85話 それでも罪悪感は続き…②

『終わりにしたい?』



 突如、声が聞こえた。機械で低く加工されたような、ぐわんぐわんと歪むような音。


「ひっ……」

『そんな驚かないでよ。それとも本心を言い当てられたのが怖い?』


 知らないうちに携帯が着信をとっていた。こちらの声が聞こえているのか、向こうからクスクスとした笑い声が聞こえる。今すぐ録音しようと思ったけれど、録音するアプリが立ち上がらない、それに電話を切ろうとしても切れない。……知らないうちにとっていたのではなく、もしかして端末ごとハッキングされている?


『どうせ君のことだから、いなくなりたいとか考えてたんじゃないかなって思ったんだけど違うかな?』

「……」


 口ぶりからして、おれ達のことを”知っている”人間だ。だけど、どうして……例の新興宗教に自分たちが関係あったとして、それはもう10年も前のことだ。今のおれのことを詳しく知るはずがない。


「……は……なだ……」

『あはは、なんかアイカと色々探ってるみたいだったけれど、頑張ってそこまで辿り着いたんだぁ』

「……」


 アイカのことも知っている。それどころか、調べていたことまで知っている。おれたちが最近接触した人間?そんなの家族の中と警察の人くらいしかいないはずだ。それか、アイカの知り合いの人たち……。


「お前が……お前が母さんとヒマリを殺したのか……」

『殺したなんて、ひどい言い草だなぁ?』

「殺したんだろ!?言い草も何もあるか!」


 ただでさえこっちは気分が悪いというのに、煽るような言葉にはいくら何でも頭に血が上る。先ほどから苦しかった動悸が、バカみたいに大きく響いて血を送り出している感覚がする。怒りでどこか我を忘れそうになりながらも、冷静に肉体の血圧が異様に上がるさまを感じていた。


『違うんだよ、私たちは君たちを解放してあげたんだ』

「おかげさまでおれたちはずっとホテルに缶詰なんだけど?……何の目的だよ、ほんといい加減にっ」

『自分たちが何者かも知らされず、飼われている状態のほうが良かったとでも?』

「うるさいなっ!いくら何でも言っていいことと悪いことがあるだろっ……母さんをこれ以上」

『あの女が一番私たちのことを侮辱していただろう?』

「は……」

『赤の他人が、お前みたいな人間をなんの理由もなしに養育するわけないだろう?』

「……かあさんは、そんな、ひとじゃ……」

『自分がよく知っているくせに。死人を愚弄しているのはどっちだ』


 ━━そうだよ、母さんの本心なんてわかりっこないのはおれだってそうだ。

 なんなら自分という人間の面倒くささは、自分が一番よくわかっている。自分が他人に負荷をかけていることを知りながら、それを無視して振舞っている傲慢さも、いい子ぶっていれば受け入れてもらえるだろうという考えの甘さも、全部全部見透かされているとわかっていながら、それでも、そうでもしないと己に価値なんてないと一番よくわかっている。こんな甘ったれた自己像を保つために、いったい何人を犠牲にしてきた。母さんだって、むしろ彼女が一番の犠牲者だろうが。


『あの女は一体何のために母親ごっこをしていた?』

「うるさい!黙れ!」

『あの疑似家族は一体なんのためにあった?』

「知るかよ!ただの孤児だろ、ずっとおれはそう言ってきただろ!?」


 知らない、顔がよく似た小説家なんて知らないし、アイカのそっくりさんのことなんてどうでもいい。何も関係ない。なんで皆そう疑うんだ、余計なこと考えて、考え腐って、考えたつもりになってただの頭でっかちで、ただの偶然で終わらせてしまえばいいだろう。非現実的なことに拘って、嫌な思いをして、苦しくなってなにになる。


『そんなこと言って、本当は気になってるくせに』


 クスクスと、機械で加工された歪んだ笑いが蝕むように響く。うるさいな、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい。


『まあいいや……ふふ、次は誰だろうね?』

「お前っ……!」

『私たちという罪人が、普通に生活できるなんてそんなわけないって……そろそろわかるよね?』



 ぷつり、という音を立てて電話が切れる。……ハッキングされてるであろう端末なんて触れるのさえ怖くて、ひとまずカメラなどから色々と見られないようにトイレットペーパーでグルグル巻きにして放置した。

 ずっと食事をとってないから、上から出るものがないのはわかりきっているのに吐き気が止まらない。何を吐き出してしまいたいのか何もわからない。内臓なのか、感情なのか、ただただ喉を締め上げるような音と、大それた量じゃない空気が口の中から漏れ出した。喉の奥が塩辛いような、チリチリとした感覚と決して美味しいとは言えない味が広がる。


 とりあえず横になろうと部屋にもどるが、自分のベッドは占領状態になっている。


「……アイカ、もう大丈夫だから、布団返して」


 起こそうと肩を揺するが、彼も相当疲れているのか、抵抗するような寝息を上げるだけで、さっぱり目を開ける予感がしない。

 昔はこうやって毎朝隣に寝てるアイカを起こしてやってたっけ。あのころはまだお互い子供でかわいげがあったよな。今じゃ大人のなりそこないだ。おれみたいな欠陥を抱えてる人間と違ってお前はまだまともに生きられるんだから、もうちょっと素直に真面目になればいいのに。……そんなこと言ったら、また赤の他人のくせにと怒られてしまうか。

 弟だから、昔はかわいがっていたから、年下で一応家族だから。そう理由をつけてああだこうだと口うるさく言ってきた自覚はある。本当の家族でもないのにと詰られながら、それでも自分のようなどうしようもない人間にはなってほしくなかった。……疾うに諦めているのだ、自分のことなんて。何も考えずに、ただ日々を消化するような人生さえ送れれば、それでいいというのにそんな度胸もない、どうしようもない。

 揺すっても揺すっても起きてくれる様子がないので、自分が横になれるスペースができるくらいに彼の体を無理やり転がす。布団の中は緩く温かかった。彼の体も当然温かかった。

 昔みたいにアイカと接することができればいいのに、そんなことを考えていたけれどこんな形で戻るなんて思ってもいなかった。……今更、遅すぎたのかもしれないけれど、それでもとにかく隣にいてくれるだけで、小心者には随分とありがたかった。

 こっちに来たばっかりのころは本当に寝つきが悪くて、毎日毎日ぐずってはそれを宥めて一緒にこうやって布団に入って。子守歌なんか歌ってやってさ、母親ごっこみたいなことばかりして……親どころか一つしか変わらないのにね。そうして自分は随分と傲慢な子供だったなぁと思い出すのだ。嫌われても無理はない。じゃあ、おれはどうしたらよかった?


「このまま寝て起きたらさ、いつも通りに戻ってればいいのにね」


 そんな夢のようなこと、もう起きるはずがないというのに。

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