楽園編

さあ、冒険の始まりだ!

 ――僕らは小綺麗な漫画喫茶の共有スペースに来ていた。比較的大きめなテーブルがいくつか並び、各テーブルには椅子が6つずつ。部屋の奥には本棚がずらりと並んでいる。この店舗、共有スペースは見事な作りだが、その反面、個室は数が少ないらしい。

 そもそも、この人数で個室を利用したりすれば、店員から不審に思われてしまうことだろう。


 雪音さんは、気前よく人数分の料金を払ってくれた。

 初回利用時の会員登録と身分証の提示が必要になっていて、僕と藍里は学生証を携帯していたので問題なかったのだが、どうやらミィコは証明できるものを持っていない様子?

 いつもは強気で弱みを見せない生意気なミィコも、今回ばかりは不安になって雪音さんに泣き顔で『どうしましょう』と泣きついていた。

 雪音さんは、そんなミィコに優しく『保険証は持っているよね』と伝えて、ミィコは焦りながらも、その可愛らしい猫の財布から保険証を取り出していた。

 当然、ミィコの態度はすぐ元通りで、『ふん、最初から知っていましたから』と言わんばかりにみんなを見ていた。

 というか、言っていたかもしれない。


 部屋の奥の方にあるテーブルに、雪音さんと向かい合う形で僕ら3人が並んで座る――

 僕らは、雪音さんの指示に従って両手を差し出した。その僕の手に、雪音さんは軽く手を添える。

「ごめんね、一つ忘れてた。私、ここでみんなの肉体を監視していないと。何かあったら困るもんね。私、一緒に冒険できない」

 雪音さんはいきなりそう言った。

「え、雪音さんがいなくて大丈夫なんですか?」

 僕はその言葉に驚いた。

 僕らだけだなんて、そんなの嫌な予感しかしない。不安からか、僕の手は徐々に汗ばんできているのが分かる。

 できることなら、このまま手を引っ込めてしまいたい衝動に駆られる。

「うん、多分。私も一瞬だけコネクトして心の声を飛ばすから。あ、なんかね、テレパシーみたいなのがその世界では使えるみたいなの。一種の第六感みたいなもの?」

 なんだろう、それ、どういう世界なんだ……?

「とにかく、危なくなったりしたら直感みたいなので分かるから! そうしたら、こちら側からみんなの接続を切断するから安心して! それでは、よい旅を!」

「え、ちょっと、まってくださ――いぃぃぃ?」

 僕は、まるで高速で回る観覧車に乗っているような感覚に陥り、そのうち、スッと意識が飛んだ。

 

 ――幾何学的楽園ジオメトリック・エデン、1日目。


「うああ、気持ち悪い――」

 僕は、言いようのない吐き気に襲われていた。

「なんだか、この感覚、具合が悪かった元旦の時とそっくりです……」

 藍里は元日の感覚を思い出したようだ。

「ミコ、もう、ダメです……」

 ミィコはぐったりしている。なんだか小動物のようで可愛い。


 僕の服装は、軽装というよりも、ぼろきれのような衣をその身に纏って、腰には刃が欠けてボロボロになったナイフを携帯している。それと背中には丈夫な革で作られているバックパック。

 そして、どうやら森に挟まれた街道のような場所にいるようだ。

 藍里とミィコは、僕よりはややマシな服装をしていて、藍里は長い棒、ミィコは鈍器のようなものを持っている。それからバックパックなのは僕だけのようで、二人とも肩掛け鞄……ポーチのようなものを着用している。

 おそらく僕は、いわゆる荷物持ちポジションなのだろう。


「ここ、どんな世界……わけがわからない」

 僕は軽くショックを受けていた。

 幾何学的ジオメトリックというわりに、その世界は現実世界となんら変わりがない。青い空、両脇に広がる深い森、延々と続く街道、鳥か何か動物の鳴き声……木々のざわめき。

 むしろ、現実世界よりも五感が研ぎ澄まされているとさえ感じられる。

 まさに、ジオメトリックショック!


「ジオメトリックショック!」

 僕は、思い立った言葉をつい口に出してしまった。

「え!?」

 藍里はその言葉に驚いた表情をしている。

「サトリ、転送の際に頭でも強く打ちましたか? どうやら打ち所も悪かったようですね。お可哀想に」

 ミィコはそう言って、軽蔑の眼差しで僕を見ている。


『大丈夫? 私も初回の転送時は酷かったんだ! でも、次からはすんなりコネクトできると思うよ! 多分、その世界の肉体と脳が整合性を取ろうとして気分が悪くなるんじゃないかなって』

 雪音さんの声が脳内に直接響き渡る。

『あの、雪音さん、その整合性とやらがうまく取れなかったらどうなるんですか?』

『え、雪音わかんなーい!』

 雪音さんはとぼけた様子だ。本当に分からないのか、それとも、悲惨な結末になるからとぼけているだけなのか……謎だ。

『ところで、僕の声って、みんなにも聞こえているんですか?』

『私の声はみんなに聞こえてると思うけど、さとりちゃんの声は二人に聞こえてないかも。もっとこう……パーティーメンバーをイメージしながら送信してみて! 藍里ちゃんとミィコもやってみて!』

『え、パーティーってなんですか? 送信って? ええと、こうですか?』

『こうですか? あ、さとりくんの声も聞こえてます!』

 藍里だ。

『みんなの声、ミコにも聞こえています』

 ミィコだ。


『うまくいったみたいね。あ、そだ、さとりちゃん、能力使える?』

『能力ですか?』

 僕は雪音さんに言われるまま、光子光源フォトンランプの能力を発動してみた。

『能力は、使えるみたいです』

 光子光源フォトンランプは、白昼でもその光が分かるくらいに光り輝いていた。

『サトリ、その能力、便利そうですね』

 ミィコが僕を褒めてくれた。なんだか嬉しいぞ。


『さて、そこから街道沿いに真っ直ぐ歩いて行けば首都に着くから、頑張ってね。ナイフ使って倒した獣とかモンスターの皮や肉を回収して、街で売ってお金にして良い武器とか買うといいよ!』

 雪音さんは唐突にRPGロールプレイングゲーム的な発言をしてきた。

『え、モンスターって何ですか? 聞いてないですよ、そういうの! それって危険じゃないんですか?』

 僕は、雪音さんの唐突なRPGロールプレイングゲーム宣言に驚き、危険性について説明してもらおうとした。

『ミィコ、貴女の能力は絶対に使用禁止! 分かったわね』

 しかし、雪音さんに僕の大事な質問はスルーされた!

『仕方ないですね。わかりましたよ、ユキネ』

『よろしい! ちなみに、この世界の1日は現実世界の20分くらいかな。だから、3時間パックの利用時間に間に合うように8日以内に戻ってきてね。一応、海を越えた島にあるダンジョンのドラゴンを倒せば首都にポータルが出現して、こっちへ自由に戻ってこられるようになると思う。多分……! だから頑張って! それじゃ、また来るね!』


『ちょっと、雪音さん、待って、待って――』

 しかし、返事はなかった。コネクションロストのようだ。

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