青に溶ける

@Yushel217

本編

1


ジリジリと暑さが身を焼く8月のとある日。都会特有の蒸し暑さとギラつく日光に意識を持っていかれそうになりながら男は歩いている。

男の名は高槻祠堂。田舎の小さな町出身で数年前に都会へと上京してきたごく普通の青年だ。見た目も黒髪に黒い目で整っているが美形とも言えない程度の顔、それなりの企業に入ってそれなりの業績を出している。

群衆に紛れてしまえばそのまま日常の一部として溶けて消えてしまいそうな男だ。だが、それは唐突に終わる。群衆紛れる男は一つの出逢いで人生を一変させることになる。


その日彼は天使を見た。

青い空に浮かぶ雲のように白い翼と、絹糸のような質感を思わせる黒い長髪。一番目を惹くのはその顔だろうか。

高槻の視線に気づくとよく整った綺麗な顔がはにかんだ。

どくん、と胸が跳ねる。熱にやられてとうとう頭がおかしくなったのだろうか、なんて思考力の落ちつつある頭で考えていると天使は高槻の隣へやってきて微笑んだ。

「久しぶり、しぃくん」

「……は?」

「覚えてない?昔隣の家に住んでたあんずだよ。あの日死んじゃったけど…しぃくんが心配で天使になっちゃった!」

意味がわからない、最初に出た言葉はそれだった。当然だ、急に自分の幼馴染(らしき人物)が死んで天使になったなんて話、信じられるわけがなかった。

それに何より今高槻が気にしているのは周囲の目線だ。この天使を自称する少女は高槻以外には見えていないらしく、沢山の人が行き交う都市の中で虚空に向かって話しているように見える高槻は異質なのだ。それに気付いた高槻はすぐさまその場を去ろうとする、が。

「待って待って!置いて行かないでよ、せっかくまた会えたのに」

「お前と一緒にいようとすると俺が異常者になっちゃうの。だから無理」

喋る幻覚と対話なんていよいよ熱で頭がおかしくなったのか、この暑さの中で出勤するのが嫌すぎて熱中症になりかけているのか。理由は分からないがとにかくこの異様な上京から逃げ出さないといけない。彼の中にあるのはそれだけだった。

「はぁ……もうわかったよ、わかったらから場所を変えさせてくれ。視線が痛くてしょうがない」

タオルで汗を拭いながらそう言うとあんずと名乗る天使は大人しく後ろをついて歩いた。


2


少し歩き町中の人の少ない公園で二人はベンチに座り言葉を交わした。しかしあんずは出会った時と同じような事しか答えない。

曰く「神様が憐れんでわたしのわがままを聞いてくれた」らしい。その結果がこの幼い天使の姿だという。

「あの日のままのわたしだったら覚えてくれてるかなって思って、この姿なんだけど…思い出せない?」

「残念だけど何も。そもそも俺に女友達なんていなかったしな」

それを聞くと不満そうにあんずは頬をふくらませる。だがそれしか高槻は答えられない。本当に覚えていないからだ。

しかし、よくよく考えてみると幼い頃の記憶に少し抜けがあると気付いた。そしてその抜けに綺麗に入るのがもしかしたらこの少女なのかもしれない。

にわかに信じがたい話だ。ありえてたまるかと内心で少し毒を吐いてから高槻はあんずを見つめた。

「そんなに見られると…見られたとこ焼けちゃうかも」

「俺は目からビームとか出さないから」

「あはは、そりゃそうだね。だって君は人間だもの」

一瞬あんずが寂しげな顔をしたがすぐ最初に見せた笑顔に戻る。あまり高槻に笑顔以外を見せたがらないようだ。

「んで、これからお前どうすんの。言っとくけど俺はお前なんて家に居候させたりしないからな」

「そんな!!」

あんずが両手を頬にあてながら悲鳴を上げる。誰がこんな幻覚、というか幽霊じみたものを家にあげるというのだ。そんなことをするくらいならお祓いを頼むところだ。

「やだやだ!絶対ついてく!じゃないと…」

「じゃないと?」その先は言えないのかあんずは黙ってしまった。何か理由があるなら仕方ない。特にそれを深掘りする気にもなれず高槻は立ち上がる。

「…どこいくの?」

「家。俺今日半休貰ってるからクーラーの効いた部屋でダラダラすんの」

「じゃあ私もついてく」

「だめだ」

色々文句を言ってくるがどうせ自分以外には見えない幻覚だからいいやと雑にあしらい高槻は悲しげなあんずを放置して家へと帰ってしまった。


3


「おかえりなさい!」

帰宅しアパートのドアを開けるとそこにはあんずがいた。放置してきた女がなぜいる?上手く回っていない頭で思考を巡らせるが理解はできない。どうしたものか。

「…おかえりって、ここ、お前の家じゃないんだけど」

「しぃくんの家なら実質わたしの家だよ!」

謎の理論で威張る少女を放置し高槻は鞄を適当な場所に放り投げスーツを脱ぐ。用意しておいた部屋着に着替えてからゴロンとベッドに転がり込む。

「はぁ…病院行ったほうがいいんだろうな俺…」

「そんなことないよ、しぃくんは健康だって私保証するし。あっでも水分補給はしないと。お外暑かったでしょ」

「あぁ…そうだな。水くらい飲むか…」

ウォーターサーバーの水をあんずがコップに入れて高槻に渡すと素直に受け取り飲み干す。そしてまたバタンと横になってしまった。内心高槻は疑問に思っている。なぜ自分はこうもこの少女に対してあたりがきついのか。別に異性に嫌悪感は無い。年相応に欲もあるから彼女だってできれば欲しい。それなのに、この少女だけは何かが別だった。

「……思い出せれば、なにか変わるかな」

「わたしのこと?」

「俺はきっと忘れちゃいけないことを忘れたから自分に腹が立つんだろうな、て…」

意識が溶けて眠りに落ちていく。その中で少しだけ幼い景色が見えた気がした。


4


田舎の町で子供が楽しめる娯楽は多くない。ショッピングモールのゲームセンターで遊んだり、フードコートでだべったり、あとは公園の遊具で遊ぶ程度だろうか。でも最近は遊具も危ないからと大人たちが次々と規制してすっかり公園は味気ない場所になってしまっていた。

そこでいつも高槻は友人と遊んでいた。生まれた年が一緒で、家も隣同士の少女。宮波あんずは学校でもアイドル的存在だった。幼い頃からその容姿故他者に色々言われることもあったようだが、それを気にするどころか言ってきた人間に対抗して喧嘩に発展させたりする問題児でもあったけど。彼女はたしかに輝いていた。冴えなくてクラスにいつも上手く馴染めない高槻の手を引いて彼女は笑っていた。


あの日までは。


彼女は死んだ。不幸なことに乗っていたバスが横転。座っていた位置が悪かったのか遺体すら見せてもらえない惨状になっていたという。隣りでいつも笑っていた子が消えてしまった時の感情は、悲しみという一言で消化できなかった。自分の隣の席に置かれている花瓶。帰り道で見かける沢山の花束やお菓子、生前彼女が好んでいた少女漫画のグッズ、玩具などが並ぶ景色を見る度に拒否反応が出たのを思い出す彼女がそんな理不尽な死に巻き込まれていいわけがない。そのくらいなら俺が死ねばよかったのだと、高槻は深く後悔した。そしてその後悔を抱える事すら苦しくなった頃、彼はあんずを忘れてしまったのだ。


6


夢ですべてを思い出し、気分の悪い目覚めを迎えた高槻。辺りを見渡してもあんずは見当たらない。

自分にずっと付き纏ってきそうな勢いの少女は忽然と消えてしまった。

「俺が思い出したから、夢に見たからいないのか?」

自分の記憶を呼び戻すためだけに遣わされたのが彼女だとしたらとんだ悪夢だ。現実のほうがよっぽど悪意で出来てるじゃないか。

「……探さないと」

丸一日寝ていたらしく、空は昨日と同じ青で描かれている。きっとあの青のもとに行けば彼女に会えるはずなのだ。彼女を見つけないといけないと高槻は無意識に焦っていた。どうしても言いたい一言があったから。


7


セミが鳴く力すら奪うような暑さの中高槻は走り回る。昨日彼女と出会った場所、子供が好みそうな玩具などが売られている店、どこに行っても彼女はいない。「んだよ…昨日までいつまでもひっついてきそうな態度してたのに」苛立ちが徐々に焦りへと変わる。このまま彼女に会えないまま終わったら俺は、どうしたら。ぐしゃぐしゃになりつつある思考の中にふと、光が見えた。

「………あ」い

つか、都会の大きなタワーに登って景色を見たい。空に近づきたい。幼い頃に語った思い出が鮮明に蘇る。高槻は足早に近くのタワーへと向かった。


8


エレベーターで最上階まで登る。扉が開いた先にいたのは間違いなくかつて自分の隣りにいた少女、天使になって自分の元へやってきたあんずだった。

「あんず、探したんだぞ」

「しぃくんならわかるって思った。わたしとの約束も、もう思い出したよね」

「ああ、そうだな。全部思い出したよ」

あんずが事故で死ぬ前日、二人で交わした約束。それは。

「二人で空を眺めよう。お前が、君がそう言ったんだそれなのに、俺を置いて逝くから…俺は…」

「ごめんね」

あんずが崩折れる高槻に近づき抱きしめる。天使と言っても幽霊と差は無いのか温かみはそこにはないが、心がその行為を受け取って高槻の目から涙を溢れさせた。

「ずっと…二人一緒だと思ってたんだ…あんな事さえなかったら…ずっと…」

「私もずっといっしょがよかったよ。でも、無理なの、できないの。だって今の私は…神様が温情でしぃくんに出会えるようにしてくれただけだから」

「いなくなるのか?また俺を置いて」

高槻は弱々しい、呟くような声で言うとあんずは悲しげに笑う。それが何を意味するかわからない程高槻の頭は悪くない。

「私はもう、消えちゃうけど。でも、ずっと記憶と気持ちはあなたの隣にいるから。だから…泣かないで…そんな顔されたらわたしも…う、…っ…泣きたくなっちゃうから…」

「無茶言うなよ…せっかく会えたのに一日でお別れなんて無いよ本当に…」

暫く二人は抱きしめあった後。あんずは高槻から離れ景色を一望できる窓の方へと歩いて行く。

「じゃあ、そろそろお別れだね」

「本当に、行くんだな」

「うん、私が天使としてここに来る条件はしぃくんにわたしを思い出してもらうまで、ってものだったから」

少しずつあんずの翼が透けていく。青に溶けていく。

「あんず、俺の為に死んでまでそんな風に追いかけるの、きつかったんじゃないか?」

「正直に言うと寂しい日もあったよ。でも、それ以上にしぃくんが今を生きてくれてて嬉しかった。だからいいの」

髪が、身体が、全てが青の中に消えていく。

最後に残ったものは、白い翼と同じ色の羽根一枚だった。


9


不思議な体験を経たが高槻の生活に特別な変化はない。それなりに働いて、それなりに業績を出して、疲れた身体で家に帰ってぐったりしながら寝る。だが一つだけ変わったものがあった。


「今日もいい景色だな。いや、変わらないっていうのか」

あんずと別れたタワーの展望台に来るのがルーティーンに組み込まれていた。彼女はもういないが蘇った思い出と2日間の短い出来事が高槻に影響を与えていた。

都合よく忘れてしまった彼女への謝罪のようなものもあったがそれ以上に単純に、自分もこんな景色が好きだったと思い出したのだ。

「…ちゃんと、今度は覚えてるよ。逃げて忘れたりなんてしないから」

高槻の表情は明るいものだった。好きだった少女に見せていた無邪気な笑顔を取り戻した青年は一人展望台で天使の溶けた青を見つめていた。



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