第六十五夜『煙草と魔神-smoke and mirrors-』

2022/07/14「鳥」「歌い手」「消えた恩返し」ジャンルは指定なし


 芥川龍之介の言うところに因ると、煙草を日本に広めたのは悪魔であると言う。なるほど、ありえそうな話である。

 もう少し俯瞰ないし掘り下げを行なおう、日本ではなく世界各地に煙草を知らしめたのはかのクリストファー・コロンブスである。そしてクリストファーとはキリストを運ぶ人と言う意味となる、額面通りに理解すると全くの逆の意味であると言えよう。

 しかしコロンブスは存命の頃から、異民族を見るや奴隷にせずにはいられない悪辣な側面を持つ人物と評価されていた。しかしその一方で、信仰に生きる人間とも評され、日誌では常に神に感謝をしていた。名は体を表わす宣教の人と言ってもあながち遠くはないのである。

 では宣教とはそもそも何か? 辞書には宗教を教え広める事と書いてあるが、それは史実において半分は語弊である。多くの場合、宣教とは即ち文化的侵略である。

 こうしないと地獄に落ちる、教えを守らないと地獄に落ちる、この国に古くから居る神は偽りである、不幸になりたくなければ入信しろ。この様に謳う連中を信じる人など、どこにも居ない。そして恐ろしい事に、実際にその様な認識をしていた宣教師は居たと言われている。

 これらの宣教は全くの誤りである。そもそも聖書には、善人であれば異民族であろうが異教徒だろうが天国へ行ける旨が書いてある。そして聖書には、あなたの父母を敬えとも書いてあるのだ。これは即ち、宣教師によるキリスト教による文化的侵略は存在自体が構造矛盾と言える。何せ先祖の神を蔑ろにしろ、父母を蔑ろにする奴は破門だ! と、そう言っているのだから、世話がない。更に言えばソロモン王の時代には、無暗に余所の神々を拝んで結果として内乱を招いたと聖書にもある。手前の教典も読めない宣教師とは、大したお笑い草だ。無論その様な宣教師や宗教家ばかりではない、聖職者だって人間なのである。

 宗教を理由とする以外にも、国が外国を野蛮呼ばわりする事は往々にしてある事である。ではそもそも野蛮とは何か? 野蛮とは見れば分かる通り漢語であり、元々は漢字の読めない民族や国と言う意味である。この様な考え方は他の国にもあり、バーバリアンの語源であるバルバロイは意味の分からぬ言葉を話す人と言う意味のギリシャ語で、ギリシャ語やラテン語が話せない人を指していた。しかし現代国際法において野蛮とは、外国の文化を認めない性質を指す言葉と狭義されている。即ち、宗教の押し付けこそ究極の野蛮行為と言い換える事が可能なのである。

 繰り返す事になるが、イスラエルに余所の神々を招いて内乱を招いたのはソロモン王である。そしてそれらの神々は、キリスト教で悪魔とされる存在でもあったのだ。そして伝承によると、ソロモン王にとって魔神とされる連中は身近な存在であったと言う。

 これは私の私的な私見だが、煙草の悪魔と称される彼は、恐らく悪魔の振りをした外国の神とか魔神だったのではなかろうか? だってほら、神を自称する者と悪魔を自称する者だったら人間は悪魔の方に警戒を緩めるだろう。仮にそうだとしたら、煙草の神とやらは大変なやり手と言わざるを得ない。

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