第二十九話 思惑

 ……何も起きない。

 いや、正確に何も起きてないというわけではもちろんないのだが、とにかく


 今日の出来事。

 朝にローゼの家へお邪魔しお茶を頂いた。てっきり使用人でもいるかと思ったが、この大きな屋敷のような家に一人で暮らしているらしい。それにしては家中見るからに綺麗で、いやしくも所々にじろじろと目を向けていると「掃除は得意なのです」とのことだった。


 昼には高そうなお店で豪華なランチ。彼女は朝は食べない派らしいので、昼はがっつりと注文していた。おれたちが注文したら余裕で金が無くなってしまうが、なんと彼女におごってもらった。セネカはいつもの倍は食べてた。相変わらずだ。


 それからは、夕方までローゼの(お金持ち特有)大量のお買い物の荷物持ちをした後、これまた上品なディナーをご馳走になった。昼食べ過ぎたのか、セネカはとてもきつそうにしていたが、驚異の食い意地でむさぼり尽くしていた。……おれはもうローゼの顔を直視できない。


 だがそんなセネカに対しても終始にこにこしていたローゼ。彼女は一体何者なのだろう。その時々見せる恍惚こうこつとした表情が、彼女の本性なのか裏の顔なのか判然としないが、依頼を承っている側がこんなにしてもらって感謝しかない。

 

 一日が過ぎ、今はローゼの家だ。彼女は帰ってきて早々風呂に入った。どんなご馳走もおごってくれる彼女だが、一番風呂だけは譲れないらしい。


「次セネカさんどうぞー」


 浴室からローゼの声がする。


「ああ……だが良いのか? ワタシたちはあなたを護衛する依頼で―—」


「良いんです。セネカさんも入りたいでしょう?」


「……ではお言葉に甘えて」


 今日一日を通してローゼの口調もかなり砕けた。“懐”ではなくセネカという名をすでに知っているのも、彼女の太陽のような笑顔で尋ねられたおれたちがポロッと口に出してしまったからだ。まあ特に問題はないだろう。彼女はセネカのことをかなり気に入ったようだ。


「お風呂はやはり気持ちのいいものですね」


 彼女はラフな格好で浴場から出てくる。お、おお、これはなんというか……すごく良い。

 今日一日三つ編みに縛っていたその長い金髪も、今はしなやかに下ろされておりとても魅惑的だ。そしてその上品な髪も去ることながら、その痩せ過ぎず細めのスタイルも素晴らしい。加えて彼女からはお風呂上がりの良い匂いがする。うむ、実にエレガント。


「二人になりましたね」


「ええ、それがなにか?」


 そんな煩悩ぼんのうは決して表に出すことなく、細めた目で遠くを見つめ紳士に振る舞う。

 だが、急にじっと見つめられて目が合い、ドキっとしてしまう。

 え、なにこの展開。もしかして……脈アリか? ちょっとまてまて、まだ心の準備が——。

 そんな事を考えたおれだが、次にその美しき彼女の口から飛び出した言葉は


「レイヴン」


 え?


「今……なんと?」


「さあ、なんだったでしょうか」


 目をふっと逸らす彼女に対して体が自然に少し迫る。しかし——


 たんっ


 !!


 その軽快な一歩で一瞬にして距離を詰められ一転、おれが壁ドンされているような形になる。さらにどこから出したのか、彼女はナイフをおれの目の前に突き付けている。

なんだこの状況は……。あまりに一瞬の出来事に頭が追いついていない。


「んー、今ので死んじゃってますよ?」


 ローゼが軽い口調で言う。


「あなたは、一体……」


「んーそうですね。端的に申し上げるならば、ただの、といったとこでしょうか」


 !? レイヴンの一員だと? ローゼが? だが今の身のこなしにこの状況、そもそもレイヴンの名を知っているという事実。可能性は十分にあり得る……のか?


「おれたちをどうするつもりですか?」


「どうもこうも、単に興味が湧いただけです。……そこで盗み聞きしているかわいいお嬢さんにもです」


「ちっ」


 タオルを巻いたセネカが浴場から姿を現す。セネカがしっかり聞いていた事にも驚いたが、ローゼはそれにさえ気付いていた。


「それで、おれたちは何をすれば良いんでしょう」


「? 言ったではありませんか、三日間の護衛と」


「それはおれたちをおびき出すための口実でしょう?」


「んー、本心でお願いしたのですが」


「目的はなんですか」


「目的もなにも、私は面白そうなとこにつく。それだけです」


 嘘は言ってなさそうだ。だが今日一日おれたちは騙されてきた。気をゆるめてはいけない。


「このナイフ、下げてもらうことできますか」


 思い切って聞いてみる。さすがに無理か……?


「あら、ごめんなさい。私ったらナイフを向けっぱなしではないですか」

 

 え? 思いの外あっさり引き下がってくれた。ついでに壁ドン状態も解かれる。分からない、彼女は一体何がしたいんだ?


「まあ、そうゆうことです。あと二日、護衛の依頼がありますね。続けるかどうかはあなた方が決めてください。私としてはもう少し、あなた方を見ていたいのですが」


 そうゆうことってどうゆうことだよ! だが、実際どうする? 本性を現したローゼははっきり言ってかなり危険だ。またいつ何時なんどき襲われる分かったもんじゃない。次もし同じ状況になってもおれは対処できる気がしない。


「それよりセネカさんはお風呂入り直してきたらどうですか? お寒いでしょう?」


 罠だ。ここでもう一度一人になったおれを襲う気だろう。


「……そうさせてもらう」


 ってなんでだよ! どう考えても罠だろ! どう考えれば入り直す選択肢になるんだよ!


「うふふっ。そうゆうところが面白いです。では、ごゆっくりと」


 ギィ、ばたん。

 浴場の戸が閉まる。


 え……ほんとに行っちゃった。


 だがその後ローゼは一度も襲ってくることは無かった。それどころか、警戒して立っているおれに何事もなかったように話しかけてくる。間が持たない。早く戻ってこいセネカ。




◇◇◇




 結局、あれからは何事もなく寝る時間となった。ローゼから提案され、おれとセネカは彼女とは違う部屋で寝ることになった。護衛依頼にしては不思議な光景だが、ローゼは多分おれより強いしな。

 これは余談だが、おれも風呂を借り、上がった時にはセネカはローゼの隣に座って楽しくおしゃべりをしていた。なんで?


「護衛はどうする」


「おれも考えたけど……続けよう」


「ああ、ワタシもそう思っていたところだ」


 セネカは奢ってほしいだけじゃなくて? と喉元まで出かかった言葉をなんとか引っ込める。まあいい、とにかく二人の見解は一致した。


 ローゼの言う事が本当ならばテオスとリリアを襲ったであろう組織、レイヴンの一人と行動することとなる。複雑な感情なのは間違いない。テオスとリリアの事以外に、彼女も自らの手で悪どい事をしてきたのかもしれない。

 そもそも彼女に同行する事自体かなり危険だ。だがその分何かを得られる可能性もある。それに、ローゼは不思議と嫌な感じがまるで伝わってこない。これもだまされているのだろうか。しかし先程襲われた時も確かにそうだった。確かにナイフを突き付けられてはいるものの、おれをろうとする気は全く感じ取れなかった。

 メリット・デメリット、諸々考えた結果、同行するのが今のおれたちにとってはベストだと思う。明日はハードな一日になるかもしれない。油断せずにいこう。


 そんなことを考えている内におれたちは眠りについた。

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