Ep.4 CAMERA EYE

 フェイド・イン――


 眼の前の凶々しいハンニャ面が、いきなり手刀を振り下ろす。

 視点の人物は首筋を打たれ、あっけなく床に倒れてそのまま画面が暗転する。


 カメラが切り替わり、気絶したスーツ姿の人物の乱れた髪からゆっくり上方にパンしていく。

 歴史を感じさせる、重厚な板壁に囲まれた女子寮の一室。

 凶々しいハンニャの面をつけた人物とネグリジェ姿の少女が、向かい合って立ち、倒れた人物を見下ろしている。不釣り合いな二人の間には、真夏の熱気とはおよそかけ離れた凍りつくような緊張感が張りつめている。


「こんなことになるなんて……どうしたらいいの?」

「うろたえるな。事態は刻々と変化するものだ。つねに一つひとつ冷静に対処することだけを考えろ。それが戦いにおける鉄則だ」


「わ、わかってる。だけど、まさかミホ先生まで……」

「〝ミホ先生〟だと? おまえまでそんな呼び方をするのか。言ったはずだ。任務遂行の際には、つねに冷静沈着、純粋客観たれ、と。ものの見方はそのまま態度や言葉づかいに表れる。同じ思考をすれば、必然的に私と同じ口調になるはずだ。そうだろう」

 脅すような口調だが、そこには年長者らしい諭すような響きも感じられる。

「ええ……」


「一時も忘れるな。われわれの流派の根本教義だ。それによって、われわれはつねに一糸乱れぬ動きが可能になる」

 ハンニャの面が宣告するように言い切ると、うなずき返したネグリジェの少女の顔からは、たちまち心細げな表情がきれいにぬぐい去られ、直前までスーツの女性に向けていた柔和な初々しさはもはやみじんも見られない。


「織倉美保は白雪和子の手先の一人。こんな緊急の場合でなければ、いっそ死んだほうがましだと思うくらい痛ぶってやるところだが……」

「そうだ。まず、あの娘からケータイを取り上げなければ」


 ハンニャ面がうなずく。

「私は姿を見られるわけにはいかん。一階から捜索することにする。出入口にはカンヌキがかかっている。子どもの力では開けられまい。まだ中にいるはずだ」

「では、私は寮生の部屋を回って、部屋から出ないようにとクギを刺そう。娘がそこに逃げ込んでいる可能性もあるし。口実は……子どもの姿が見えないので、学園長を手伝って私も探しているところだ、と」


「それでいい。たしか、織倉は『子どもはまだしゃべれない』と言っていたな。なら、どこかに通報される恐れはないだろうが、とにかく一刻も早くケータイを奪い、私を撮った画像を消去しなければならない」


 少女がドアの外を慎重にうかがい、人影も足音もないことを確認する。

 カメラは、先に出たハンニャ面が階段を滑るように駆け下りていく後を追う。

 ゆったりとした和装の袖が画面いっぱいに優雅にひるがえるが、そこにはわずかなためらいもない殺気がはらまれている――



 画像は数十秒前に巻きもどされる。


 昇ったときとは反対に、子どもは階段を一段ずつ尻を滑らせるようにしてやっと一階にたどり着く。すぐに正面玄関に向かいかけるが、扉の間に渡された太いカンヌキが眼に入って立ち止まる。


 母親がさっき重そうにそれをかけていたのを思い出す。厨房の勝手口や非常階段に続くドアにも同じことをしていた。

 古くて重厚な建造物で、かつ女子寮という施設でもあることからすれば当然の仕組みなのだが、幼い子どもがそんなことを知るはずがない。だが、自力でそこから出られそうにないことは直感的にわかる。


 残る出口は窓だが、赤い非常灯がともっているきりの食堂と談話室をはじめ、一階はすべて、防犯のために夜間はよろい戸まで閉ざされているのだ。

 どうしようかと迷っているうちに、上の階でドアが開く音がして、階段を下りはじめるひそめられた足音が聞こえてくる。


 子どもはとっさに階段の裏の暗闇に身をひそめる。ケータイをお守りのように胸に抱きしめ、階段がきしむ音に耳をそばだてる。

 かすかな光の具合で、せいいっぱい見開いた眼が頭上を通過する気配を追って動くのだけが見える。


 階段を下りきった足音は、一瞬立ち止まった後、ただちに談話室へ向かう。

 悠然としているが油断のない足取りは、まさに小動物を追いつめる猛獣のそれだ。


 扉を後ろ手で閉じると、手近なイスをその前に立てかける。こっそり背後をすり抜けて逃げられるのを阻止するためだ。そうやって二か所の出口をふさいでしまうと、照明をあかあかとつけて徹底的な捜索に取りかかる。


 子どもの視点から談話室のガラス壁の中がとらえられる。

 ハンニャの面をかぶった人影は、テーブルの下やソファの陰をいちいちのぞき込んだりせず、じゃまなものを払いのけるように乱暴に押し倒したり投げ捨てていく。

 分厚いカーペットが敷かれていなかったら、エルザハイツじゅうにその音が響き渡っていることだろう。


 そのすきに子どもは階段下からはい出し、こっそり舎監室に入る。背伸びして内カギをかけると、ベッドの後ろに隠れてホーッと長いため息をつく。


 横には母親が食後に学園長室から取ってきたボストンバッグが置かれていて、何かあったときのための予備の着替えはもう出してイスの背にかけてある。

 この部屋がいちばん安心できて安全な場所でもあることはまちがいない。


 だが、ハンニャによる強引な捜索は続いている。

 場所がすぐ隣の食堂に移ったらしく、大きな食卓テーブルが動かされる音や傍若無人な足音があちこち移動するのが、壁越しに手に取るように聞こえてくる。


 あの様子では、舎監室のドアさえ蹴破られかねない。子どもは、とうとういたたまれずに立ち上がる。

 すると、壁にかかったカギ束が偶然眼に入る。

 母親といっしょにそれを手にして一室一室調べて回ったことが思い浮かぶ。


 幼い子どもには、それを具体的にどう使おうという目算があるわけではない。なぜか強く心を惹かれるままイスに登り、迫りくる恐怖に追い立てられるようにして机にはい上がる。

 そうしてやっとカギ束に手が届いたと思ったとき……


 フェイド・アウト――

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