10

 何が起こったのか確認したバノンが帰ってきて、四日後。

 赤鴉亭に、客がやってきた。


「バノン・ジスカール様はいらっしゃいますか」


 そんなふうにやけに丁寧に聞いてきた二人の少年。カウンターの下でバタバタしていたバノンは慌てて顔を上げ、カウンターの天板に頭をぶつけてしばしの間のたうち回った。


「……ってェー……っておや、お前さんがた、エリュんとこの」

「先日は兄の葬儀に参加していただき、ありがとうございました」


 エリュートには歳の離れた弟が二人いた。それが彼らだ。何か長い荷物を抱えて、二人で運んできたようである。


 バノンはメテオの落下位置から、一欠片の溶岩を持ち帰っていた。エリュートの遺体の代わりとしてだ。魔力を少し注いでやると、溶岩は黒い炎を上げた。

 それを、セルシウス家に預けたのだ。息子さんはたいへん立派でしたと告げると、エリュートの義母は涙を拭って気丈に礼を述べてみせた。彼女の背後で目を赤く腫らしていたのが実の弟たち。学府にいた頃からエリュートが弟たちを気にかけていたことをバノンは覚えており、初めて会ったにも関わらず「大きくなったものだ」という感慨を抱いたものだ。


「どうした、何かあったか? それともなんぞか依頼か? そうだ腹減ってないか、なんか食ってけ。ちょっとしたもんならすぐに出せる……」

「いえ、大丈夫です」

「今日は、バノン様にお届けしたいものがあって参上しました」


 そうして差し出すのは、例の長い荷物だ。袋から取り出し、包んである布を取り外す。


「おい、これ……エリュが使ってたやつじゃねえか」

「はい。兄の剣です」


 黒い鞘に収められた細剣。柄も黒く、ヒルトの部分に埋め込まれている魔晶石も黒い。


「昨日、兄の書いた手紙が届いたのです」

「もしもこの剣が壊されることなく残っていたなら、バノン様に渡してほしいと」


 彼がずっと愛用していた魔法専用の剣。詠唱速度を上げるためのものであり、ある程度は斬れるだろうが物理的な攻撃には全く向かない装飾剣だ。

 学府にいた頃、よく二人で「魔法でうまく倒せなかったらどうするか」という議論を交わした。バノンは「剣で殴れ」と言い、エリュートは「更に魔法を重ねろ」と言った。いつもの平行線だ。結果、卒業後にバノンは体を鍛え大剣を持つようになってしまった。魔法使いなんだか剣士なんだかよく分からない状態だ。エリュートはエリュートで、魔法剣といざというときのための短剣の二本使いになってしまい、統合できないか悩んだが求めるものがあまりに高望みすぎて叶わず、自分で自分の首を絞めることになった。

 その、魔法剣だ。


「実は……その剣、僕たちには抜けないのです」

「なんだいそりゃ」

「僕も弟も母上も試しました。魔導兵団の方にも試していただきました。でも、誰も抜くことができませんでした」

「きっとこれは、兄の望みなのだと思います。バノン様に使ってもらいたいという」


 そっと、割れ物を扱うように剣を手に取る。しばらくそのままで悩んだが、ちらりとエリュートの弟たちを見ると頷きが返ってきた。

 鞘を掴み、柄を掴み、上下へと力を込める。警戒していたよりも遥かに軽く、あっけなく、剣は鞘から抜けた。ただし。


「うぉあ!」


 刀身が見えた瞬間に、黒い炎が隙間から吹き出してきたのだ。


「うわあビックリした……エリュの野郎、驚かせやがってまったく」


 恐る恐る引き抜く。黒い炎をうっすらとまとったまま、銀色の細い刀身があらわになった。炎は次第に弱まり、何事もなかったかのように消える。


「っとによーもうあの野郎は」


 そして、当たり前のように柄の魔晶石を指先で三回小突いた。このような魔法専用の道具には大抵、術者がよく使う魔法陣や護符や術式などが書き込まれている。まずそれを確認するのは当然の行為であった。

 が。書き込みを展開した瞬間に、宿屋の食堂が黒い魔法陣で埋め尽くされてしまったのだ。それはもう細かい文字と線でびっしりと書かれた術式、術式、術式。


「あぁぁあの野郎ー! 全部書き込む馬鹿がいるか! 馬鹿野郎! 加減ってもんを知らねぇのか! 馬鹿野郎!」


 そこには初歩の初歩たる火球から果てはメテオまで書き込まれていたのだ。魔力を注げばそれらが発動するであろう。まあ、魔力が足りないので発動など不可能であるのだが。

 慌てて展開した術式をしまい、慌てて鞘に収める。エリュートの弟二人は腹を抱えて笑い転げていた。ちなみに、食堂の端でルービィは目を丸くしていたし客は度肝を抜かれていたし厨房の老コックは手の動きを止めていた。


「せめてだな、もっとこう一部を圧縮するとかなんとかできねぇのかお前は」


 つい、本人に向かうようにぼやいてしまう。すると剣は文句を言うかのようにガタガタとひとりでに震えたのだ。

 真顔で顔を見合わせるバノンと弟たち。バノンは溜息を、弟たちは苦笑を。


「……本当にいいのか、これ。あいつの形見だろう? 鞘から抜けなくとも、せめて側に置いておくとか、そういうのはその、いいのか」

「兄の願いですから。それに、ねえ」

「ねえ。使ってもらわないと、兄は怒ると思います」

「そうか」


 バノンが持つには華奢な剣だ。それでも腰のベルトにくくりつけ、軽く叩いた。背中を叩くように。


「じゃあ、こいつの世話、俺が見とくわ」


 残された家族にとって、エリュートはどんな人物像として映っていたのだろうか。

 バノンは彼の最期を、家族に詳しくは語らなかった。理解はしてほしくないという言葉を覚えていたからだ。この無垢な少年たちが兄と同じ道を辿らないとは言い切れない。下手をすれば、あの奥方でさえ。

 問われたのなら答えるつもりではあった。しかし、遺族は誰一人それを望まなかった。心のどこかで分かっていたのかもしれない。


 それでいい。お前の狂気はお前のものだ。


「よし、こっちまで来たんだからついでに何か食ってけ。な。おおーい、今日のスープはなんだったっけか? 牛のシチューか。お前らちゃんとメシ食ってるか? ひょろひょろした体だとデケェ魔法をガツッと撃てないぞ。肉食って肉つけろ、肉を。そんで威力の高い魔法をドカンと撃てるようになっとけ。な!」


 抗議するように、剣が大きく震えた。

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