第百九十九夜『ヘロストラトスはかく語りき-Damnatio Memoriae-』

2022/12/14「台風」「洗濯機」「いてつく才能」ジャンルは「サイコミステリー」


「ダメだ、全く書けん」

 ある作家が机の前でボヤいていた。その作家は学生時代からノートやキーボードにかじりついてくらしており、筆の速さが自慢じまんだった。しかし、書けない。

 アイディアはある、やる気もある、仕事環境だって悪くない、体力作りは日課のランニングのおかげでたっぷりだ。しかし、書けないものは書けないのだ。

「またですか先生。何か、俺に協力出来る事は出来ますか?」

 作家の同居人が見かねてそう名乗り出る。しかし作家の男はうなるばかりで調子が輪をかけて調子が悪そうだ。

「先生、大丈夫ですか? 先生?」

「待て、今何か忘れちゃいけなかった事を思い出せそうなんだ……そうだ、思い出したぞ!」

 作家の男は重要な事を思い出したらしく、両手を挙げて喜びを表していた。

「おめでとうございます。……で、何を思い出したんですか?」

「それだ! その事なんだが、いや思い出すだけでもムカムカして来たぞ」

 今度は作家の男は苛立いらだちをあらわにし始めた。作家の男の百面相に、作家の同居人は呆れ顔になっていた。

「ムカムカして来たって、一体何なんですか? いや、腹が立つ事を忘れていて急に思い出してムカつく事は分かりますが……」

「その事なんだがね、君……あれ? ボクは一体何に腹を立てて居たのだったかな? 全然思い出せないぞ! 名前だけ思い出せないと思ったんだが、よくよく考えたら腹を立てるまでの過程も手から砂がこぼれ落ちる様に思い出せない!」

「先生、今度クリニックへ行きましょう。ね?」

「待て、待て待て待て待て、待て。今思い出すから、一分だ! 一分だけボクにくれ!」

 作家の男が何を忘れたか、何を思い返していたかの詳細は、今から一週間前の出来事までさかのぼる事になる。


 出田でるた東旭とうきょくと言う、感心できない生き方をしている少年が居た。

 出田は酷く頭の悪い子供で、善悪の区別がつかず、更にこう動けばこうなるだろうと言う思考力や想像力がいちじるしく欠如けつじょしていた。

 そんな出田には一つ楽しみがあった、執筆しっぴつである。

 繰り返すが出田は想像力が絶滅しており、思考力が稚拙ちせつと言う、致命的に執筆に適していない矮小わいしょうな子供であり、すなわち他人の心と言う物に総じて無関心であった。

 いわく、自分は何もしていないのに他人に引っぱたかれた! 自分は何も言っていないのに他人に理不尽に怒られた! 自分は何も悪くないのに他人に憎まれる!

 そんな彼が執筆をすると言う事は言うまでも無く不可能で、彼の言う執筆とはもっぱら盗作であった。

 しかし出田少年は、自分の事をかしこいと思い込んでいた。故に彼が盗作する先はネットワーク上のアマチュア作家であり、プロの作家から盗作する事は決してなかった。著作者人格権の著の字も知らない中学生のガキの浅知恵なんて、そんな物である。

 普通世の盗用だの剽窃ひょうせつだのと言うのは、知らず知らずに権利侵害をしてしまうか、バレない様に気を付けて行なう物である。しかしそこは出田少年、やる事が常人とは一味も二味も違う。

 まず出田少年はタイトルをほとんど全く同じであり、違うのは主人公の名前だけである。しかしそれだけではない、小説紹介文やあらすじも主人公の名前を除いて一言一句全く同じく書く! 無論、本文も主人公の名前を除いて全く同じコピーだ。しかもところどころ元の主人公の名前から書き忘れると言うファインプレーも忘れない。

 そんな事をしても意味など無いし、そんな愚行は勿論無価値であるのだが、出田少年はなんとこの自分でした物をネットワーク上の小説サイトに公表した。

 その事を知るや否や、出田少年のした文章は凍結処分された。しかしそこは出田少年、脳味噌の組成が常人とは一味も二味も違う。

「どうして新作がいつも凍結処分にされるんだろう? 原因となった理由には、全く心当たりが無いのに……」

 彼は盗作を盗作と思わぬ人間であった、罪の意識の無いピュアな人間なのである。親御さんが見たら、思わず涙する事確実であろう。

「他人の作品を盗むな、泥棒!」「他人が苦労して書いた物をパクって恥ずかしくないのか!」「何が『私の作品はすべてオリジナルです。』だ、腹を切ってびろ!」

 あれやこれや言われるが、罪の意識が無いのである。仮に出田少年が謝る事が有るとしたら、それは謝った方が得だと判断した時だけであろう。

「泥棒? 俺は何も盗んでないよ?」「苦労して書いたのは分かるけど、でもそれって無料で読める物でしょ? コピーして何が悪いの?」「俺だって工夫してるんだ、オリジナル作品だよ!」

 実を言うと、出田少年は頭が悪いだけの人間ではない。本当の事を言うと、自分が悪い事をしてしまったと言う認識は持っている。言い方を変えると、頭が悪い上に心も悪いのであった。だってしょうがないじゃないか、罪の意識はいつだって後から来る物なのだから。

 しかし出田少年はある種の啓蒙けいもうを得てしまっていた。彼が盗作した作品を、盗作された物だと知らない読者が感想でめたのだ。

 これはもう大事件である、有史初めてである。何せ出田少年は身内以外の人間から褒められたのは正真正銘生まれて初めてだったのだから! 出田少年はママとパパ以外の人間から褒められると言う、エデンのリンゴを口にしてしまったのである。

 もうこうなると止まらない。出田少年は他人から褒められたい為に、自分が気に入った作品ではなく、ある小説投稿サイトで人気トップクラスの作品を盗んでし始めた。無論その様な悪行は褒められる前にパッと見で分かる、悪事千里を走るである。この目に余る行為には、文章ではなくアカウントそのものが凍結されてしまった。

「アカウントの永久凍結だなんて酷い! 俺は才能が有るのに! 永久凍結されるなら死んでやる!」

 そう叫んでも誰の耳にも届かない。出田少年としては、必ず殺すと書いて必殺のカードを切った積もりなのだが、全くもってぬかに釘。平時なら周囲の大人は自分の自殺宣言を必死に止めるのに、どうして誰も何も言わないのだろう? と、そう首をかしげるばかりだ。

 もうこうなると、出田少年の身に余る承認欲求や名声欲は増々もって止まらない。頭も心も悪い癖に、名聞利養ばかりは一人前である。

 出田少年は自分の身勝手極まりない欲望を満たすべく、別の小説投稿サイトにアカウントを作り、そのサイトとは別のサイトで人気トップクラスの小説を盗んでし始めた。最早有名になれるならば、放火だってしそうな勢いだ。

 それが良くなかった。出田少年にも自分が守るべきルールや分別は、アリの脳味噌程はある。いや、エメラルドゴキブリバチに寄生されたチャバネゴキブリの脳味噌程度はあった。即ち、プロの作家の作品はコピーしない。である。

 しかし、小説投稿サイトと言うのは、野生のプロと称される人々が度々居るのである。彼は運が悪かったのか良かったのか、気延きのべ誉津ほむつと言うプロの作家から文章を盗んでしまったのだ。

 この段階ではまだ、出田少年は自分で自分に警鐘けいしょうを鳴らしていない。だってそうであろう、無料で誰でも読める文章をコピーして何が悪いのか? 例えそれがプロの作家が資料をあさり、寝る間を惜しみ、努力に努力を重ねて毎日書いて完成させた物だろうが、無料で公開されているのだ、俺は何も悪い事なんてしていない!

 彼にとって不運だったのは、気延の固定読者の中には気難しい人や小賢しい人、老婆心あふれる人に優しい人が相当数居た事だろう。人気プロ作家ともなれば、絶対数が増えるのだから必然だ。

 その日から、出田少年の各種端末が鳴りやまない日は無かった。著作権を理由に彼を犯罪者と呼んで責めるもの、自首をうながすもの、面白がって犯罪行為を助長しようと甘い言葉できつけるもの……その全てが、出田少年の主観では毒あるものだった。

「くそ……俺は、俺は何も悪い事なんて一つもしていないのに……」

 嘘だ。出田少年は自分が悪い事をしていると言う自覚が、すでにあった。せめてもの抵抗と、アカウントを自ら抹消してメールが届かない様にしたが、それでもチラリとでも自分の気配を気取られたら同じ目にうのではなかろうか? と、彼の心には大きなしこりが残った。最早彼に出来るのは、自室に閉じ籠って布団を被って台風が過ぎ去るのを待つだけだ。

「頼む、有名になんてならなくていい……だからみんな俺の事を忘れてくれ……」

 最後に一つ、出田少年には誤算があった。彼は自分を空前絶後の大嵐か台風の中心と思い込んでいたが、その実、彼の世間体は精々洗濯機に放り込まれてまれるくたびれた靴下と言ったところと言う所だ。

 出田少年の名前はすぐに忘れられた。彼の悪名を覚えているのは、彼を永久凍結する様に指名を受けたコンピューターと彼自身だけだった。


「先生、何をそんなに怒っていたのか思い出せましたか?」

 そう尋ねる作家の同居人に、作家の男は諦めた様に答える。

「ダメだ、思い出せん。まあ思い出せないって事は、大した事じゃなかった証明だろう」

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