第六話 此処に在らず

第六話 此処に在らず

 

「いやぁ、それにしても、よくこんな辺鄙なところまで足を運んでくれたものだよ。……君の場合は、車いすか」

 カウンターの向こうでせわしなく動きながら、マリーが話しかけてきた。

「この辺ほとんど人がいないでしょう?車の通りも少ないし。だから本当、お客さんなんて久しぶり過ぎてね。私は嬉しいよ」

 そう言ってマリーは、バウムクーヘンを二つ、僕たちの前に置いた。

 抹茶ではなさそうな緑色のバウムクーヘンだった。

「あの……、マリーさん、私たちまだ頼んでないよ?」

 僕の左隣に座っている碧が、お盆を脇に抱えて上機嫌に鼻歌を口ずさんでカウンターに戻っていくマリーを呼び止める。

「サービスだよ、サービス。それをつまみながらゆっくりメニューを決めたらいいのさ。あ、今コーヒー出すからね。もちろんそれもサービスよ」

 キッチンに吸い込まれる体で顔だけこちら側に向けて、マリーは碧へ答えた。

 ……こんな調子でこの店は続けていけるのか、なんて疑問をバウムクーヘンと一緒に飲み込んで(バウムクーヘンの緑色の正体はヨモギだった)、僕は手書きの小さなメニュー表に手をかける前に、店の雰囲気を再確認するように店内の内装をゆっくりと見渡してみる。

 ふすまに貼ってあるような破れにくそうな和紙でできたランプシェードが、仄かな橙色を散光して、控えめなハロウィンのような空間を醸し出している。『おしゃれBGM』とか検索したら出てくる動画のサムネに使われそうな雰囲気だと感じた。明るいわけではないが決して暗いわけでもなく、読書や音楽鑑賞というよりは作文や演奏といったクリエイティブなことの方がより似合いそうな場所だった。

 カフェを探していた時の検索結果で表示された写真がやけにオシャレ感が強いなぁと感じていたけれど、それも頷けよう、一言で紹介するならズバリ、オシャレなカフェだった。


 ――店の広さのわりに、置き時計の数が異様に多いその不気味さに、目を瞑れば。


 一周ぐるりと見渡してみたけれど、置き時計がやたらと多い。

 そこまで広くない店内に、四つの違う種類の置き時計が鎮座していた。

 そしてそれらの時計は一つも被らず、違う時刻を示していた。

 長針と短針、秒針の三本の針が、高級アパレルブランドの値札みたいなフォントの数字をそれぞれ追いかけている。六の数字の少し上に、デジタルで日付と曜日も刻まれていたが、見比べてみると案の定、その日付も時計によってバラバラだった。

 インテリアとして飾ってあるのか。

 それとも別の意味があるのか。遺品とか、形見とか。

 なんて夢想を巡らせていると、コーヒーカップを温めていたマリーが僕の挙動に気づいたようで、申し訳なさそうな表情をして、

「あー……、ごめんね、そのテーブルヤシに一番近い時計が今の時間だよ。他の三つ、まだ修理に出してないのよ」

と、観葉植物のある方向を指さして言ってきた。

「なるほど……時計、集めてるんですか?」

「まっあ……そんなとこかな」

 曖昧な答えが返ってくる。

 確信があったわけじゃないけれど、なんとなくそれ以上の深追いはしない方がいいように感じて、僕はその話題を続けるのをやめた。


 次第にコーヒーの香りが漂い始め、カウンター裏から白い蒸気が顔を出し、小さめの黒いコーヒーカップが二つ、僕らの前に置かれたところで、僕と碧を交互に見ながら、マリーは口を開いた。

「さて、メニューはお決まりかな」

 僕はメニューに手をかけたまま、結局開いていないことに気づく。

「あ、すみません。もう少し待ってくださ――」

「私、アイスココアチャイとメープルわらび餅で!」

 ……碧の注文に遮られてしまった。

 ……アイスココアチャイ?

 ……メープルわらび餅?

 ……なんかすっごい個性的なメニューだな。メニューを開くのが少しワクワクしてきた。

 怖くもあるけど。

「オッケー。お嬢さん、いいセンスしてるね。その組み合わせが私的には一番オススメなんだけど、その二つを頼んだ人はうちの常連ただ一人だけなのさ」

 マリーはそう言って、注文を伝票に走り書きする。

「さて、少年、残す注文は君だけだ。女の子を待たせちゃいけないよ。急かしはしないが、パパっと決めちゃってくれ」

 ……これ、急かされているのでは。

 とりあえず僕は、小さなアルバム帳で作られた手書きのメニューを開く。



(甘味)

 ・琥珀糖のクッキー          三五〇円

 ・ヨモギのバウムクーヘン       四〇〇円

 ・自家製ヨーグルトの蜜飴掛け     三五〇円

 ・メープルわらび餅          四〇〇円

(ドリンク)

 ・深煎りコーヒー           三五〇円

 ・浅煎りコーヒー           三五〇円

 ・ココア               三〇〇円

 ・チャイ               三〇〇円

 ・ストレートティー          三〇〇円

 ・レモンティー            三〇〇円

 ・緑茶                三〇〇円

 ・ヨモギ茶              四〇〇円

 ・ミルク               三五〇円


  ※ホットorアイス

  ※複数ブレンド可能です。注文されたドリンクの合計金額÷二の料金を頂きます。




 最後の一文が、一回読んだだけじゃ頭に入らなかった。

 え……?ブレンド可能?

 ブレンド⁇


 僕はそこまでカフェの経験値が高いわけではないし、むしろ人より外出していない分、疎い方だと自覚しているが、それにしたって、いやそれにしなくたって、聞いたことも見たこともない文字列だった。

 革新的……なのか??

 大体、飲み物のブレンドなんて、青い春真っ只中のコミュ力の高い中学生とか高校生とか大学生が、ファミレスやカラオケのドリンクバーで悪ふざけしてやるもんでしょう。

 こんなお洒落な、ジャズに馴染むようなカフェで見れる光景でも、できる体験でもないはず……。

 ……もしかして、僕が世間知らずなだけで、巷では今こんなスタイルのカフェが流行っている?

 最近の変化としてエンタメ性を重視する傾向は確かに感じるけれども、それにしたってここまで――


「ねぇ澪君、まだ決まらないの?私、お腹空いてきちゃったんだけど」

 碧に怒られてしまった。

「あ、いや、その、なんかドリンクバーみたいだなって思って……。じゃあ、コーヒーとクッキーでお願いします」


 正直、メニューはなんでも良かったし、なんなら何もいらなかった。

 しかしまぁ、サービスを頂いといて、さらにいえば成り行きとは言え女性とお茶をさせて頂いているこの状況で、「何もいりません」と言えるような無礼さは、あいにく持ち合わせていない。

 どんな形であれ、僕は碧に屈してしまったんだな、なんてことを再認識した。

 だって今僕生きてるし、コミュニケーションとか食事とか、生きようとだってしているし……。


 ……というか、これから僕、どうなるんだろう。

 碧の余命を考えると、のんびりしていられない、というよりのんびりさせてくれない気がする。

 碧が残りの一年で何をしたいかにもよるけれど、僕から見て、彼女は言動が予想できない女の子だ。何をさせられるかわからない。

 まぁ、あくまで僕の予想だけど、これから始まるであろう、前途多難、波乱万丈、紆余曲折を経た振り回されまくる一年を思うと、頭も胃も痛くなる。

 それを思えば最初のイベントが、落ち着きのあるカフェでのコーヒータイムというのは、安堵できるものであり、また拍子抜けしたことでもあった。


 死ぬことを邪魔され、情緒をかき乱され、今日出会ったばかりなのに、既に僕のペースは碧に握られた。

 死ぬ理由は何だと聞かれればそれっぽいことをいくらでも答えられるが、今日というこの日にあの場所でどうして死のうとしたのかと聞かれると、答えは「なんとなく」としか言えない。

 突き詰めれば。

 掘り進めば。

 理由なんて、ないのだ。


 でも僕にとっては、それは生きることも同じことだった。

 どちらもその行動そのものに理由なんて持ち合わせていない。

 だったら死んでしまった方が、苦しまずに済むから。

 ただそれだけだった。


 しかし僕は、碧に与えられた。

 強引に、自分勝手に、押し付けられた。

 「夢咲碧の残された一年間の人生に参加する」という。

 「夢咲碧という主人公の人生に、一年間、『主な登場人物』として出演する」という理由を。


 もちろん、この店を出た後、目を盗んで再び自殺にトライしてもいいのだが、碧の目が黒い以上、僕の自殺は、多分、叶わない。

 線路から僕を突き飛ばした、あの常軌を逸した身体能力に、敵わない。

 不本意ではあるが、仕方ない。

 不満しかないが、逃げられそうにない。


 それに僕には――


 ――ほかに、居場所がない。


 死ぬことを許されず。

 帰る場所も無いのなら。

 一年間、奇想天外な少女に振り回されてもいい気がしてくる。

 気持ちの整理がつくほどに時間は経っていないけれど、そう思えてくるし、そう思い始めている自分に、驚いている。


 ……という心情整理に。

 どこまでも己の意志を貫けない、保ち続けられない、流され続ける芯の軟弱さに。

 一度は素直に「苦しみたくない」と吐露しといて、本音を自覚しといて、花を咲かせた「生きていたくない」という気持ちとの矛盾に耐え切れず、ひた隠そうとする己自身に。

 吐き気を催しては、自己嫌悪に陥る。


 これまで何百回と繰り返した流れ作業に浸る。


 あぁ、そうだ、こうやって生きたくなくなっていったんだ。


 僕なんか。

 僕なんて。

 僕だけが。

 僕よりも。

 僕だって。


 こんな感情も、時間が経ったら消えるのだろうか。


 視界がぼやけていることに気づいた途端、世界の解像度が戻って。

 目の前に、ぬるくなったコーヒーと、一枚の皿が置かれていることに気づいた。

 ……一枚の皿?


「澪君、また頭の中だけどっか行ってたでしょ。声かけても何にも返事がなかったから、目を開けて寝ちゃったのかと思ったよ」

 横から、碧が僕を覗き込むようにして言った。

 口にクッキーのかけらを付けて。

「……少年、私としては、淹れたての香り薫る熱いコーヒーを啜って欲しかったね」

 続けてマリーが、茶化すように笑った。

「す、すみません、マリーさん」

 僕はそう言って、ぬるくなったコーヒーを胃に流し込んだ。

 えぐみの中に、少し酸味を感じた。

「っあ……。コーヒー、ありがとうございます。もう一杯、淹れてくれませんか?」

 申し訳なくなってマリーさんに追加注文をする。

 そして碧の方を向きながら、付け加えた。

「……それと、クッキーも追加でお願いします。時間が経つと、消えるそうなので」

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