船員と遠隔操縦

 戦前戦後の船舶に興味がある人は、昔と比べて一隻辺りの乗員数が減ったと感じる事はないだろうか?


 1960年まで大型船の乗員は特に多く、船長の指示を受けた機関員が出力を操作していたが、1961年に商船三井が主機遠隔操作機能付きの金華山丸を就航させた。


 登場した時の衝撃は大きく、処女航海でパナマ運河を通航した時艦橋からエンジンを操作する様子を見た水先案内人は本国に連絡。


 その一報は連邦政府を動かし、ニューヨークに寄港した際には新聞が『自動化船入港』と書き立てた上に国防長官と海事局長が揃って見学にやって来たという。


 そんな金華山丸の肝、遠隔操作機能の原型は米国のWABCOが1920年代後半に開発した鉄道用エアブレーキで、日本には53年に鉄道用に導入された。


 転用が考えられたのは船の自動化答申があった59年以降で、金華山丸完成は61年。


 30年代中盤には前倒し出来るだろう。


 自動化でどれぐらい人が減ったかというと、


 金華山丸が竣工する9日前に起工、翌年に竣工した日章丸(74,869トン)の乗員数が71名だったのに対し、65年竣工の山寿丸(71,072 トン)は37人に減った。


 トン数が増大した船は乗員も増えているが70人オーバーという事は無く、民間船の場合トン数辺りの乗員が55%に減っている。 


 現在の大型船の乗組員数は22〜24名。


 内機関員は7人。


 自動化前の50年代の乗組員数は50人、80年代半ばには半分。


 この頃は通信士が3人だった(現在は1人)


 主機遠隔操作導入前後で機関員の人数が1/4以下に減った事が分かる。


 38年当時海軍将校に任官した者は4400名、その内機関将校は1200人居たが遠隔操作を導入出来れば900人、20%以上減らせる。


 導入前の艦船もまだ現役かつ計算が面倒臭いので、20%減としても効果はある。


 31人計画のところ63〜65人となった伊200型は士官は寝床を確保出来るが、それ以外は2人で1つの寝床を使うのは変わらない。


 史実の反応を考えると外航船への導入は開戦後が無難。


 母数が減るので戦死者も減る。


 操作形式はコンソールなので出来ればコンピューターを開発した方が良い。


 コンピューターは無理でも、不況がなく情報収集能力があれば戦前に自動化は可能だっただけに実に残念である。


 参考サイト


金華山丸


 https://www.mol.co.jp/library/ship-heritage/index.html


 日本海事広報協会

 https://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/fune/fune_5.html


 wiki


 金華山丸(2代)、日章丸(2代)、山寿丸、コンソールモニター、空気ブレーキ、電磁直通ブレーキ





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