62.治癒魔法は兄の唯一の抵抗〜ミハイルside

「何故、笑う」


 麻痺したような感覚でただ妹を見下ろす俺に、ここ数年で初めて感情を感じる笑みを向けられ、その上、可愛いなどと言われて困惑しないはずがない。


 といってもその笑みは明らかに痛みを我慢してのものだ。

余程頬が痛むのかと、それだけの力で叩いてしまったのかと思うと何も考えられなくなる。

結局、妹が起こすよう言ってくれるまで動けなかった。


 だから手の部分まで赤く腫れてきた腕を見て、やっと骨折に気づいた。


「すまない!

すまない、ラビアンジェ!」


 訓練や戦闘以外で他者を叩いた事もなく、その上女性に手をあげたのも初めてだ。

女性とは男と比べてこんなにも脆いものだったのかと愕然としながら思わず抱き上げ、適当な場所に座らせて治癒魔法を施そうと室内見回して再び固まった。


 滅多に見る事もない、恐らく中流階級以下の平民の家のような粗末な家具しかない。

ソファどころか、休ませるのに適した座面の柔らかな椅子も見当たらなかった。

あるのは奥に見える寝室らしき場所に置かれた粗末なベッドくらいだ。


 断りを入れて立ち入り、座らせてすぐに治癒魔法を施していく。

時々小さく呻く妹に痛みを与えるのを謝りながら整復しつつ、折れた骨を魔法で癒していく。


 治癒魔法を使えて良かったと思ったのは、あの時ぶりだ。


 祖父母達が領地へ移り住んでしばらくした頃から始まった母の妹への暴力。


 初めは痕が残らない程度のものが、数年後には明らかに意図した傷をつけられるようになった。

邸にはいつの頃からか、口止め料も含めた給金を受け取る専用の治癒師が常駐するようにはなったが、そのせいで暴力や陰湿さは更に増していった。


 母からは口外すれば妹をもっと傷つけると脅され、幼かった俺は誰にも相談できず悶々としていた。


 そんな時に魔法の訓練が始まった。


 本来なら攻撃魔法から習い始める。

1番楽に行使できるのが魔力コントロールの容易い攻撃魔法だからだ。


 しかし妹に命の危機を感じていた俺は、父に縋りついて治癒魔法から習い始めた。


 繊細な魔力コントロールが必要だった為に、寝る間も惜しんで訓練した。

兄として妹の為に母へと抵抗できる唯一の方法だった。


 何より、幼い妹が傷つけられるのを黙って見ているしかない卑怯な兄のせめてもの贖罪のつもりでいた。


 必死だったからか、適性があったからか、そのどちらもだったのか。

治癒魔法は思った以上に上達していった。


 今では卒業後に王宮も含めた各所から、治癒師として働かないかと声がかかるくらいの腕にはなった。


 お陰で妹が王子と婚約したあの日、死なせずにすんだ。

常駐していた治癒師は母にたてつき、数ヶ月前に解雇されていたから危なかった。


 たてついた理由は、徐々に増す妹への暴力に見かねて止めに入ったせいだ。


 金に目が眩んだ治癒師だったが、少なからず良心はあったらしい。

もしくは仮にも四公の公女を死なせてしまう可能性に恐怖し、保身に走ったかのどちらかだろう。


 あの時、腹から大量に血を流す物言わぬ妹を見て怖くなった。

そこまでの傷を治した事も当時は無かった。

本当に治せるのかと不安に襲われながら魔法を施したあの恐怖は、今も忘れられない。


「頬は痛むか?

すまなかった」


 腕を治癒させ、最後に頬にも治癒魔法をかければ、妹もほっとした顔になった。


 その顔に荒ぶった気持ちは鳴りを潜め、ただただ申し訳なさがこみ上げる。


 俺の中の尖った感情が無くなったからだろうか。


 妹といつぶりなのかわからない会話らしい会話ができた。

淑女の微笑みではなく、素の微笑みを向けられ、純粋に嬉しいと感じた。

ずっと望んでいた笑みだった。


 だから望み過ぎたんだろう。


「俺は本来のお前と話したい」


 なかなか本心を話さない妹に焦れ、今なら周囲の嘲り上等で逃げ回る理由が何なのか話してもらえるかもしれないと思ってしまった。


「まあ、それは難しいわ?」

「何故?」

「既に私とこの家との関係は崩れているもの」


 身勝手だとわかっていても、心は沈んでいった。

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