第2話 逃げた先
駆けて駆けて逃げて逃げて、男の群衆から離れてゆく。しかし、男どももまた諦めるつもりなど毛の先ほどにも現わさず。
――なんなんだよ、俺がなにしたっていうんだよ
恐らくは何もしていない、しかし殺されそう、事実のひとつがあるのなら逃げない理由などひとつたりとも見当たらない。
走り抜けた先に見えたそこには黒いローブを纏って愉快そうに嗤う女の姿があった。女は幹人の姿を見るや否や、口を開く。
「やあやあキミよ、お困りかな」
「はあ、はあ、た、たす」
息を切らして声が思うように出ない。
「ダメだね、しっかり言わなきゃ。こんなとこに来る人なんて死にたがりかよそ者か変わり者だけなのだから」
息を大きく吸って、どうにか意思を伝えようと、言葉を聞かせる。
「たすけて、迷い込んだよそ者さんです」
「分かった。あの人数じゃあ私も勝てないから……」
女は幹人の手を掴み、箒に跨り後ろに乗せた。
「逃げるんだ」
「逃げるのかよ」
飛び始めて、周りの景色はみるみるうちに蒼に染まっていった。
「さあさあどうかなキミよ、美女な魔女の腰を抱く特権を得られた感想は」
「うん、状況掴めない」
「美人の腰を掴んでいる」
「そういうことじゃないよ」
魔女は豪快に笑いながら家へと向かっていった。
☆
森の中、深い緑が広がるそこに建つ丸太を重ねたような頼りない家の前で魔女は赤い果物を手に取ってかじる。
「うん、あんまり美味しくもないけど、よければどうぞ」
魔女は赤い果実をもぎ取って幹人に手渡す。それを眺めた幹人はひと言放つ。
「りんごがマズい世界ってなんだろう」
かじりついてすべてを知った。みずみずしさはほとんどなく、砂のような食感に甘さは控えめながらもしっかりとついた酸味が舌にまとわりつく。感想はひと言で充分だった。
「マズい」
なんなんだよこの世界、喉元まで来ていたその言葉を抑え込む。魔女はただただ満足気に笑って言う。
「いい反応。そうさ、ここらの食べ物は全てとても食べられたものじゃあない。私が実験で使った薬をうっかり流してしまったからね」
――あなたが元凶ですかい
幹人は魔女に訊ねる。
「名前はなんていうのですか、俺は朱雀 幹人」
魔女は腹を抑えながら苦しそうに笑っていた。
「スザク、いい家庭だったんだろなあ。ああなんて世間知らず。苗字持ちの坊ちゃまだって自分から言うかねえ」
あまりにも見下したように見える態度と声色に腹を立てながらも冷静に要望を伝える。
「幹人って呼んでくれ」
「ミキヒト、確かに服とか綺麗すぎるしいいとこの坊ちゃんだろうけど、絶対隠したがいいね、それ」
「どうしてなの」
魔女は笑い転げた。
「世間知らずめえ、いいねキミよミキヒトよ。街に行ってたかられて来い」
その言葉で理解に至った。つまり、金持ちで一人きりであれば街の貧しい人々が押し寄せて懇願してくるのだろう。
「さて、そんな綺麗な服だと街に出た時よく目立つ。私の服でも貸したげよう。因みに私の名はリリ、森に魔法遊びのための別荘を持つリッチでもなんでもないウィッチさ」
名乗りながら幹人の頭を激しく撫でつける。くしゃくしゃの頭になったところで満足そうに微笑んだ。黒くて癖のある前髪がうねる魔女は切れ長の細目をさらに細めて幹人の服に手をかける。
「ちょっ、待って自分で着替えるから」
「そう、つまんないね、せっかく美人さんがお着換えのお手伝いさせてあげようとしてるのに」
幹人はリリの細い指に触れて顔を赤くした。日本のクラスメイトの女子たちほどではないが微かに柔らかで美しい指は幹人の心を揺する。綺麗な顔は幹人をまっすぐ見つめていて、向き合うだけで恥ずかしさと嬉しさの熱が同時に湧いてくる。
「私のおさがりだけど許して、まあキミからしたらば嬉しいのかな」
「待った、俺に女物着せるの」
リリは満足気に頷き、イヤらしい感情の滲み出た貌を見せた。
「ご名答。丈は……安心して、私の背は高いし合わなきゃ裁縫できるし」
「そういうことじゃないって」
「男の子に女物着せる貧乏姉ちゃんに見えるから都合がいいのさ」
リリの言葉を聞いてようやく大人しく着替え始めた。
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