第2話  12歳 必殺のローキック



「……痛ってぇ」


 屋敷の自室に戻ったアレクサンダーは、ズボンをたくし上げてふうふうと息を吹きかけ、青あざだらけのすねをさする。

 それにしても今日のパーティは強烈だった。

  議会の秋は社交シーズンの秋でもある。

 この時期貴族たちは王都に集まる。

 旗色はたいろを明確にすべく、あちこちで開かれるパーティの数々。

 まだ年少のアレクサンダーは晩餐会や派閥のパーティに呼ばれることはないが、日中の軽い昼食会や貴族夫人中心のガーデンパーティなどには親同伴での誘いが来る。

 ニナも同様。

 今までアルヴィナ家は軽々しく領地を離れられないという名分を利用し、社交界など無視し続けてきた。

 しかしクライツ侯爵家と縁を持つことになったニナにそれは通用しない。

 王都に出向かない父ローランドの代わりにアルヴィナ一門貴族の誰かが付いていたり、アレクサンダーの両親が親代わりとなったり。

 アレクサンダーとニナは今日も今日とて揃って出席していた。 



 余興として、婚約者のいる子供たちはダンスの披露を求められることもある。

 大人たちはそれを飲み物片手に笑顔でやんやと見守るのだ。

 あの二人は将来そういう関係になるのだとの周知徹底の意味もある。 


「――だから、なぜアイツは暴力という手段に打って出るのか!」


『名誉の負傷』。

 いつの間にかそんな微笑ましい話となっていた。

 可哀想に社交慣れしていないニナが緊張してステップを間違ってしまい、思わず蹴ってしまっただけだ、と。

  

『可愛いじゃないか、男なら許してやれ』

『それが惚れた男の正しい振る舞いだぞ』


 したり顔で口々にそんなことを言って囃し立てる大人たち。

 実際ニナはダンスが終わると何とも言えない悲壮感漂う顔を作って謝罪してくる。

 こうなればアレクサンダーも『ゼンゼン痛くないよ、大丈夫だから』と優しく慰めてやることしか出来ない。

 そしてそんな初々しいやり取りをする二人を皆が笑顔でからかう。


(……アイツが緊張だって?)


 それこそ笑い話だ。

 毎度毎度、足元が見えないテーブルクロスの下から脛を蹴ってくるニナ。

 あざの位置が複数になれば何度も蹴っていると知られるから、同じ場所を執拗しつように狙う。

 アレクサンダーもやられっぱなしでいられない。

 周囲に気付かれないようステップを巧妙に入れ替えるという技術を身に着けた。

 だけどニナ特有の野生の勘なのか、事も無げにそれに合わせて蹴りが飛んでくる。

 クロスの下で足の位置をこっそり変えたとしても、ニナの右つま先には第三の目でもついているのか、正確に彼の脛を追尾してくる。

 虫も殺さぬ笑顔を張り付けつつも、痛みでじわじわと確実に対象を追い詰めるその冷徹さは正しく拷問の基礎を辿る。

 


 たかが十二歳の令嬢の蹴りと思うなかれ。

 ニナはその蹴りを婚約決定以降、庭の大木たいぼく相手に磨き続けてきたという。それを堂々と誇られたアレクサンダーの心境たるや。

 

『さしずめ≪必殺のローキック≫といった感じでしょうか? ……お替りはいかがなされます?」


 紅茶でもあるまいに。 


「誰がするかよ……」


 アレクサンダーは力無く吐き捨てる。

 ちなみにニナの長兄は実戦形式の戦闘訓練中、蹴りで相手の木剣を折ったことがあるらしい。

 ニナの蹴りはその兄直伝じきでん

 護身術として教えて貰ったのだという。

 

(……まったく、余計なことを!)


 アレクサンダーの足の骨が折れるのが先か、心が折れるのが先か。

 ……はたまた両方同時か。




「――母上の令嬢教育とやらは何の役にも立っていないじゃないか!」


 アレクサンダーの母ネリーはニナを溺愛していた。

 もちろん全力で可愛がるだけではない。

 自分の持つ令嬢、侯爵夫人として持っておくべき知識をすべて渡すと高らかに宣言し、王都にいる期間は相当熱心に指導してきた。

 毎年冬にニナがクライツ侯爵領に遊びに来る時にもみっちりと。

 ニナはどれだけ厳しいことを言われても挑むような視線を返し、泣き言一つ言わず食らいついているらしい。

 そこがまた母のツボにハマるという。



 辺境伯家としても望むところだったらしい。

 ニナを身体的に傷つけるのは不可能に近い。

 この年齢にして精強で知られるアルヴィナ軍の訓練についていく彼女は、下手な賊よりも強い。

 そしてこれからもさらに強くなるのは目に見えている。

 アレクサンダーもこちらの分野で彼女の上を行くことは早々に諦めた。

 さらに令嬢の嗜み(?)として近くに武装侍女も数名配置している。

 まさに鉄壁の布陣。

 だが貴族社会的にはどうか。


(……でも一応貴族令嬢な訳だし?)


 しかも王国内のどの貴族よりも価値の高い血が流れているという。

 それを意識しながら如何いかに立ち回るか。

 そのすべを授けるはずだったニナの母ラウラは故人。

 クライツ家に輿入こしいれする以上、『女性社交界での強さ』は必要不可欠。

 普通でない血を持つニナにそれを伝えるのに、生半可な人材では参考にすらならない。

 そんな彼女を正しく導ける存在はと探せば、王妹であり生粋の王国貴婦人と名高いネリーその人ぐらい。

 つまりきちんと収まるべきところに収まったという訳だ。

 

 

 実際母と過ごす時間が増えてニナはみるみる美しくなったと、アレクサンダーとしても認めてやらんでもない。


(……元々ではあったといえば、そう言えなくもないけれど)


 所作しょさが洗練されてからは、凛としたその風貌が冴えに冴え、キレにキレる。

 どこのパーティに出席しても、ニナはあらゆる令嬢を差し置いて注目を浴びていた。

 婚約者アレクサンダーという抑止力が無ければ、面倒な揉め事もあり得るほどに。

 毎度毎度完璧な猫かぶり。


「……みんな騙されているぞ。……中身は凶暴なサルだからな」


 その上、時折気を抜いたときに見せる(おそらく計算外の)無自覚な笑顔。

 これが問題だった。

 婚約破棄を考えているアレクサンダーですら激しく揺らぐほどの破壊力。

 これには母だけでなく、父や親族そして使用人たちも全員漏れなくている。

 

(……あれは流石にだって)


 もし足を蹴られた程度のことで婚約破棄を言い出そうものなら――。

 



 笑顔はともかく、自分に有利な環境作りに関してはニナが意識的にそのように持っていったと確信していた。

 彼女は侯爵邸を訪れると両親や親族のみならず、屋敷内で働く門下貴族や使用人たちとも積極的に会話をして取り込みにかかっていた。

 彼らもゆくゆくは身内、それも未来の侯爵夫人となるニナが自分たちを気にかけてくれることが嬉しい。だから全力で可愛がる。

 早くも成果が出始めていた。

  

「……なかなか」


 かのアルヴィナ家の娘が蹴ることしか能のない『バカサル女』であるはずがなかった。

 そもそも知性においても彼と張り合う程。

 現状、本当の意味で話の合う同世代の人間はニナだけだった。

 破棄するにしても露骨に嫌えば向こうに攻撃材料を与えるだけ。

 お互いそれを知っているから、『僕は(私は)相手のことが大好きですよ』と周囲にアピールし続けてきた。

 二人っきりになれば容赦なく毒を吐きまくるが、屋敷内を除けば基本的に未成年の二人には護衛を含め誰かしら大人が側にいる状況。

 だから彼らは衆人環視の中、微笑みながら視線で激しく殴り合う。

 こっそり足元で攻防しながら、仲良く国の産業や未来を語り合う……ように見せかけて知識マウントを取り合う。 

 ただマウント争いに関しては、アレクサンダーにとって一番の娯楽となっていた。

 次こそは完璧にねじ伏せてやろうと勉強にも熱が入る。

 それは負けっぱなしのニナにしても同じだったのだろう。

 相手を叩きのめす手段としてという不純な動機ではあるが、知識の吸収を加速させた二人。

 周りの大人たちはそんな急成長する彼らを眩しい目で見つめていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る