6-020. 秘密の道
パーズから街道を外れて北西に向かうと、小さな森が見えてきた。
途中、丸っこい小動物がぴょんぴょん飛び跳ねているのを見て、ほっこりした気持ちになる。
しかし、俺達が近づくと動物達は血相を変えて逃げてしまう。
馬車に驚いたわけじゃない。
その隣を併走するトロルにびっくりして逃げ出しているのだ。
「コノママ、マッスグ」
「了解した」
御者台でリアトリスの手綱を握るジェリカが平然と会話している。
俺もネフラも、やはり普段見慣れないトロルにはどうしても気安くなれない。
ジェリカのコミュ力の高さには驚かされるな。
「ジェリカって異種族たらしだよね」
「ネフラ……。またそんな言葉を」
「え?」
「いや。なんでもない」
ネフラにはあまり
森にはギリギリ馬車が通れる獣道があった。
トロルを先頭にして、馬車は森を進んでいく。
こんな場所に秘密の道とやらがあるのか?
俺は罠だった場合に備えて、常に指先で銃身に触れていたが――
「ジルコ。そう構えんでも、ヘロスは何もしやしない」
――ジェリカに釘を刺されてしまった。
「念には念をと言うだろう」
「疑うばかりでは相手の信頼を損ねてしまうぞ。信頼すべき時にはしっかり相手を信頼する。大事なことだ」
「それはそうだけど……」
「お前の得意なことだと思っていたがな? ジルコ」
ジェリカは悪戯っぽい笑みを見せるや、前方へと向き直った。
「複雑だね」
「……ああ」
ネフラの言う通り、複雑な心境だ。
俺だって好き好んで人を疑っているわけじゃない。
ただここ最近、立て続けに身内から裏切られたこともあって過敏になっているのだ。
ましてや相手は蛮族と言われるトロル。
ジェリカはヘロスを信じているようだが、俺はまだ奴を信頼しきれない。
幌馬車の中からヘロスの背中を見ていると、奴が足を止めた。
そこは大きな岩の手前。
ちょうど岩の前で道が二手に分かれていた。
「ヘロス。どちらに行くのだ?」
「違ウ。コノ岩ノ奥」
「岩の奥?」
「ココカラ中ニ入レル」
ヘロスが岩に大きな手のひらを押し付けた。
すると、岩の中に手のひらが吸い込まれていく。
奴が手を突っ込んだ瞬間、岩の表面からエーテル光の粒子が舞い散っていることから、どうやら魔法による仕掛けのようだ。
「コッチ。コノ奥ニ空洞ガアル」
「ふむ。変わった趣向だな」
ヘロスは岩の中へと姿を消してしまった。
ジェリカはヘロスの後を追って、リアトリスを歩かせ始める。
「ちょっと待った!」
「なんだ?」
「本当に岩の中に入るのか?」
「そうだ」
「わ、罠だったら……?」
「まだそんなことを言っておるのか! 奴は信頼に足る男だ。信用せいっ」
「そうは言ってもなぁ」
「ならば、奴を信じるわらわを信じよ。それならばできるだろう?」
「……わかったよ」
ジェリカはにこりと笑うと、リアトリスの尻を撫でた。
それを合図に、リアトリスは岩へと向かって直進していく。
リアトリスの鼻先が岩に触れた瞬間、ヘロスの時のように岩へと吸い込まれていく。
主の命令とはいえ、よく岩に向かって躊躇なく突っ込めるな……。
リアトリスが消えた後は、御者台、荷台の順に岩の中へと消えていく。
いよいよ俺とネフラが岩に吸い込まれるという時――
「……」
――彼女が俺の手を握ってきた。
その小さな手を握り返した時には、俺の視界には森ではない別の場所が映っていた。
「……こ、ここは?」
「どうやら岩の中だな」
ジェリカが御者台に立ち上がって周囲を見渡している。
俺も幌の隙間から外を覗いてみたが、どうやら洞窟の中のようだ。
しかも、エーテル光の粒子が飛び交っているために明るい。
辺りには植物もなければ動物や虫の姿もなく、静まり返っていて気味が悪いくらいだ。
「コノ奥、ツイテクル」
ヘロスはそう言って先に歩いていってしまう。
奴が歩いていく先には細い通路があった。
「リアトリス、行くぞ」
ジェリカがリアトリスを促し、馬車が進み始める。
通路は荷台がこすれるほど狭い横幅しかなかったが、なんとか通過することができた。
通路を抜けると、一段と広い空洞へと出た。
しかも、地面に穿たれた横穴に勢いよく水が流れている。
「川だ! 地下水脈ってやつか!?」
珍しい物を見て、俺は思わず御者台に身を乗り出してしまった。
しかもこの水脈、エーテル光がまばゆく輝いている。
否。これは水じゃないぞ。
エーテル光そのものが、川のように横穴を流れているんだ。
「これ、龍脈!」
俺の隣でネフラが驚きの声をあげた。
……ちなみに、俺と彼女は今も手を繋いだままだ。
「龍脈とは何だ、ネフラ?」
ジェリカがエーテル光の輝きを眺めながらネフラに尋ねる。
「龍脈というのは、大地を巡っているエーテルの流れのこと。大気中にエーテルが漂っているのと同じく、大地にはエーテルが川のように流れているとされていたのだけど、実物を見たのは初めて」
「よく知っているな、そんなこと」
「本に書いてあった」
「はは。ネフラらしいな!」
「大地を流れるエーテルは、大気に漂うそれとは密度がまったく違うとのことだけど、本当に凄い密度……」
「一見すると本物の川のようにすら見えるな」
「まさか本当に川のような形で存在していたなんて……。これは凄い発見!」
龍脈に夢中になったネフラは、すでに俺から手を離してしまっていた。
「しかし、エーテルがここまで可視化されるものなのか?」
「この場のエーテル密度がそれほど濃いのだと思う」
「ふむ。魔法に疎いわらわには理解しがたいが、お前が言うのならそうなのだろう」
「でも、いくら岩の中に隠されているからって、これほどパーズの近くにあって今まで発見されないなんて……!」
ネフラが興奮する一方で、ヘロスは龍脈に手を突っ込んでいた。
エーテルなのだから触れても問題はないのだろうが、激流のような勢いで流れているエーテル光に手を突っ込むのはなかなか勇気がいる。
「ミンナ、コッチ」
ヘロスに手招きされ、ジェリカが奴の傍まで馬車を進める。
すでにネフラは荷台にはおらず、御者台でジェリカの隣に座っていた。
俺の立場がない……。
「キュウゥ」
おかげで荷台ではフォインセティアと二人きり。
相変わらず睨んできて怖い。
「コレカラ龍脈ニ飛ビ込ム」
「飛び込む? 龍脈に?」
「ココカラ龍脈ノ流レニ乗ッテ移動スル。ソレガ秘密ノ道」
「そんなことができるの? 私達が触れても何も起きないはずだけど……」
ネフラの言う通りだ。
龍脈は確かにエーテル密度が濃いようだが、エーテルはエーテル。
エーテルは目に見えない空気と同じようなもの――ここのエーテルは可視化されているけど――なのだから、川に飛び込むのとはわけが違う。
「俺、ドラゴン様カラ不思議ナ力モラッテル。ダカラデキル」
「不思議な力?」
「コノ場所ニ入レタノモ、ソレノオカゲ」
「あなた自身がギミック系魔法の鍵になっているということ?」
「詳シイコト、ワカラナイ。俺、役目ヲマットウスルダケ」
ドラゴンから力をもらっただって?
それが事実なら、パーズでの取り調べの時に判明しているはずだ。
尋問には
一体どうしてこの力が知られずに済んだんだ?
不意にネフラと目があった。
どうやら彼女も俺と同じことを考えていたらしい。
「もしかしたら、ヘロスは
「おいおい。それってまさに
「やっぱり彼には不思議な護りが施されているみたい。彼の言うドラゴンの仕業だと思うけど……」
グロリア火山のドラゴン。
それほどの力を持っているとなると、やはりその正体は……。
「ドウスル? ヤメルカ?」
トロルが急かしてくる。
こっちにやめるなんて選択肢はない。
……行くしかないな。
「行こう」
「うむ」「うん」
俺とネフラは馬車から降り、トロルの傍へと歩み寄った。
一方、ジェリカは名残惜しそうにリアトリスの顔を撫でている。
彼女はリアトリスと馬車を連れていけないと判断したのだろう。
ヘロスの発言から察するに、エーテルの流れに乗って移動するのであれば、川に流されるのと同じ状況が予想されるからな。
「ジェリカ。リアトリス置イテクノカ?」
「できれば連れて行きたいが、龍脈に馬車ごと飛び込むわけにもいかんだろう」
「ダッタラ、俺ニ任セル」
突然、ヘロスがリアトリスと馬車を抱きかかえた。
リアトリスは当然暴れたが――
「リアトリス! ヘロスに害意はない、安心せい」
――ジェリカがそう言った途端、大人しくなってヘロスへと身を任せた。
「ゴメン。少シダケ我慢スル」
ヘロスのやつ、まるでリアトリスを赤ん坊を抱くかのように優しく抱えている。
「俺ト飛ビ込コマナイト、龍脈ノ流レニハ乗レナイ」
「なるほど。おぬしが抱えていれば、馬車ごと移動もできるというわけか」
「ミンナ、俺ヲ掴ンデ」
ジェリカとネフラがヘロスの左足に抱き着いた。
少々抵抗はあるが、俺も二人にならって右足へと抱き着く。
「フォインセティア、お前もこっちへ来い!」
ジェリカが言うと、荷台の中からフォインセティアが飛び出してきた。
そして、彼女の腕へと留まる――
「うおわぁぁぁっ!?」
――かと思いきや、なぜか主のジェリカをスルーして俺の腕に留まってきた。
俺はジェリカと違って腕に厚い革布を巻いていない。
そのため、フォインセティアの
防刃コートを着ているから肉まで裂かれることはないが、それでも万力に挟まれているかのような凄まじい握力に腕が引き千切れそうだ。
「ははは。やはりフォインセティアはジルコのことが気に入っているのだな。わらわの相棒を任せたぞ、ジルコ!」
「任せたぞって……冗談じゃないぜ……」
俺の顔にフォインセティアが頭をすり寄せてくる。
クチバシで顔面をつつかれるかと思ってビクついてしまったが、案外顔の毛並みは柔らかくて気持ちいいな。
「準備イイ? ソレジャ、飛ビ込ム」
ヘロスがしがみつく俺達と共に地面を蹴って、龍脈へと飛び込んだ。
流れるエーテルに身を投じた瞬間、太陽のようにまばゆい光が俺の視界を覆った。
「う、うわっ!?」
視界は真っ白で何も見えない。
そんな中、背中を圧迫されて、波にでも押し流されるような感覚を覚えた。
まるで本当に激流の川を流されているような気分だ。
「くっ」
気を抜けば吹き飛ばされてしまいそうな凄まじい風圧を感じる。
しかし、その風圧もすぐに弱まってきた。
徐々に視界を覆っていた白い光も小さくなっていき、俺はその光に向かって進んでいるのだとわかった。
視力が戻って早々、俺はみんなの様子を探った。
ヘロスは身を屈めて、リアトリスと馬車をしっかりと抱きかかえている。
ネフラとジェリカは、目をつむったままヘロスの足に必死にしがみついている。
フォインセティアも俺とヘロスの足の隙間に顔を突っ込み、風圧を堪え凌いでいる。
俺は周囲を見回して、驚くべき光景を目の当たりにした。
ここはエーテルで囲われたトンネルの中だ。
俺達はそのトンネルの中を、エーテルの流れに乗って移動している。
周りにはエーテル光の粒子がキラキラと輝いていて、まるで星空を飛んでいるかのような錯覚にすら陥る。
地下空洞を進んでいるのかと思ったら、そんなことはない。
俺達は明らかにこの世ならざる場所を通っていた。
「……!!」
正面の光に飛び込んだ瞬間、再び視界が真っ白になった。
「……う」
一瞬の後、風圧は失せていた。
足の裏には地面を踏む感触があり、鼻先には緑の臭いが香ってくる。
……目を開けてみると、俺達は深い森の中にいた。
足元にはエーテル光がにわかに流れているが、洞窟の時よりずっと薄くてかすんで見える。
「ど、どういうこと? 私達、今さっきまで洞窟の中にいたのに」
「ここが龍脈の出口ということか。しかし、どこだここは?」
ネフラもジェリカも戸惑っている。
俺とフォインセティアも同様だ。
「ココ、グロリア火山ノフモト」
「火山のふもとだって!?」
「ソウ」
「嘘だろ。パーズからグロリア火山までは、馬車で三日は掛かる距離だぞ!」
「デモ、モウ着イタ」
「……龍脈ってつまり、瞬間移動装置なわけか」
森の樹冠の向こうには、確かに煙を上げている火山の姿が見える。
本当にグロリア火山のふもとまで来てしまったようだ。
体感的にはほんの数秒。
そんな短い時間で100km以上の距離を移動するなんて……。
ヘロスは抱えていたリアトリスと馬車を下ろした。
リアトリスは変わりなく、馬車も傷ひとつついていない。
「里マデモウ少シ」
ヘロスは再び先頭に立って俺達の誘導を始めた。
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