第8話  18歳 決戦のダンスパーティ


 ついに運命のダンスパーティ。

 年に一度、この日だけ学生たちの為にオーギュスト宮が開放される。大人たちも参加するがあくまで保護者として。主役は学生。

 ここは本来各国訪問団の歓迎パーティなどにも使われる国随一の豪華な宮殿だ。

 廊下に飾られる絵画彫琢品すべてが超一流。

 ダンスパーティ会場もきらびやか。

 生徒たちは人生において滅多に入ることの出来ないこの宮殿に興味津々だった。

 遅れて宮殿入りしたニナはひっそりとした廊下をゆっくり歩く。

 すれちがう警備兵たちが彼女に敬礼する。

 ニナはそれに笑顔で応じた。



 万感の思いだった。

 今日、一つの結末を迎える。

 ニナから婚約破棄を告げるつもりはない。

 ただ笑顔で去るのみ。

 きっとアレクサンダーはそれだけで――。

 ニナはその後の展開を夢想して微笑みを見せた。




 本当に考査直後からの日々は今までの人生で一番大変だった。

 食を絶つのがこんなに苦しいとは知らなかった。

 紅茶も遠ざけ、水だけで過ごした。

 周囲は随分と気をもんだが、侍女たちだけにはを話して味方につけておいたので何とか誤魔化しきることができた。

 最終登校日をきちんとクリアしてからも大変だった。

 ようやく体調戻すことにしたのだが、今度は身体が食を受け付けない。

 食べたいのに食べられない苦しみ。

 もう二度とするものかと誓った。




 その間、あらゆる人物の訪問も拒絶した。

 たった一人、リリアだけは屋敷のカギを渡してあるので裏口から堂々入ってきた。

 彼女とは綿密な打ち合わせが必要だったからだ。


『――ケネスは大丈夫かしら?』

 

 ニナが一番気にしていたのがそこだった。

 彼は侯爵家を訪ねるニナにも優しかった。

 父の代からクライツ家に仕えてきた彼は、身のこなしもなので、もしかしたら代々として近くにいるのだろうと勝手に彼女は想像していた。

 貴族らしからぬ純朴さを持つ彼をターゲットにするのは最後まで迷った。

 それでも成功率重視のため心を殺したのだが。

 しかしハニートラップを仕掛けた当のリリアは割と平気な顔をしているのだ。

 

『彼はきっと大丈夫です。分かってくれます。それに私が彼を愛しているのは事実ですから』


 いつもそればかりを繰り返してきた。

 計画実行中も、最終登校日が過ぎてからも。

 リリア――本名はリリアですらないのだが、彼女はいつしか本気でケネスに恋するようになっていた。

 だからこそ、ニナは更に気に病むことになるのだが。


『最悪ネリー様に泣きつきます。あの御方でしたらしてくださいますよ』


 その言い様にニナは思わず噴き出すのだった。



 ニナの作り出した舞台は無事成功した。

 悪女の烙印らくいんを押されたリリアは商会に籠っている……と見せかけて、商会の部下たちと堂々辺境伯邸に通い続けた。


『ここまで来たんですから、絶対に最高の舞台にしましょうね!』

 

 そう拳を力強く握りしめながら、事情知ったる侍女たちと一緒になってニナを飾り立てるのに参加していた。

 ニナは苦笑いのままされるに任せて――。

 すべては決戦のダンスパーティに向けて。



 結局アレクサンダーは弁解の為に姿を見せることはなかった。

 全てがニナの罠だと気づいたのだろう。

 彼に残された道は二つだ。

 潔く負けを認めるか。

 それとも無様に足掻いて醜態を晒すか。

 ニナの罠を回避出来なかったのは彼の落ち度。

 少々がっかりしたが、それでも勝ちは勝ち。

 それなりに楽しい人生を送れるならば、それはそれで良いとニナは思うことにした。



 エスコート役としてアレクサンダーから誘いの手紙があったが、一人で行くとの返事をしておいた。

 最高の姿を見せるのは会場で。そう決めていた。

 ニナは満を持して悠々とダンスホールに一歩踏み込んだ。

 オーギュスト宮が誇る最もきらびやかな場所。

 国宝級のシャンデリアが天井から皆を見下ろす。

 二階の貴賓席には王族が入ることもあるが、今日ははたして――。

 

(もしかするとお義母様は見ておられるかも?)


 ニナはそっとそちらを見上げたが、確認は出来ない。

 それでも一応淑女の嗜みとしてそちらに向かって一礼しておく。

 そしてフロアにいる大人たち――保護者として参加の皆に向けても礼を繰り返す。

 あくまで学生たちが主役のダンスパーティだから彼らの出番はないが、今日のニナは騒ぎを起こす身。

 彼らをの耳にも今回のアレクサンダーとニナとリリアを巡って起きた諍いは入っているはずだし、きっとそれを現地で見るという楽しみも含めて参加したのだろう。

 そんな彼らを味方に付けるのもニナの大事な仕事。

 そう割り切り笑顔で礼を尽くす彼女に全員の視線が向いていた。

 そして、あちこちで感嘆の息が漏れる。


(……これに関してはリリアにみんなに感謝ね)


 ニナは勝利を確信し、薄く笑みを浮かべた。


(さぁ、仕上げと参りましょう!)





 彼女は誰よりも早くアレクサンダーを見つけるという特技を持っている。

 今夜も当然のように彼を一発で見つけた。

 死刑宣告すべく、そちらにゆっくりと歩みを進める。

 ある程度まで体調と体重を戻し、この上なく美しく着飾ったニナはこの場の誰よりも注目を浴びていた。

 そして彼女を迎え入れるべく友達の輪から離れ、歩み寄るアレクサンダーにも同時に注目する。

 ついに二人の邂逅のとき。

 どうなるのかと周囲はハラハラとしていた。

 やがて彼らは互いの声が届く距離まで近づいた。

 皆が心配するように、ニナは人前でアレクサンダーを非難するつもりなど毛頭なかった。

 この数日練習に練習を重ねたはかなげな笑顔でそっと手を差し出すだけ。


「……どうか私にの思い出をくださいまし」


 皆が静まる中、そんな凛とした声が響いた。

 涙すら見せず毅然と、だけど寂し気な微笑みで別離を受け入れようとするその姿が全ての者を観客にする。

 数々の王家の血を宿す至高の令嬢ニナと、そんな彼女を最も美しく魅せる舞台として選ばれた王国が誇るオーギュスト宮ダンスフロアの組み合わせ。

 数十年は語り継がれること間違いなかった。

 



 この作戦を実行するにあたり、徹底してきたことがある。

 絶対にアレクサンダーを詰ったりしないこと。

 視線で殴り合うことはあっても、口では愛しい婚約者を想う健気なニナを演じ続けた。

 難癖をつけるのは『実体のない』少女リリアにだけ。

 今夜の最終局面でも同じ。

 あえて多くを語らず、ただ美しく身を引く。

 婚約続行は厳しい、破棄やむなしと周囲に認めさせる思わせることだけを狙う。

 ニナに過失無し。

 当然アレクサンダーにも過失と呼べるほどの過失は無し。

 現実にリリアとの間には何もないからだ。

 ニナが勘違いしただけだとだろう。

 それでも、どちらかに天秤を傾けなければいけないならば……。

 体調を戻し綺麗に着飾ったとしても、いまだ不健康な青白い肌は化粧でも隠しきれない。

 そういったことに疎い男性ですら気付くほどに憐れな姿。

 その神々しくも痛々しい姿を、今まさに皆が美しい舞台とともに目に焼き付けている。




 差し出された手を受け取るアレクサンダーの顔はニナだけに気付く程度に緊張を纏っていた。

 

(仕方ないわよね? このダンスが終われば負けが決定するのだもの)


 ニナは彼の表情や力の入った肩から心の動きを読み、えつに浸る。

 誰もが最後のダンスを願う彼女に同情を寄せる。

 そして誤解ではありながらも不安を募らせる婚約者に寄り添うことなく、弁解の義務も果たさず、このような状況になるまで放置し続けたアレクサンダーに不快感を示す。

 ニナは学生時代の三年間、完璧な令嬢を成し遂げた。

 成績、生活態度、周囲や社会に対する目配り。

 そんな彼女に心酔する者は多数。

 だけどリリアがケネスと交際を始め、アレクサンダーの近くにいるようになった僅か数カ月で見るも無残に転がり落ち、精神まで病んでしまった。

 その落差が落差だけに、皆の心に突き刺さる。

 周囲はそれだけ本来のニナは脆い存在だったのだと思うことになった。

 今まで完璧だったのは婚約者アレクサンダーに相応しくあろうと頑張ってきただけなのだと。

 遥か高みにいたニナという完璧令嬢は、実はこんなにも弱い、自分たちとそこまで変わらない令嬢だったのだと。 


『アレクサンダーは純情一途な婚約者ニナを潰してしまった』


 それがこの場での真実。

 ……ニナが時間をかけて作り上げた真実。




「――えぇ、ニナ。……最後かどうかは別にして、喜んでお供しますよ」


 アレクサンダーは周囲の目などないような晴れやかな笑顔を作ると、愛おしそうに手を取った。

 それに合わせたかのように音楽が鳴り始める。

 二人は寄り添い、流れるように一歩滑り出した。

 周囲の者も慌てて踊り出すのだが、気もそぞろ。


(……どれだけ周囲に緊張を強いていたのだか)


 ニナは思わず笑ってしまう。

 アレクサンダーも同じように笑った。

 こういったところは本当に同じ。

 思いもしない出来事に出くわして一緒に声を上げて笑った。

 悲しい事件を知って、二人していきどおった。

 美しい風景で心を激しく揺さぶられ、二人して放心した。

 そんな十年の歳月でもあった。  

  

(そしてこれからもずっとそんな日々が続きますように――)


 ……これが嘘偽らざるニナの本音。




 ニナは混じりっ気のない笑顔でアレクサンダーを見つめた。

 彼は一瞬目を見張ったが、やはりとろけるような笑顔で返す。

 周囲は険悪なはずの二人に釘付けになっていた。


(こんな風に結構な数のダンスを踊ってきたのに……)


 二人のダンスは戦いの連続だった。

 幼少期のニナの蹴りに始まり、ある程度成長してからは、リードでマウントの取り合い。

 学生になってからはお互いの動向を探るため。

 それでもニナはアレクサンダーとのダンスを――。

 

(……楽しいね?)


 ニナは思わず彼を見つめ、そうしまう。


(……うん、……楽しいね)


 一瞬驚いた彼だったが、控えめにそう返してきた。




 音楽が佳境に入り、アレクサンダーが積極的にリードを取り始めた。

 ということもあるので、せっかくだからニナはその流れにゆだねることにする。

 彼のリードは彼の生来の繊細な性格と、ニナを含めたアルヴィナの皆と触れ合うことで身に付いた大胆さを併せ持っていた。

 ニナにとっては、これ以上ない心地良さ。

 身も心も全てアレクサンダーに預け切って、ただ無心で見つめ合いステップを踏む。

 周囲に目があることなどすっかり忘れ、彼女はただ二人で踊ることだけを全力で楽しんだ。

 ……この時間が永遠に続けばいいのにと思いながら。


 

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