3-002. 賢者の帰還

 酒場には布や肉の焦げた臭いが漂っている。

 魔法によって吹っ飛ばされたビズの背中は、それは酷い火傷だ。


「……何も不意打ちで魔法をぶっ放さなくても」

「おや。余計なことでしたか?」


 余計も余計だよ!

 ビズは決闘裁判の代理人だぞ!?

 裁判前に半殺しになんかしたら、問題が起きるに決まってる!


「どうしたの!?」「何、今の音!」


 ネフラとアンが廊下から酒場へと駆け込んできた。

 クロードの魔法がビズに直撃した音を聞いて、応接室から出てきたのだろう。


「クロード」「クロードさん」

「やあ。二人とも変わりないようですね」


 ネフラとアンに、何事もなかったかのように挨拶を交わすクロード。

 二人は受付カウンターの前で背中を焦がして伸びている男を見ながら、鼻をつまんだ。


「ジルコくん、この人」

「ああ。クロードが……ちょっとな」


 俺はクロードに目配せしたが、当の本人は肩をすくませて何も言わない。

 ビズを吹っ飛ばした説明くらいしてくれよ。


「アン。すまないけど近くの医療院に伝書鳩を飛ばしてくれ」

「えっ。あ、はい……」


 アンはパタパタと走りながら庭へと出ていった。

 庭にある鳥小屋の管理は、今はアンに一任してあるのだ。


 クロードはアンの背中を見送った後、口を開いた。


「医療院への依頼など必要ありませんよ」

「このまま放っといたら死んじまうだろ!」

「やれやれ」


 クロードは薄紅色の髪を掻き上げ、倒れているビズへ向かって歩き出した。

 すれ違う際、冷笑を浮かべながら俺を一瞥して。

 ……どうも俺は、昔からこの男に軽んじられているように思う。


「何をする気だ?」

「死なれたら遺体の処理に困るでしょう」


 クロードは赤、青、黒の三枚のマントを重ねて羽織っている。

 それぞれ金の刺繍が施されていて、一見すると鮮やかで華やかに見えるが、それらには魔術的な意味が込められているらしい。

 三重のマントの下には鞣革なめしがわで編まれたサーコートを着込んでおり、腰から下へ伸びたズボンにはいくつものポケットが縫い付けられている。

 そのポケットはコルク栓で蓋をされた怪しい小瓶を覗かせている。


「ふむ。この程度の火傷では後遺症は残っても死にはしませんよ」


 言いながら、クロードはマントの襟飾りに備え付けられた彫刻に手を触れた。

 さらにもう片方の手をビズの背中へと当てる。


癒しの奇跡ヒアルス・ペイン


 クロードの襟飾りにある彫刻がぼうっと光り始めた。

 それは竜を模して造られた彫像で、彫りが細かく美しい逸品だ。

 その逸品が今まさに奇跡を起こしている。


 竜の像の輝きは、時と共に弱まっていった。

 ビズの傷は見る見るうちに塞がっていき、すでに肉の焼ける臭いも消えた。


「教皇庁の奇跡に勝るとも劣らないな。竜聖庁・・・の奇跡も」

「奇跡など大同小異ですよ」


 意識こそないが、呼吸の荒かったビズはすでに落ち着いている。

 医療院への治療要請は不要のようだ。


「ネフラ。アンに伝書鳩を飛ばすのはなしだと伝えてきてくれ」


 ネフラはこくりと頷き、アンを追いかけて庭へと出ていった。


「そのカスの始末は任せます」


 クロードは髪を掻き上げ、澄ました顔で言い放った。

 商売敵とは言え、一端いっぱしの冒険者をカス扱いか。

 半年ぶりに会ったがこの男は変わっていないな。


「ところで、フローラは今どちらに?」

「え? お前、フローラに用があるのか!?」


 クロードの口からフローラの名前が出てくるとは驚いた。

 この二人、信仰の違いで真っ向から対立しているのだ。


 片や宝石を神聖視する教皇庁・・・のジエル教。

 片や竜を神聖視する竜聖庁・・・竜信仰ドラゴン・ロウ


 何百年も前から、このふたつはバッチバチにいがみ合っている。

 お互い相手を邪教だと罵り合い、過去には宗教戦争にまで発展した。

 ここ百年は闇の時代のせいで対立も静かなものだったが、魔王が滅びたことでまた以前のように敵愾心てきがいしんを燃やし始めたと聞いている。

 そんな信仰を持つ男が、フローラに会いに来たとは……。


日曜昨日礼拝ミサで会った時、ジエル教会の説教を手伝うとか言っていたけど」

「そうですか――」


 クロードは顎に手を当てて、何かを考えるようなしぐさを見せた。


「――もしフローラが戻ったら、足止めしておいてください。私は夕方まで近くの教会を訪ねてまわりますので」


 言うが早いか、マントをひるがえして酒場から出ていこうとする。


「ちょ、ちょっと待った! フローラに何をする気だ!?」

「私は彼女と話をしたいだけです」


 話をしたいだって?

 水と油の二人が顔を合わせれば、問題が起こるのは必至。

 裁判とか解雇通告とか、この面倒な時期に俺のあずかり知らぬところで揉め事は起こされたくない。

 事が起こる前に仲介する準備をしておかなければ。


「俺も一緒に――」

「ごほっ! ごほごほっ」


 俺がクロードに同行を求めようとした時、咳き込むビズの声に遮られた。


「くそったれ……! てめぇ、〈理知の賢者〉クロードだな!?」


 ……あらら。

 ビズは鼻から大量に出血している。

 カウンターまで吹っ飛ばされた時、顔面を打ちつけていたようだ。

 その傷までは治してもらえなかったんだな。


「許さねぇぞ。舐めた真似しやがって!」


 ビズは腰に差していた銃剣ソードガンを手に取り、切っ先銃口をクロードへと向けた。


「やめろビズ! こんな場所で正気か!?」

「うるせぇ! 邪魔するならてめぇからブチ抜くぞジルコ!!」


 俺の静止も聞かず、ビズは銃剣ソードガンを構えながらクロードへとにじり寄っていく。

 こりゃ完全に頭に血が上っているな。


「やれやれ。彼我ひがの力量差が凡夫には測れませんか」


 クロードは呆れた面持ちでビズを見入っている。

 ただでさえ血の気の多い相手を露骨に挑発して、火に油を注いでいることをわかっているのか?

 ……きっとわざとだろうけど。


「等級Sだからって、でかい口を叩くんじゃねぇぞ!!」

「きみ、冒険者の等級が何のためにあるのか理解していますか?」

「あぁ!?」

「きみのような水準の低い人間のために、逆らっていい・・相手といけない・・・・相手を区別するために設けられた線引きなんですよ」


 いつものことだが、煽りに煽るな……。 

 そんな風に等級を捉えているのはお前だけだから!


「二人とも、ちょっと落ち着け!」


 今にも銃剣ソードガンの引き金を引きそうなビズの頭を冷やすためにも、俺は二人の間に割って入った。


「ジルコてめぇ、邪魔立てするかぁ!」


 ビズは俺の首に切っ先を突きつけてきた。

 おいおい、相手が違うだろう。


「落ち着けビズ! クロードも騒ぎを起こすような真似はよしてくれ」

「騒ぎなど起きませんよ。すぐに終わりますから」


 そう言って、クロードはベルトから下がる細長い杖を手に取った。

 杖の先端には小さな赤い宝石が備え付けられている。

 それは魔導士ウィザード用の杖――宝飾杖ジュエルワンドだ。


「おい! ここでる気か!?」

「上等だこの野郎っ」


 せっかく俺が場を収めようとしているのに、クロードが杖を出すものだからビズがいっそう興奮し始めてしまった。

 この時期に他ギルドの冒険者と揉め事を起こすのはよろしくない。

 どうにかして止めなければ。


「ジルコ。きみ、邪魔ですよ」

「どけジルコ! その優男と一緒に吹っ飛ばされてぇかっ」


 俺はお前らが揉めるのを止めたいんだよ!

 それなのに邪魔者扱いされるとは。


「いいかビズ。とりあえず自分のギルドに戻って頭を冷やせ。話はその後――」


 改めてビズを説得している最中、俺は背後から光が差したことに気づいた。

 振り返ると、クロードが魔法陣を描いている・・・・・・・・・ところだった。


 クロードが宝飾杖ジュエルワンドの先端を、空中に弧を描くようにして動かしていくと、その軌跡を追ってぼんやりと光り輝くが浮き上がり始める。

 その線が円環を形作った時、次は円のふちから内側へと向かって複雑な模様が表れていく。

 一見、絵のように見えるその模様こそ、俗に魔法の設計図と呼ばれる術式だ。

 この模様が円の内側をすべて埋め尽くした時、発動に必要な情報が揃う。

 そして今、クロードの描いた円は魔法陣の体裁をなした。


「まぁ、死にはしませんよ」


 童話と違って、本物の魔導士ウィザードは呪文やら詠唱やらを口にすることはない。

 杖や指輪など自分の身に着けている宝石を媒介に、可視化されたエーテル光で魔法陣を描き、その完成をもって超常の現象を引き起こす。

 それが魔法だ。


「待て、クロードォ~ッ!」


 俺の言葉は届かず、クロードは空中に描いた魔法陣を完成させた。

 赤い魔法陣――火属性体系の魔法だ!


熱傷吹き矢ヒート・ブロウ!!」


 半径10cm程度の小さな魔法陣の中央から、大人の人差し指程度の炎がポッと飛び出してきた。

 それは瞬く間に俺の頬をかすめ、後方に居たビズへと炸裂する。


「げはっ」


 ビズは鼻先に直撃を受け、よろめいて倒れた際に受付カウンターへと後頭部を打ち付けた。


「び、ビズ……?」


 秒殺。

 魔導士ウィザードの基礎中の基礎である熱傷吹き矢ヒート・ブロウによって一瞬で決着がついた。

 基礎とは言え、旧式ライフル――熱い吹き矢ヒートブロウガンの名前の由来にもなった攻撃魔法だ。

 超一流の魔導士ウィザードが使えば、並みの冒険者などこの様なのだ。


「前言を撤回します」

「は?」

「医療院への依頼は必要でした」


 人肌の焼けた臭いを感じながら、俺はクロードを睨みつける。

 当人は反省の色なく、肩をすくめるだけだった。

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