幕間. 数える化物
第12話 自然の墓場
アウル達が、宿屋に辿り着いたその頃――。
林の中は、静寂で包まれていた。
あらゆる生物の息吹は感じられず、あるのは息を吸わねば物も言わぬ、大鴉達の死体ばかり。もはや残骸と称した方が早いそれらによって大地は黒ずみ、その上にはやはり残骸と称した方が正しい、見るも無残な姿の木々が伏している。
アウル達がその場を去った時のままの、なんら変わりない残酷で無慈悲な光景。
死体と静寂だけが、どこまでも広がるそのなか――、最初に動き出したのは1本の大木だった。
それは、数少ないジュードによる一方的な暴力から奇跡的に逃れる事ができた大木だった。非常に太い幹を持っており、その太さたるや、それを目にするだけで、この木がどれだけの年月を生き抜いてきたのかがわかるほどだ。林のどの木々にも存在しない圧倒的存在感が放たれている。
事実、彼はこの林の中では、非常に長生きな方であった。
どれだけの時を生き抜いてきたのかは、大木自身は覚えていない。だが、彼が『意思』を持った頃には、まだこの辺りに彼のような木は存在していなかった。木どころか、草も生えていない、苔らしきものが少し、地面の上からから生える程度の、そんな林とも呼べぬ場所だった。
世界が混沌から生まれるように、林は苔から生まれる。
苔は非常に生命力が強い。たとえ太陽の直射日光にさらされ干からびる事になろうとも、そこにほんの少しの水分が与えられさえすれば、彼等は息を吹き返す。それは大地の温度が50度を超えるような場所であったとしても可能だという。
苔の生えた土地には、その後に続くようにして草木が生え始める。
だが、その大半は苔のような生命力がなく、直ぐに枯れ死んでしまう。枯れた植物は土に還り、肥やしとなる。土の中の様々な土壌微生物達が、枯れ死んだ彼等の体を分解し、栄養分に変化させるのである。
そうして、いくつもの植物の死が積み重なる事で良質な土が生まれ、それにより周囲の草木も次第に丈夫なものへ変化していく。それにより、林や森と呼ばれる、樹木の群生地が誕生するのだ。
つまり、言い換えれば林や森というのは、自然の墓場という事になる。
死が次の生を作り上げる。ある種の輪廻のような死生の繰り返しで、林や森は生まれるのである。
むろん、この大木もそんな輪廻の中の1本だ。
長い年月を生き抜いてきた彼は、それだけ多くの死を己の栄養に変え、育ってきた。
そんな彼の目の前に今、多くの『死』が転がっている。
大木には、それらが先程まで林の中で煩く囀っていた大鴉達である事が理解できていた。そしてそれが、1人の人間によって殺されたことも。
長い年月をこの混沌世界で生きてきた彼だが、そのような光景を見たのは初めてだった。あの惨劇の中で彼が生き残れたのは奇跡に等しいだろう。周囲の木々が倒れていく度に、次こそは自分の番かもしれないと、そう何度も恐怖で枝葉を震わせた。
だが、彼は生き延びた。
例えそれが奇跡だろうと、単なる運だろうと、結果生きているのであれば、それが全てである。
そして――、生き延びたからにはやらねばならない事が、彼にはあった。
ふいに、大木の周囲の土が盛り上がった。
かと思うと、ぼこりぼこりと音を立てながら、その中から何本もの根っこ達が姿を現し始める。彼の幹程ではないが、立派な太さを備えた長い根っこ達だ。勢いよく振り下ろされでもしたのならば、脅威的な攻撃力を持つ武器に早変わりするに違いない。
そんな見る者を恐怖させる根っこを使いながら、大木は己の周囲にある大鴉達の死体をかき集め始めた。散らばる残骸を、地表の砂や小石、枯れ葉等を巻き込みながら、己の根本へと集めていく。
そして集めたそれらを――、彼は土の中へと押し込み始めた。
さて、先も言った通り、林や森というものは自然の『死』で出来ている。
しかしそれは、あくまでも林や森が誕生するまでの経緯であり、その形態が成熟してからは少々事情が異なってくる。なぜなら、土が良質なものになればなる程、すぐに枯れ死ぬような軟弱な植物はいなくなり、得られる『
そうなると代わりの『死』が必要になる。
自然が生まれると、必然的にその周囲には、それを求めた虫や草食動物達が集まる。すると当然、その虫や草食動物達を餌にする別の動物が集まる。
そうやって集まった生き物達は皆、樹木より長く生きる事はない。彼等の命は、長くても数十年。数百年以上生きる可能性がある樹木達にとって、これ以上格好の栄養分はない。
こうした動物遺体が、肥やしとなった土壌の事を、植物科学の世界では『腐植土』という。腐を植えた土と書いて『腐植土』だ。これは、動物遺体が栄養と化す際に、土の中で一度分解、その後に腐植物質に変化させられるという経緯に由来される。腐植物質は、遺体が微生物的・化学的作用を受けた際に発生する物質を指すという。そしてこの物質こそが、大木達の栄養分にあたるのである。
要するに、遺体が腐る事で得られる物質が、その土をもとに生きる植物の栄養分になるのだ。
良質な土が、腐ったもので出来ているとは、なんと皮肉な事か。しかし、それもまた、生と死の輪廻といえるのかもしれない。
だが、そんな仕組みは、大木には全てどうだっていいことだ。自分が生きる土がどれだけ皮肉なもので出来ていようとも、自分が生きていく上で必要としている栄養がどんな経緯で作られていようと、彼にはそんなものはどうでもいい。
彼はただ、目の前の『死』が己の栄養になる事を知っているだけだ。
それは、生物が空腹という理由で何かを食べるのと同じだ。街中を歩く人々が、腹が減った事を理由にレストランや喫茶店に寄るのと大差無い。それがどんな経緯で出来た料理なのかなど、わざわざ食べる際に知ろうとする者は数少ない。
命ある者が、世界の全てだ。
死した者に、用はない。
ぐいっ、ぐいっ、と、大木は根を使って、大鴉達を己の根本に広がる土の上に押し付けた。本能的に土壌の中にあった方が、遺体は腐りが早いと知っているらしい。
だが、押し付けるだけでは当然、大鴉達は土中に収まらない。
しばらくして大木もそれに気付いたようだ。大鴉達の体から根を離すと、土中に彼等を収める方法を考えるように、その根をぐねぐねとうねらせ始めた。
――その時、だった。
……1……、……53……、……55……。
声が、どこからか聞こえてきた。
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