1-006. 相棒
ドォンッ、という大きな音が響いた。
酒場と工房を仕切っているぶ厚い鉄の扉が開かれた音だ。
「ふぅっ。アン、水をくれるか!」
工房から出てきたのは、ずんぐりした体型に深紅に染まったひげ面の男――ドワーフの鍛冶師だった。
彼は〈ジンカイト〉の専属鍛冶師を束ねる工房長その人だ。
この国の人間であれば、鬼才ブラドの名を知らぬ者はいないほどの人物で、俺達は親方と呼んでいる。
「ん。ジル坊とネフラだけか。アンはどうした?」
俺達に気づいた親方は、タオルを首に巻いて酒場を見回し始めた。
俺も今日はまだアンと顔を合わせていないな。
ネフラに視線を送ると、彼女は思い出したように口を開いた。
「アンなら、ギルドマスターに頼まれた書類をギルド管理局へ届けに行ってる」
「まだ戻ってないってことは、あいつめ。どこかで道草くってやがるな」
親方の一人娘アンモーラ――愛称はアン。
ギルドの受付嬢である彼女がお使いとは、人手不足が極まっているな。
「ジェットから話は聞いてる。お前さんも大変な役を押し付けられたな」
親方はもう解雇の件を知っているんだな。
工房長は管理職だし、
「おっと、すまん。また後で話すか」
親方がネフラを気にして押し黙った。
「いいんだ、親方。ネフラにはもう解雇通告の件は話してある」
「なんだ。素直に解雇を受け入れちまったのか。せっかくだし、手切れ金でもせびってみりゃよかったのにな」
「妙なこと言うなって! ネフラは俺に協力してくれることになったんだから」
それを聞くと、親方は驚いた顔でネフラを見入る。
「ネフラよ。お前さん、それがどういう意味かわかってんのかい?」
ネフラはこくりと頷いた。
「ふぅむ。ジル坊、さてはこの子の弱みでも握って――」
「違うから!」
まったく心外だな!
……でも、どうしてネフラが協力的なのかは俺自身も気になっている。
さっき理由を聞いても教えてくれなかったからな。
「しかし、今回の件を進めるにはちょうどよかったんじゃないか。ネフラの知識は役に立つだろうし、何よりこの子は聡い」
「頑張る」
一言だけ、気恥ずかしそうにネフラがつぶやいた。
「だがよ。まさか無償で働かせる気かいジル坊?」
「ちゃんと礼はするさ」
解雇通告を手伝わせる以上、この子が危険な目に遭うこともありえる。
それから守るのは当然として、謝礼を支払うのも義務だろう。
しかし、謝礼と言っても何がいいのか。
金……はないよな。
資金難のギルドにそんな金はないし、俺の財布から出すわけにも……。
「お礼なんていらない――」
俺が悩んでいると、ネフラがとんでもないことを言い始めた。
「――
どうしてそこまでしてくれるんだ?
ネフラとは四年ほどの付き合いになるが、思い返してもパーティーを組んで魔物と戦った記憶くらいしかないんだけどな……。
「ジル坊、てめぇやっぱりこの子の弱みを!」
親方が鬼の形相になって俺の首へと腕を回してきた。
ヘッドロックが決まり、息ができなくなる。殺す気かっ!?
「おごごっ! な、なにすんだ離せっ!!」
親方を突き飛ばして事なきを得たが、ドワーフの怪力はシャレにならない。
「ったく。しかし、どうしたんだネフラ。お前さん、ジル坊に何か借りでもあるのかい?」
親方の詮索にネフラは何も答えない。
言いたくないことなら、無理に言わせる必要はないよな。
「理由なんていいさ。手伝ってくれるなら俺は助かる」
「まぁ、下手打ってあいつらに吊るし上げられるのは、お前だけだろうしな」
「縁起でもないこと言うなよ……」
しくじった時は、本当に吊るし上げられるだろうから笑えない。
「曲がりなりにも俺の後任だからな。下手打たねぇよう、俺もひと肌脱いでやる」
ドンッ、と親方がゲンコツで自分の胸を叩く。
俺がこの状況に追い込まれている遠因はあんたなんだけどな。
……とは言えない。
「まずは彼らを納得させられる正当な理由が必要」
「正面から解雇を突きつけても、誰も聞いちゃくれないだろうしなぁ」
「そう。だから言い訳しようのない事実を突きつけて、それを解雇事由にすれば拒否はできない」
「なるほど。わかってらっしゃる」
「ちゃかさない。それより解雇事由にできそうなことはある?」
「今思いつくだけでも――」
ギルド名義で銀行から金を借りまくっている。しかも返さない。
恫喝まがいの交渉。挙句に暴力沙汰。
「――これだけあるな。調べればもっと出そうだ」
「酷い」
ネフラが呆れた顔をする。
俺なんて呆れを通り越して、もう乾いた笑いしか出てこないぞ。
先方に頭を下げるのは、いつもサブマスターの俺だからな。
……しかし、だ。
『殺すぞ、てめぇ』
『あまりに低劣な言葉だったので聞き取れませんでしたわ』
『これからも共に悪を成敗し、不条理なき世界を築いていこう』
つい先ほど耳にした冒険者達の言葉が脳裏に蘇る。
解雇事由があったところで、素直に受け入れる連中か?
いやいや。ネフラの提案は非常に現実的だ。
人には誰しも罪悪感がある。
それを利用して、話し合いで解決することは十分可能じゃないか。
罪悪感――あいつらにもあるよな?
嫌な想像をして顔がこわばる。
そんな俺に親方がひとつ助言をくれた。
「調べるなら、その道のプロに任せるといい」
「プロって?」
「情報屋のことだ。この国の地上から地下に至るまで網を張ってるあいつらなら、金さえ払えばなんだって調べてくれる」
「なるほど。冒険者の個人情報も例外じゃないわけか」
……情報屋か。
裏社会の連中とはあまり関わりたくないが、それが一番手っ取り早そうだ。
自力でギルドの冒険者を調べるのは骨が折れるだろうしな。
「それじゃ、さっそく会いに行ってくるよ」
「どこに行くつもりだ?」
「そういう連中の溜まり場は酒場だと相場が決まっているだろ」
「そんなところに居るような奴ぁ、二流だ二流!」
そう言って、親方が俺に何か小さな物を投げてよこした。
「? これは……
小さな宝石が装飾されたカフリンクスがひとつ。
こんな物をどうしろって言うんだ?
「西門近くの王立公園へ行きな。今の時間ならそこであいつに会えるだろう」
「あいつって……親方、情報屋に知り合いいるの?」
「たまに世話になるのさ。俺らの業界にも流行り廃りがあるからな」
親方は包丁から銃まで扱える万能鍛冶師だが、専門は宝石職人だ。
貴族や商人が主な顧客である以上、
「で、こいつを渡せば紹介完了ってわけだ」
「まぁな。後はお前さんが交渉して上手くやりな」
「ありがとう、親方!」
受け取ったカフリンクスをコートのポケットへと押し込んで、俺はすぐにギルドの入り口へと向かった。
その時、後ろから声が掛かる。
「ジルコくん」
振り向くと、ネフラが俺のもとへ駆け寄ってきた。
「ネフラもありがとうな」
俺がまたネフラの頭を撫でようとすると、今度は本で防御された。
そして、気恥ずかしそうな顔でネフラが口を開く。
「私も一緒に行く。……行っていい?」
ネフラには
この子を連れて行っても問題はないだろう。
「ああ。ついてこい!」
そう言うと、途端にネフラの顔が明るくなった。
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