エピローグ

失くしたふたりに、最後に残ったモノ

「――おーい、ワルド!

 そろそろ引き上げにしねえか?」


 今日も畑を広げようと、土を掘り返していた俺に、あぜ道から声をかけてくる男は、隣の家で暮らす農夫のダンで。


 彼はなにも知らなかった俺に、畑の作り方から、作物の育て方まで丁寧に教えてくれた恩人だ。


「……もうそんな時間だったのか……」


 俺は首に巻いた手拭いで額の汗を拭い、ダンに手を振る。


 すっかり空は茜色で、白の月が浮かび始めていた。


「ああ、今、行くよ!」


 スコップとクワを担いで、ダンの元へ。


 あぜ道を歩きながらダンが語るのは、王都の新城がもうじき完成するという話だ。


 ……あれからもう一年。


 シルトヴェール王国はブラドフォード王国と名を改め、新女王の元に進み始めていた。


 国内は、果ての魔女が用意した転移網で結ばれ、人も物も安全に行き来できるようになっている。


 王都まで馬で半日かかるこの開拓村でさえ、徒歩一時間の距離にある隣町まで出れば、瞬く間に王都を訪れられる。


 先日もダンの妻が王都に出かけ、この春に撒く作物の種を仕入れてきてくれたばかりだ。


 女がひとりで村の外に出るなど、シルトヴェール王国だった頃には考えられない事だ。


 アンジェラの治世は順調という事なのだろう。


 やがてあぜ道の先に村が見えてきて、俺はしみじみと思う。


 ……村だ。


 そう、もうすっかり村だ。


 ここは一年前、俺達とアンジェラが戦った、王都の南の森林地帯の辺縁にあった村のひとつだ。


 当時は家など、みんな吹き飛ばされていて、暮らしていた者達も近隣の領へと逃れて無人となっていた。


 アンジェラが俺に下した罰は、王族のオズワルドとしてでなく、ひとりの開拓民としてこの地で生きる事。


 表向きは、俺達はあの戦いで死んだ事になっているらしい。


 はじめは、かろうじて残っていた廃屋で、雨風をしのぎながら暮らしていた。


 しばらくすると、この村の元の住民だったダン達が、ちらほらと帰還を始めて。


 逃れた先で腰を落ち着けた者も多くいたそうだが、ダン達は故郷を捨てられなかったクチなのだという。


 そういう者達の数は、決して多かったわけではなく。


 だから、彼らは俺達を受け入れてくれて、協力して村の復興をはじめた。


 家を直し、畑を切り開き。


 秋には、収穫祭というものも経験した。


 まだ切り開いたばかりの畑だというのに、ダンですら驚くほどの成果で。


 自ら育てた作物を使って振る舞われた料理は、王城で食べたどんな料理より旨く感じたのを覚えている。


 やがて豊作の噂を聞きつけた近隣の村々からも人が集まり始め。


 ダンが言うには、すでにかつての村より規模が大きくなっているそうだ。


「……どーしたよ?」


 不意に立ち止まった俺に、ダンが怪訝そうに声をかけてくる。


「いや、村も大きくなったなって」


 途端、ダンは俺の背中を叩いた。


「おめえ、頑張ったもんな!

 帰って来ておまえらが居た時は、どこの流れモンが居着いたものかと戸惑ったが、今じゃすっかりこの村の仲間だ!」


「……それもこれも、ダンのお陰だ」


 背中の痛みをこらえながらそう応えると、ダンは照れたように鼻を掻く。


「そりゃおめえ、なにも……それこそまともな料理すら作れねえ奴、放っとくワケにもいかねえだろ」


 そうだ。


 ダン達がやって来るまで、俺達は料理すらまともにできず、獣や――時にはそこらの草を適当に煮込んで食べるという生活をしていた。


 ただその日その日の命を繋ぐという生活。


 それを救ってくれたのが、ダン達、村の仲間だ。


 かつての俺は、民とは愚かで、いくらでも替えの利くものだと思っていた。


「……俺は……本当に愚かだったんだな……」


 知る機会はいくらでもあった。


 だが、アンジェラや伯父上が民に交じって野良仕事に精を出していると聞いては、鼻で哂っていたのが俺だ。


 下賤の者の生業など、王族がするものではないと、そう信じていたんだ。


「いや、そこまでは言わねえよ?」


 苦笑したダンが、再び俺の背中を叩く。


 俺達は再び家を目指して歩き出した。


「そういや、かかあが王都で聞いてきたんだがな」


 ダンが話題を変えて、そう切り出す。


「南になんとかって帝国あるだろ?」


「……ローデリアか?」


 南にはいくつか国があるが、帝国というならローデリアしかない。


「そう、それだ。

 なんでもよ、一年くらい前に急に赤い光が夜空を走って、城が崩壊したらしい」


「……は?」


 俺は言われた言葉が理解できずに、間抜けな声をあげて聞き返す。


「かかあが聞いてきた噂じゃ、女王様が退治したっていう、邪竜の竜咆じゃねえかって話になってるらしいな」


 ……竜咆の流れ弾……


 思わず俺は笑いが込み上げてきて。


「な? 笑えるよな?

 そのローデリアってアレだろ?

 先王様にランベルクに戦争仕掛けるように唆したって国だろ?

 ざまあみろって話だよな!」


 腹を抱えて笑うダンに、俺も思わず笑ってしまう。


 家の前でダンに別れを言って、俺は家に入る。


「ただいま」


 返事はないが、明かりが灯された食卓には、ぼんやりと椅子に座るルミアの姿があって。


 食卓の向こうの台所には、ダンの嫁のニナが作ってくれた夕食が湯気を上げている。


「……ルミア?」


 もう一度声をかけると、目元を布で覆った彼女はゆっくりと顔をあげた。


 あの戦いの後、しばらく眠り続けていたルミアは、目覚めると視力を失っていた。


 けれど彼女は取り乱しもせず、ただその現実を受け入れた。


 ……いや、もはや生きる気力を失っていたと、そう言った方が良いかもしれない。


 ただ俺に従い、日々を抜け殻のように生きているような……


「……ニナにね、聞いたの」


 ぽつりと、ルミアが呟く。


「……ローデリアの城が崩壊してたって……」


「……あ、ああ。俺もさっきダンに聞いた」


 どう声をかけたものか考えて、俺は言葉に詰まる。


 あれほどローデリアの絶望を望んでいたルミア。


 だが、今、目の前にいる彼女はひどく落ち着いていて。


「邪竜が放った竜咆によるものじゃないかって。

 ――アンジェラ様を狙ったのが、たまたまあっちに当たったのね……」


 そう語る彼女に、かつての熱狂の色はまるで感じられない。


「……不思議ね。ぜんぜん実感も喜びもないの。

 ママの仇を取れたはずなのに……ニナの話を聞いても、そうなんだって……」


「……ルミア……」


 ルミアは顔を覆う布を外して、目元を拭った。


「……もっと満たされると思ってたの。

 でも……すべてが失敗して……なのに生かされて。

 もうなにも残ってないルミアに、それでもあなたは優しくて……」


 白に染まった瞳を向けて、ルミアは探るように手を伸ばす。


 俺はその手を握りしめた。


「……これがアンジェラ様の言ってた、『その後の事』だったのね。

 ねえ、オズワルド……ルミアはこれから、どうしたらいいの……」


 震える彼女の手を引き寄せて、俺は抱きしめる。


「一緒に――ふたりで一緒に考えていこう!

 ……おまえにはなにも残ってないなんて言うな。

 俺は……俺だけはどんな事があろうと、おまえのそばにいる!」


「……オズワルド……」


 この気持ちを、想いを届けるために、俺は強く彼女を抱きしめる。


 やがて……恐る恐るというように、ルミアの両手が俺の背に触れて。


 ルミアは俺に顔を向け、その顔を微笑みに変える。


 その目元から、一筋の涙が伝った。


「……なんだ。こんな簡単な事も知らなかったなんて……

 ルミアは――わたしは、本当にバカだったのね……」


 そうしてルミアは、俺を強く抱きしめ返して。


「……ありがとう。オズワルド

 ――愛を……教えてくれて……」


 あふれる涙がこらえ切れず。


 俺も彼女を抱きしめたまま、声を震わせた。

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