばされて製油所の建物の上に倒れ込む。


「アミード。悪いがザデラムの操縦を代わってくれ。少々ダメージを負ったが、まだ十分やれるはずだ」


 溜息をついたセルゲイは、不意にそう言って座っていた椅子から立ち上がった。未玖の脳に電気信号を送るコンピューターの操作をアミードと交代すると、彼は黒いスーツの懐から愛用の拳銃を取り出し、それをソファーに座っていた宏信と佳那子に向ける。


「我々を甘く見てもらっては困りますな。柴崎先生。怪獣ばかりに気を取られて、そちらの監視をうっかり忘れているとでも思いましたか」


「くっ……気づいていたのか」


 宏信と佳那子の足をきつく縛っていたはずの縄が、不自然に緩んでいるのを鋭敏なセルゲイは見逃してはいなかった。銃の引き金に指をかけながら、彼は組織の事実上のボスであるラーティブに脱走を企てた二人を処刑する許可を求める。


「この二人にはもはや利用価値はないはずだ。この場で射殺してもよろしいか」


「ああ。いいだろう」


 怪獣たちの戦いから目を離して振り向いたラーティブは、冷酷な笑みを浮かべてあっさりとうなずいた。

 セルゲイの言う通り、今後の計画に必要なのは銅剣を扱うことができる未玖だけで、宏信と佳那子をこれ以上生かして手元に置いていても特に意味はない。宏信にその豊富な専門知識を活かして進めさせていた超古代文明の研究は、既に彼らのニーズを十分に満たすだけの成果を収めたのだ。


「さらばだミスター柴崎。今までの多大な貢献への感謝を込めて、せめて葬式くらいは大金をかけて盛大に催してやろう。別れたご婦人と共に安らかに眠ってくれ」


 ラーティブが嘲笑うようにそう言うと、宏信はまだ縛られているように見せかける演技をやめ、手首に巻きつけていた縄を床に投げ捨てると自由になった両手を広げた。


「どうやらこれまでのようだね。これは同情されるべき悲劇なのか、それとも私の愚かさが招いた単なる自業自得かな」


 まるで観念したかのようにそう語り出す宏信だが、内心ではまだ大人しく死を受け入れる気などはない。言葉のフェイクで相手を油断させつつ、彼は一か八かセルゲイに飛びかかって何とか銃を奪おうと考えていた。

 慎重に数メートルの間合いを保ちながらこちらに銃を向けているベテランの殺し屋に、素人の宏信がそんなことをしても成功の見込みはほとんどなく、近づく前に撃ち殺されるだけだろう。そうは分かっていても、どうせ死ぬくらいならば無茶を承知で捨て身の特攻を試してみようと宏信は決めたのだ。


「……さよならだ。色々あったけど、愛してるよ。佳那子」


「えっ……!?」


 ファルハードが口に生えた鋭い牙でザデラムの左手の鎌に噛みつき、そのまま腕をねじ切るように引っ張って前のめりに転倒させる。一度は愛が冷めて離婚することになった昔の妻に惜別の告白をすると、衝撃で建物が大きく揺れてセルゲイが体勢を崩しかけたその瞬間を狙って宏信はソファーから立ち上がった。


「甘いな。死ね!」


 多少のアクシデントに見舞われた程度で、隙を作って銃を撃てなくなってしまうようなセルゲイではない。あくまでも冷静に、向かってきた宏信の心臓を正確に狙って彼は銃のトリガーを引こうとした。これはやはり駄目だな、と、突撃しながら宏信も失敗を悟って死を覚悟する。彼が射殺されてしまうのを予期して思わず目を覆おうとした佳那子だったが、彼女が自分の両目を手で塞ぐ寸前、その視界に全く予想外の物体が飛び込んできてその場の状況を一変させた。


「何っ……!?」


 歴戦のテロリストであるセルゲイすらも、一瞬何が起こったのか分からず思考がフリーズしそうになった。横から勢いよく飛んで来たサッカーボールが彼の持っていた拳銃に当たり、手から弾き飛ばして大きく宙を舞わせたのである。


「ぐぁっ!」


 セルゲイの手から銃を落とさせたボールは回転しながら美しいカーブの軌道を描いて急降下し、その奥に座っていたアミードの顔面に命中、彼の鼻っ柱を叩いて直角に跳ね返ると、彼が操作していたコンピューターを直撃して鈍い音を響かせた。コンピューター内部のCPUが衝撃でショートし、コードを通して未玖の脳に送られていた電気信号がストップする。


「エスナイデルの必殺フリーキック、大体こんな感じだったかな」


 部屋の外から室内にボールを蹴り込んだのは、ファルハードが飛来したのを見てこのビルに忍び込んでいた拓矢だった。ラーティブがボールにサインを書いてもらった、先ほどの試合で対戦したばかりのウルグアイ代表のスター選手を彷彿とさせる見事なドライブシュートで、拓矢はセルゲイの手から銃を失わせたばかりか、未玖を洗脳して操っていたコンピューターをも同時に破壊したのである。


「貴様!」


 セルゲイがすぐに銃を拾おうと屈みかけたところに、突進してきた宏信が掴みかかって後ろから組みつく。アミードがボールの当たった顔を押さえながら立ち上がってセルゲイに加勢しようとしたが、これには走り込んだ拓矢が咄嗟に体当たりを浴びせて転ばせた。その間に佳那子が床に落ちていた銃を拾い、宏信ともみ合いになっていたセルゲイの頭に銃口を向ける。


「動かないで!」


「しまった……!」


 両手で銃把を握り締めた佳那子が大声で叫ぶと、不覚を悟ったセルゲイは舌打ちして動きを止め、渋々ながらも手を挙げて降参する。続けて佳那子が銃をアミードの方に向けると、起き上がって拓矢に殴りかかろうとしていた彼もやむなく戦うのをやめてホールドアップした。こうなってはラーティブも自分一人ではどうしようもなく、悔しげに表情を歪ませながら同じく降参のポーズを取るしかなかった。


「未玖!」


「え……た、拓矢……?」


 両手を挙げて立ち止まったアミードの前を離れた拓矢は未玖に駆け寄り、彼女の頭に被せられていたヘルメット型のコントロール装置を外して床に放り投げた。

 意識を取り戻した未玖は握っていた銅剣を手から放すと、目眩と疲労感を覚えてその場に倒れそうになる。外部から流し込まれた電気信号で長時間に渡って脳を強引に作動させられていたため、脳神経に異常な負荷がかかっていたのだ。


「しっかりしろ未玖。もう大丈夫だ」


「拓矢……来てくれた……のね」


 脱力した未玖の体を抱くようにして支えながら、拓矢が励ましの声をかける。その様子を横で見ていた宏信は、にやりと笑って佳那子の方へ振り向いた。


「僕がいない間に素敵なボーイフレンドができていたようだね。未玖もやるじゃないか」


「ふざけてる場合じゃないでしょ。ここからどうしたらいいの?」


 震えた手で持っている銃で三人を必死に牽制しながら、佳那子は声を上擦らせて宏信に次の行動を促した。これは悪かったと頭を掻きながら、宏信は佳那子から銃を受け取り、威嚇の役目をバトンタッチしてセルゲイらに向け直す。


「そうだな。このとんでもない詐欺師とテロリストたちは当然、警察に逮捕してもらうことになるだろうけど」


 ビルの外では、銅剣からの指令が送られて来なくなったザデラムが最初と同じ自律モードに切り替わり、埋め込まれていた破壊のプログラムに従ってファルハードとの戦闘を続行していた。象の鼻のようなザデラムの突起で首を絞められたファルハードは逆にそのホースのような長い突起を両手で掴んで怪力で引っ張り、ザデラムの巨体を自分の真上に持ち上げて豪快な背負い投げを見舞う。降ってきたザデラムの体にオイルタンクが押し潰され、中に貯蔵されていた石油が飛び散って二匹の皮膚に降りかかった。


「ファル……こんな遠くまで、私を助けに来てくれたんだ……」


 すぐに立ち直って反撃してきたザデラムと激しい肉弾戦を展開しているファルハードの勇姿を見ながら、未玖は思わず涙ぐんだ。ずっと囚われの身になっていたことによる恐怖と緊張、それに脳を勝手にあれこれ動かされた後遺症もあって、普段よりも感情の起伏が激しく情緒不安定になっているのが自分でも分かる。


「未玖。疲れているところ済まないんだが、もう少しだけ頑張ってこの銅剣を使ってもらえるかな。まだ暴れているあのザデラムを停止させなければ」


 娘の体調を気遣いつつ遠慮がちに宏信が言うと、未玖は緩んでいた表情を急に引き締め、父親の顔を見ながら明るくはにかんで首を縦に振った。


「うん。早くファルを助けてあげなきゃね」


 床に落としていた銅剣を拾った未玖はその柄を両手で強く握り、まだしつこく残っている目眩と偏頭痛を堪えながらザデラムに向けて念じた。口からの破壊光線を至近距離からファルハードに浴びせて吹っ飛ばした直後、動きを止めろという命令を受信したザデラムは追撃の二発目を発射するのをやめ、開けていた花弁のような口を閉じてその場に制止する。


「良かった。これでようやく一件落着だね」


 未玖の心の声を聞いたザデラムが戦いをやめたのを見て、宏信が安堵の溜息をつく。ビームの直撃を受けてしまったファルハードも大事なく、油を浴びた体に光線の爆発が引火して燃えているのも厭わず起き上がると、棒立ちになっていたザデラムに体当たりをして地面に押し倒した。倒れたまま死んだように動かないザデラムを睥睨して、自分が勝ったと理解したファルハードは誇らしげに大音量の遠吠えを夜空に響かせる。


「それじゃ、警察を呼んでこの人たちを連れて行ってもらうようにするわね。カタールの警察って何番なのかしら」


「ああ、ええとね……ちょっと待ってくれ」


 怪獣同士の戦いが終結して周囲の安全が確保されたところで、佳那子は拉致された際に取り上げられていた自分のスマートフォンを探して手に取り、宏信にこの国の警察の電話番号を訊ねてラーティブらの犯罪を通報しようとした。ザデラムが無力化され、ウラルヴォールクの指揮官であるセルゲイとその黒幕だったラーティブ、そして彼の走狗のアミードが逮捕されれば事態はめでたくほぼ解決である。


「良かったな。未玖」


 ほっと一息ついた拓矢は未玖の方を向き、彼女に無事を喜ぶ言葉をかけようとした。だが誰もが事は終わったと油断しかけていたその時、両手を挙げたままずっと苦虫を噛み潰したような表情でうつむいていたラーティブが顔を上げ、突然の予期せぬ行動に出たのである。


「きゃぁっ!」


 未玖に向かって猛然と突進したラーティブは肥えた大柄な体をぶつけて彼女を跳ね飛ばすと、ザデラムのコントロール装置である銅剣をその手から奪い取った。


「未玖!」


 倒れた未玖の元へ拓矢が駆け寄って彼女を守るようにその前に立ち塞がり、宏信も構えていた拳銃をラーティブに向ける。だが相手が警告を無視して動いたからといって即座に躊躇いなく人を撃てるほど宏信は冷酷ではないし、職業軍人のような訓練されたメンタリティを持っているわけでもない。焦りの色を見せる宏信に銃口を向けられたまま、銅剣を胸に抱き締めるようにして持ったラーティブは汗でびっしょりと濡れた顔に半狂乱の笑みを浮かべた。


「無駄な悪あがきはやめろ。あなたにはその剣は使えない」


 超古代の魔術師の血を引いていないラーティブが銅剣を手にしたところで、未玖のようにテレパシーを発してザデラムを操れるわけではない。そんなことは分かっているはずだと説得するように宏信は言ったが、ラーティブは重い大きな銅剣を力任せに振り上げ、彼らを威嚇しながらゆっくりと後退して窓の方へと近づいた。厚い窓ガラスはファルハードが飛来した際に衝撃で全て割れてしまっており、火災の煙を乗せた生ぬるい夜風が室内に吹き込んでいる。


「その銅剣は武器として造られたものじゃない。振り回して暴れるには無理があるぞ」


 文字通りの剣として敵を斬り倒す用途に使うには銅剣は重すぎるし、テレパシーの発信アンテナでしかない刃に通常の剣のような切れ味があるわけでもない。とはいえ、この硬さと重量で頭を殴られたりすれば危険なのは確かで、武器として全く使いようがないとも言えないのだ。だが宏信と拓矢が警戒して身構えた刹那、ラーティブは彼らの予測を大きく逸脱した奇行に出た。不敵な笑みを浮かべて口元を歪めた彼は後ろへ振り向くと、持ち上げていた銅剣を割れた窓から外へ力一杯放り投げたのだ。


「あっ……!」


 あまりのことに、誰もが唖然としてしばらくは声もなかった。十階の社長室からおよそ三十メートルの高さを落下していった銅剣は、地面のアスファルトに激突してバラバラに砕け散ってしまったのだ。


「ラーティブ! 何てことを……!」


「これで世界は終わりだ。ザデラムはもはや誰にも制御不能になった」


 銅剣が機能を失ったことで、ザデラムに組み込まれていた破壊プログラムは未玖にかけられていたロックを外されて再び稼働し始めた。銅剣が壊されてしまっては、もはや未玖にもザデラムを従わせることはできない。倒れたまま機能を停止していたザデラムはむくりと起き上がると、太古の魔術師が己に植えつけた殲滅という使命を思い出したように動き出した。


「君たちのお陰で、私の人生はもうおしまいだからな。どうせ惨めに破滅するしかないのなら、全てを道連れにして共に滅びようじゃないか」


「血迷ったか! こんなことをしたら、自分の命さえ助からなくなるんだぞ!」


 声を震わせながら宏信は叫んだが、ラーティブはそれを承知の上でこうしたのだと胸を張って勝ち誇った。アミードやセルゲイさえ、自分たちのボスがしたことの意味を噛み締めて蒼ざめ、言葉を失って呆然と立ち尽くしている。

 ザデラムは長いチューブのような口を振り回して破壊光線を乱射し、周囲に建っていたAJOCが所有する石油コンビナートの施設群を手当たり次第に爆撃した。オイルタンクや製油施設が次々と爆発し、中にあった油に引火して大火災が発生する。


「焼き尽くせ! この世を地獄に変えるのだ! 我が人生のフィナーレを派手に彩る、盛大な祭りの始まりだ!」


 ラーティブの狂おしい絶叫は次の瞬間、凄まじい爆音によってかき消された。ザデラムが四方八方に乱射していた光線の一本が飛んで来て、彼らがいるAJOCの本社ビル十階の社長室に命中したのである。


「きゃぁっ!!」


「うわぁっ!!」


 眩しい紫色の閃光が間近で炸裂し、肌を焼かれるような高熱を乗せた強い爆風を受けて吹き飛ばされながら、未玖たちの視界は瞬時にホワイトアウトして何も見えなくなった。

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